愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第22話:贅沢フルーツタルト編④』(22/29)
季節は2月の終盤。今年度もいよいよ終わりに近づいてる。
大きな学校だったら学年が上がればクラスも変わるけれど、幸い苺飴中学校は小さな学校だから、まだ2年はこがれと一緒に過ごせる。とはいえ、あっという間だったな。
相変わらず通学に時間を取られて授業に着いていくのはかろうじて眠らないことに必死なままだったし。もっと勉強できるようになって、せめて1位上の成績のてぃーを追い抜かせたらなんて思ってたけど、あたしとてぃーの間には数字ひとつじゃわからないくらいどうやら溝があるらしかった。こがれは怠惰に厳しいけど、最近はあたしが必死に寝まいと気を張っているだけでもあたしのことを認めてくれるようになっていた。それどころか、睡眠が摂れていないことを気遣って、ときどき保健室に行くように、なんて言ってきた。寝るために保健室に行くなんて、サボりじゃないか? こがれらしくない。ところでサボりってサボタージュの略らしいな。なんかポタージュみたいで美味しそうだ。今度作ってやろうかな。生クリームポタージュ。結構得意なんだ。っと、脱線脱線。とにかく、あたしとこがれの仲は順調ってことだ。羨ましいだろ?
けど、最近のこがれはなんだか落ち着かない様子だ。滅多に動揺を見せたりしない彼女だから、ほかの誰も気づいてる様子はない。でも誰よりもこがれの近くにいるあたしは見逃さなかった。何か気にかかることがあるらしいが、あたしも突っ込まれたくないことがあった身だから、聞いていいのかわからない。弟のもえるが少し前に理不尽な事故で大怪我を負ったばかりだからそのことかとも思ったけど、もえるはもう復学してるし、たぶん別の話だ。突っ込まなくていい。せめて、何か気分転換になるように力になってやりたい。何かあるっけ、何か……そうだ! 来月末は、シュガー・スプリンクル・デイだった。大切な相手と一緒に過ごすと、生涯そばにいられるとかいう迷信が流れてる日。あたしはあの日があんまり好きじゃなかった。だって、昔、母さんと妹と一緒に過ごしたのに、結局あたしはふたりと離れ離れになったんだから。あんなの、嘘っぱちだ。でも、『あたし』にとってこの日がロマンチックかどうかなんてどうだっていい。大事なのは、『こがれ』がこの日をどう思ってるかだ。もしかしたら、意外と楽しみにしてる可能性もある。3月31日……空いてるか誘ってみるか。
*
「多果宮サクリ。あなたに用事がある」
「おわっ!」
あたしがこがれをシュガー・スプリンクル・デイに誘おうと考えて、さて、彼女はどこにいるのかと探しに行こうと廊下に出た途端。背後からいきなり声をかけられた。
「急に現れるなよ! びっくりしたじゃんか! いや、丁度いいや、あたしもこがれに用があったんだ」
「……これは重要な相談。あなたの用件は後で聞くから、先にこちらの話を聞いてほしい。今日帰宅するとき、あなたの家の付近まで着いていく。誰にも聞かれたくないから。そこで話す」
「おっ! もしかして自転車ふたり乗りが癖になったのか?」
「それはない。あなたも公共交通機関で今日は帰ってもらう。ふたり乗りは危ない」
「なんだよ! 別に今日はぶっ倒れたりしないって!」
ちょっとあの日の再来を期待したんだけどな。相変わらず堅いヤツ。でも、こがれと過ごせるなら別に電車でもバスでも構わない。ちょっと交通費がかかるけど。たまにはゆったり移動するのもいいだろう。何よりもこがれの気持ちが今は優先されるべきだ。あたしは彼女の提案を引き受けた。
*
バスに揺られている間あたしは何か話すつもりだったけど、こがれがやけに真剣な顔をして考え込んでいたから、何も言わずにただ隣に座ってた。一体何を言われるんだろうか。茶化したりしちゃいけないのはなんとなくわかった。少し緊張する。よくないような予感もした。気分を落ち着かせるように、いつも持ち歩いてるラズベリーの香り袋の香りを嗅ぎながら過ごした。やがて、アパート近くまでやってくる。建物の裏側に、こがれはあたしを誘導した。それからふと立ち止まって、彼女はゆっくり深呼吸をする。珍しく、こがれは緊張している様子だった。
「……」
「で、話って何さ?」
「……3月31日、シュガー・スプリンクル・デイ。この日を私と過ごしてもらいたい」
「へ?」
なんだよ。そんな単純な話だったのか? 別に断る理由なんてないのに。あたしとあんたの仲だろ。
「あんたがそれで楽しめるなら、そりゃ勿論」
「違う。遊ぶためではない。私には、この日にどうしても成し遂げなければならないことがあるの」
こがれはあたしに向き直る。真っ黒な瞳と目があって、光のないそこには、だからといってあたしを飲み込もうとする闇もなく、ただ、ゆっくりと珈琲に浸っていくみたいな苦くて、真摯な意志が感じられた。
「──聞いて」
******
そこからこがれに語られた話は、まるで作り話みたいだった。
