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自己紹介と経歴

1.挨拶

こんにちは!PANKOです!初めてのnoteなのでうまく書けるかわかりませんがよろしくお願いします。

現在38歳、病院で勤務している事務職員です、普段は疾病統計など病院の分析を主に仕事としています。

何故病院で事務?ってなるかもですが、単純に高校生の時に医療&情報=カッコええやん!って思ってこの業界に来ました(収入とか考えてませんでした笑)

2.人生1回目の転機

30歳までに職場を変える!これは自分の中で環境に変化をつけたいと思い決めていた事でした。

縁あって29歳の時にヘッドハンティングしていただき人生初の転職!やる気に満ち溢れていましたw当時人よりもできる!スキルがあると本当に過信していたんですよね笑

人生初の転職やる気に満ち溢れてました、事前に話を聞いていた内容ではやる気に溢れて色々取り組んでいる、やりがいがあるよと聞いていたからです。

どんな人ったちと仕事ができるのか?楽しみしかなかったですよねこの時までは、、、。

実際に入社してみて感じたのが、手作業の多さ、トリプルチェックなどといった非効率的な作業を当たり前にこなしている光景でした。

タイムスリップをしたのか?と本気で感じましたね。今思えば誘ってくれた人はこの状況を打破したかったのでしょう。 

当時の僕には相手の気持ちを考えて行動するといった考えは微塵もありませんでした、自分が正しいと思えば他人に強要し、できなければなんでできないの?と日々繰り返して当然のことですが僕を避ける人も出てきてましたね。

自分にとって当たり前である、日々何か新しいことに取り組む改善する、新しい知識を得るということは他人にとっては当たり前ではなかったのです。

上司からは状況を変えて欲しい、同僚からは作ってきたものを壊さないで、完全に板挟みでした。

現状維持を好む人は変わることを極端に嫌い、現状が最高であると考えています。

プログラミングの知識が若干ではありましがありましたのでプログラマーと協力して業務の改善を行う中で少しづつではありますが現状維持を好む人たちも楽であるならばと力を貸してくれるようになっていきまいた。

それでも向上心は全く同僚からは見れず与えられたことを指示されたままにこなすというのが日々の光景でした。

3.人生2回目の転機

そんな中36歳の時に突然話はやってきました、以前からとても興味を持っていた方からうちへ来てくれませんか?と声をかけていただいたのです。

勿論僕に迷いはなく即決でいきますと答えたのを覚えています、のちに考えると即答はいいとして、もう少し相手を知るべきだったなと後悔しています。

入職し今度は管理職として入りました、そこでみた光景の第一印象はここは高校か?というぐらい反し方、人との接し方、仕事への取り組み方、全てにおいて大丈夫か?と感じましたね笑。

この職場は半年ぐらいで辞めることになります、よく1年は頑張れとか言われましたがその時間すら惜しいと感じてしまいました。

当時よるに大学にも通っていたのでお金もかかる生活費もどうしようと思いましたが、それ以上にここにいてはダメだと直感で感じてしまったんですよね。

勿論嫁からは大反対、生活は?子供の教育費は?ローンは?本当にかなり言われました。

人生で一番嫁から言われたのではないでしょうか。精神的にかなり参っていましたので自分の健康が損なわれることは家族にとってもよくないと考え退職を決断しました。

4.人生3度目の正直

路頭に迷うかもしれない、本気でそう考えてました、子供のことはどうしようか、家族を養うために働かないと、人生のどん底に落ちた気分でしたね。

そんな時です、大学に通っていた方から運よく声をかけてもらったのです、管理職としてうちに来ませんか?一度当院の院長に会って頂きたいと。

ちょっと人間不信にもなっていましたが日時を決め合わせていただくことにしました。 
あってみるとそこまで年も変わらないような方で、何故自分が辞めたか、どうして転職を希望するのか、色々と質問を受け正直に答え得ていきました。

話の終盤、「採用、うちに来てください、ただ一つだけ、あなたは前職場の方々の立場になって物事を考えられていたらどうだったかな?と思います。」と言われたのです。

今までの自分にはなかった考え方です、人の立場で考える?そんなことしたことが無かった、常に自分の意見だけを突きつけてきた、改めて痛感した瞬間でしたね。

この方に甘えていいのだろうか?いやここで入職しても自分はまた同じことを繰り返すに違いない、そう思い後日この話はお断りしました。

自分を変えるにはどうすれば、人生でこれほど悩んだことはなかったです。

自分を変えるにはどうしたら、原点に戻るしかないそう考え、一つ前の職場に電話をし再雇用していただけないかと直談判しました。

これを断られたら本当に無職、跡がないかなり追い詰められていたと思います。

理事長が一度会って話したいと時間をいただけることになりました。

ありのままの自分で気負わずに行こうそう決めて当日を迎えました。 

理事長の第一声が「元気してたか?」この言葉を聞いて張り詰めていたものが切れたかの様に涙が出たのを覚えています。

そこでジブに至らぬ点、人への気遣いができていないこと、など正直に話たのです。

「自分で気付けたんやな」そう理事長は言われました、在籍中にもう見抜かれていたんですね、人に言われて気づくより自分で気づいて欲しかったと話をして頂いたのを覚えています。

