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JazzClub Pandoraと金色のライオンたち(2023年オープン)

広報、ブッキング担当Vocalist Akemです


記念すべきnoteデビューの日です 皆様どうかよろしくお願いいたします まずは自己紹介 JazzClub Pandoraと金色のライオンたちの広報、ミュージシャンブッキング担当とVocalistとしてお手伝いします ★Akemi swingroseといいます 少し昔はクラブ歌手という仕事で夜のジャズクラブやライブレストラン、ホテルラウンジでバンドをバックに歌う仕事や弾き語りの仕事をしていました。。今もやめた訳ではなく時々歌ってはいます 今年のコロナ騒動ではすべてのイベントは中止というエライひどい目に遭ってしまいましたがそれは世の中皆同じですものね  この話がPandoraがオープンさせるJazzClubになっていきます

今日は私の生い立ちやプロフィールだけで目いっぱいになりそうです。何しろ書くことが大好きなのでnoteという素敵な表現場所を見つけて嬉しい限り

でもスマホを持ったのは2年前という原始人タイプ 遡ってその前数年間は携帯を持っていない時期もありましたっけ これには色々面倒くさい人間関係その他があり^^

☆世田谷区生まれ育ち 幼少の頃から歌ピアノに目覚めレッスンを受ける

父がクラシックからジャズ、R&B、シャンソンと洋楽好きだった影響を受ける やたら耳のいい父だった。オーディオ関連、大きなスピーカーなどは手作りしたものが亡くなった今でもそのまま部屋に残っている

部屋にいる時はよく大音量で音楽を聴いていたようだ。部屋を防音にしていたのでいくらヴォリュームアップしていても外側には聴こえないが用事のある時にドアを開けたときの物凄かったこと いなくなって18年くらい経った今でもよく覚えている。。

☆私は長女で一番先に生まれたというだけでとても大事に育てられた。欲しいものを買ってもらえ、ありがたいことにやりたいことも色々やらせてもらえた。その反面やりたくないこともさせられた 塾での勉強は嫌いだった サボることを覚えたのは小学校の高学年くらいと記憶している それまでは親が心配するくらい無口な子供だったようだ。原因はおばあちゃんという怖い存在が家にいたからだ。私にはとても優しかったが嫁の立場の母にはとても酷い態度でそんな顔や姿を見ていたことも原因かもと思っている。何しろ明治生まれの女性は根性座っている 転んでもただでは起きない!と時々言っていた言葉が印象に残っている そしてそのDNAを思い切り引き継いだのがAkemiだと、言われている この事がいいのか悪いのか分からないが何が起きても生き抜く根性だけは頂いたかもです。おばちゃんが亡くなったのは106歳で両親供73歳 今にしたら若かったですね このおばあちゃんの弟の孫に元アイドル、その後女優をやっている中〇美〇、妹の〇のぶ がいる

なので私とは鳩子になるわけだ。そしておじいちゃん側は遡ってエラク腕の立つ介錯人がいて、お殿様に大事にされた証拠に白い鞘の刀を頂いたものがおばあちゃんがお嫁に来たときにあったらしい。開かずの間という部屋があり絶対にその部屋に入ってはいけないと言われていたらしいが、人間そんなこと言われたら入っちゃいますよ~ そこで悩んだ結果やっぱり部屋に入ったおばあちゃんが、その部屋の真ん中に置いてあったつずらの中に大事にしまってあった刀を発見したと私に話して聞かせてくれた その後のご先祖様も関東一円ではちょっと知られた義太夫の師匠がいたりそれ以外に長唄の師匠とほぼ和物できている中、私が歌手をやってると知ったおばあちゃんは、てっきり長唄と思ったらしい 私が英語の歌を歌っていると知ったおばあちゃんは母に「子供の頃にドラムのおもちゃでなく、太鼓あげたら良かったかねえ」と言ったらしい ちょっと可愛い気もする^^

子供の頃無口だった私は音楽、歌のことになると積極的で知らない場所でのオーディションに出かけていった。このころ四谷3丁目の〇〇ミュージックでレッスンを受けたり、NHKや渋谷公会堂などで開催される歌手のコンサートバックで歌って踊る仕事をいただいていた記憶がある しかしステージ裏でのある事を見て聞いて芸能界は怖いところだという気持ちになっていく

その怖いことを言った人の名前は絶対に言えない が、現在もTVでご活躍中です 今はもちろんその方も精神的にも大人になっていることでしょう

その後、学生生活中に少し不良の道に(笑) 型にはまった所から抜け出したい反発もあった 家出も繰り返した かなり親にも妹にも迷惑をかけたけどとても新鮮だった そんな中でもピアノや歌は続行していた バンドを作りライブ活動をするようになった レコード会社から声が掛かったりはあったけどやりたいのは、バンドで洋楽を歌うことだった そして、不良時代に知り合った人と間違って結婚! 友達夫婦だが大変なex husbandでした まあ向こうから言わせれば私も大変だったかも。食事はあまり作らないで1階に入っていたローソンでお買い物 掃除も洗濯も苦手とくればどうでしょう

この話や私の人生はとても面白いことがたくさんあるのでいずれ何かに書いてみたいなあと思う もう時効だし

でも今考えると必要な経験だったと思う バツになってから本格的な私の音楽生活が始まっていく

この続きは次回にしようと思います



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