こがれは宇宙からやってきた『スパイスモンスター』とかいうケーキ外生命体で、ケーキを食べてひとつになって、地球とかいう星に暮らす『ニンゲン』とかいう生命体に生まれ変わるためにずっと苺飴中学校に潜入してた。要するに、あたしたちの中の誰かを殺すためにここに来たのだと言った。
じゃあ何だ? ヤマイももえるもそうなのか? 呪も? わけがわからない。でも、『スパイスモンスター』とかいう生命体に、まったくケーキへの情がないことはないはずだ。だって、合理性を重視するこがれにとって、こんな話をあたしにするメリットはどこにもないはずなのに、あえてあたしに真実を話している。
「『ニンゲン』とは、あなたたちの最も古い祖先のこと。『ケーキ』の誕生の神話は授業で習ったでしょう。原初の竈の炎から生まれた存在である『ケーキ』。それは『ニンゲン』が竈に身を投げて生まれ変わった存在なの。『ニンゲン』はまだこの宇宙に存在する。お母様がそう。私はお母様からの使命を果たすために、ここに来た。そして、あなたと出会った」
──はじめはあなたを選ぶなんて有り得ないと思った。だけれど、今は違う。今の私とあなたの関係はただのクラスメイトじゃない。
「お母様曰く、使命を果たすためには『まごころ』が必要。私が初めてそれを抱いた相手は、多果宮サクリ。あなただった」
「……こがれ」
彼女の視線を受け止めるうちに、あたしの心の中はどんどん珈琲で浸っていく。こがれ。あたしがあんたの立場だったら、あんたを殺すなんて使命、放棄してるに決まってる。それでもあんたは、使命に拘るのか? どれだけ、一体どれだけ、あんたは。
「そんなに、母さんに縛られなくちゃいけないのか?」
「縛られているつもりはない。私にとってお母様は絶対。お母様に従うことに、不満はないの。ただ、それでも、そうだとしても」
──あなたにだけは、嘘をついたまま終わらせたくはなかった。
「多果宮サクリ。私はあなたに、決闘を申し込む」
「……!」
こがれは続ける。
──あなたは常々考えていると言っていた。自由になりたい、残り半分と少し程度のケーキ生を、好きなように過ごせるようになりたいと。あなたがこの決闘を引き受けて、私に勝つことができれば、あなたにもメリットがある。
『ニンゲン』の寿命は『ケーキ』よりも遥かに長い。『ケーキ』と『スパイスモンスター』の融合は、ふたつに分かたれた『ニンゲン』の姿を取り戻すための儀式。あなたが私を殺して、私を取り込むことができれば、あなたの余生は飛躍的に延びる。自由に過ごす時間を、嫌だというほどに手に入れられる。
「あんたのいない世界で、自由に長生きしろって?」
ひっでえこと言うじゃんか。あたしがどれだけあんたに救われて、憧れてるか、知らないのか?
「あんたと対等になるために、あたしにはあんたが必要なのにさ」
「それは違う」
「はあ?」
*
「私とあなたはとっくに対等な関係になっている。だからこそ、私はあなたに真実を伝えた。対等だから、私たちは互いにジン生を賭けた試合をするの」
*
対等。あたしとこがれが? もうとっくに?
「私は正々堂々と戦い、あなたに勝つ。負けたとしても、恨みはしない」
「……」
押し寄せる珈琲に完全に沈んだ瞬間。あたしはこがれの胸の内すべてに包まれたのだと思った。そうか。そうだったんだ。あたしたち、もうとっくに。
「どうか逃げないで。卑怯な手は使いたくない」
「……」
「多果宮サクリ」
「……はは! あははははっ!」
「……? 何を笑っているの。あなたは命を狙われている」
「だっておかしくって! 要するにさ、思いっきり喧嘩できるってことだろ?」
「喧嘩? そんな些細な言葉で片付けられることじゃない、これは……」
「いーじゃんいーじゃん! 青春じゃん! あんたみたいに物静かなヤツと、やり合えるなんてさ!」
「......だから、そんな話では」
*
「楽しみだ」
*
「......!」
あたしはにやりと不敵に笑ってみせた。こがれは唖然と目を見開く。そんな顔もできるんだ。可愛いじゃんか。
「文字通り死んでも忘れられない思い出になる。いいよ。その勝負、乗った」
あんたに勝って、あたしは自由を手に入れる。あんたに贈られた自由を、この世の誰よりも楽しんでやる。
「……あなたって」
「バカだって? そっちから逃げるなって言ったんだろ」
「違う」
「私は、あなたと友ジンになれてよかったと、そう思っただけ」
「ああ。あたしもだよ」
右手を差し出すと、彼女もまた右手を差し出してきてくれた。あたしたちは、固い握手を交わした。
決戦の日まで、最後の変わらない日常をあたしたちは過ごすと誓い合う。──終わりの始まり? 違うね。これはあたしたちの、始まりのエピローグだ。あたしたちの関係はきっと、ここからまた始まるんだ。
******
本気でこがれに勝つ。あたしはそのために、トレーニングを始めた。
そんなことを今更したところでどうなるかなんて、ほんとはわかってた。でも、それでも、ありったけの準備をして、向き合うのが礼儀だと思った。
あたしは負けないよ。こがれ。必ず、自由の未来を掴み取ってみせる。
──あんたとの決戦の日が、待ち遠しい。
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