役職はどうする?そう聞かれて迷わずヒラからやり直させてください、パフォーマンスでもなく僕の本心でした。

ゼロから始める、積み上げてきたものにしがみつきたくないそう思ったからです。

現在もこの職場に在籍していますが、色々人間問題は起きますよね笑パワハラ気味な上司が、部下から連名で署名された文書を幹部へ提出されて自主退社になったり、一歩間違えば自分もそうなっていたかもしれないと思いぞっとしましたね。

5.デザイナーを始めたきっかけ

デザイナーを始めたきっかけはほんと偶然なんですよね。

僕は根っからのゲーム好きで1日に4時間ぐらい寝るまを惜しんでやっていました。

某ゲームでチームを作った時にチームロゴが欲しいねって話になったんですね、そこからです、がむしゃらに調べたのを覚えています笑当時は今ほどロゴの作り方などのYouTubeは出ていない時でした、たまたま一つの動画に出会いそこから簡易なものを作ったのです。

販売するとか考えてなくて仲間内だけで使ってた感じですね。

仲間からもっとこんなのがいい、この色がいい、など作り手の苦労なんて考えない意見をいっぱい言われて困ったものです。

でもこんな意見が後々自分を育ててくれたんですよね。

ある日のことでした、たまにしかやらないフレンドとゲームをしたときのことです。

「そのロゴどうしたん?自分で作ったの?売れそうじゃない?」って言われたんですね、まさかこんなのが売れるわけないやんって流してたんですけどTwitterでツイートして募集かけてみたら?って言われたんですよね、当時僕はTwitterなんてしてませんでしたから半信半疑でした。

売れるわけないそんな気持ちでツイートしてみました、当時のフォロワー0人笑(後に2700人まで伸びました)。

ハッシュタグで#ロゴ#クランロゴ#アイコン#Aviってつけて出してみたんですよ、そしたら人生初のDMが届いたのです!

いくらですか?って聞かれてとりあえず1500ですと答えたらすんなりお願いしますと言われて、本当に売れるんだってびっくりしました。

そこから何件か依頼をこなしているうちに、これって頑張れば稼げるんじゃないの?って考えに変わってきました。

なんだかんだ続けているうちにボチボチ稼げてはいたのですがよくて月に2万ぐらい、どうすればもっと伸びる?って考え出したんですよね。

売る相手は誰なのか、自分のオリジナリティはなんなのか、平均的な相場はいくらなのか、このゲームの構図はどうなっているのか、初めてゲームに関して真剣に考えましたね。

この頃ゲームを楽しむというより完全にこのゲームの界隈でデザイナーとして活動をする!に変わっていきました。

まず年代層10代から30代ぐらい、構成はクランが存在し、クランマスター、マネージャというものが存在する。

平均的な相場は1500から5000円、自分の特色はメタル加工、これらを踏まえどのようなクランが存在し誰がそこにいるのかを考えました。

そもそも依頼に来るのはクランマスターかマネージャーという役職の方が大半、そういった人のツイートを見に行くようにしましたね。

インフルエンサーとの出会い。

当時インフルエンサーなんて言葉は知りませんでしたが、1万人を超えるフォロワーがいる人は拡散力がすごいんじゃないかなって思い込んでましたw実際凄かったんですけどねw

そういう人が在籍するチームがロゴを使ってくれると依頼が一気に殺到しました、ブランド力みたいなものですね。

とりあえずゲームよりロゴをがむしゃらにした結果最高で月15万ぐらいまで売り上げを伸ばすことに成功しました。

最終的にはTwitterを使い発信することで平均的に月10万ぐらいまでは稼げるようになりました。

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ただ、時間にどうしても縛られるんですよね、こんな感じにして欲しいって意見に答えようとすればするほど時間はかかりコストパフォーマンスに合わないと感じ始めました。

休みの日ですら家族そっちのけでロゴやイラストを描き続けて1年ぐらい経った時におれ何やってるんだろ?ってふと思ったんですよ。

家族大事にできてないやんって。

そう考え始めたらもう止まれないんですよね、お客さんに挨拶してTwitterのアカウントも消しました!

変に残してまたやれる時にとか見たいな甘い考えは断ち切るためです。

結果として今副業的なもものを失った感じになっちゃいましたけどねw

自分が決めたことなので後悔はないです、次にやる目標は既に決めたので!

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6.これからの自分

会社は人生を保証してくれない、これはコロナが出てから一層そう感じましたね。

昔のように収入は会社からって考えはもう通用しない、いかに個人で稼ぐか、国が改正案を出したのもなるほどと思います。

じゃあ何を?自分に何がある?営業マンでも、経営をしたことがあるわけでもない、いざ副業するとなると、、、って感じになりましたねw

こっからが人生の逆転劇と考えて日々努力の積み重ねしかない。

あとはメンタルトレーニングですね、何事にも忍耐、やり抜く力大事だとつくづく痛感したので筋トレを通してメンタル強化中です!

たまに歩いてみると普段と違う景色が見えて楽しいですよ!

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長々と書きましたが、これが僕という人間です、よろしくお願いします!

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