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愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第24話:贅沢フルーツタルト編⑤』(24/29)

 首の箇所から順番にボタンを留めていく。非実用的な衣装だと思ったけれど、着てみれば存外に動きやすかった。それに何より彼女と揃いの衣装だと思うことで、説明のつかない勇気が湧いてくる。これから戦い、殺し合う相手に勇気を貰うなんて。不合理な感情は、けれど不快ではなかった。
 ひらり、と鏡の前で回ってみる。『派手なくらいが丁度いいんだぜ。服装っていうのは武装みたいなもんなんだから』。彼女の言葉を思い出した。当時は意味が分からなかったけれど、今なら少し理解できる。確かに、華美に飾られた衣装は、私の精神面を鼓舞した。
 恋ヤマイは午前中から温田しょこらとの待ち合わせに向かい、恋もえるも同様に出かけていった。もう会うことはないかもしれない。そう考えると僅かに胸が苦しくなった。これが寂しい、という感情なのだろう。



 私たちの待ち合わせ時間は夜だった。多果宮サクリの住む街の外れにある、ヒト気のない公園。遊具が少なく広々として、子どもたちにとっては詰まらない場所かもしれないけれど、今の私たちにとっては都合が良かった。
 公園に踏み入る。私は普段から5分前行動を心掛けているけれど、今晩の多果宮サクリはそれを上回った。
「よっ!」
 公園の中央で多果宮サクリは笑って片手を上げる。私の姿が明確に見えるようになる距離まで近付くと、彼女は空の金平糖のように目を輝かせた。
「あっ、その服……着て来てくれたんだな!」
 私が身に着けているのは、第2学期長期休暇の末日、多果宮サクリと遊びに行った日に見繕われた葡萄色の服。もちろん戦うためにデザインされた服ではない。それならもっと適した服がクペ・ル・ガトにある。それなのにこれを着て来たのは、私の極めて個人的な感情——多果宮サクリと過ごす最後の時は、この服を着ていたいという——によるものだった。入学前までの私なら絶対にこんな考えは却下していたし、思い浮かびすらしなかった。今の私は多分に多果宮サクリの影響を受けているのだ、と改めて思った。
「すごい、めちゃくちゃ似合ってるよ! やっぱあんたにはこう、凛々しい服が似合うって思ってたんだよな!」
「そう言うあなたも同じ服を着ている」
 多果宮サクリが着ているのも、同じ日に買った色違いの服だった。多果宮サクリは少々照れたような顔で、誤魔化すように帽子の位置を直す。
「あ……やっぱさ、あんたと過ごすなら、これだなって思ったんだ。お揃いになっちゃって気まずいかー?」
 自己防衛のためかわざと冗談っぽく私を小突く彼女に、私は告げる。
「いいえ。あなたが私と同じ理由でこの服を選んできて、嬉しいと感じている。とても、励まされる」
「……!」
 多果宮サクリは目を丸くした後、へへっと頬を苺ジャム色に染めて笑った。そう、まさにヒト懐っこく。



 降る粉砂糖の量も時間とともに増え、私たちはそろそろ開始すべき時間だと悟る。私は持ってきた武器を道具入れから取り出し、多果宮サクリに差し出した。
「互いに素手では私が一方的に勝ってしまう。だから、あなたはこれを使って」
 差し出したのは剣状のピック——剣術の試合で使われるもの、ただしこれは本当に刺せる——だった。脆いケーキならもちろん、スパイスモンスターであっても、急所に当てれば殺すことができる。
 ただでさえケーキより身体能力の高いスパイスモンスターの中でも、私は一番強い。勝負を公平にするための提案だった。けれど、多果宮サクリは首を横に振った。
「あんたが使うならあたしも使うけど……そうでなきゃあたしもいらない。片方が素手なんて、そんなの正々堂々とした勝負じゃないからな!」
 多果宮サクリはそう言って胸を張る。少し驚いた。彼女には先月、ケーキとスパイスモンスターの腕力の差を伝えてある。普通に戦っては勝ち目がないことなど理解しているはずだ。場合によっては私は武器だけでなく、利き腕も使わないつもりでいた。言わば、私が彼女の位置まで降りていくことでバランスを保とうとした。それなのに、多果宮サクリはあくまで条件を揃えることで——自分が私の位置まで這い上がることで、公平になろうとしている。
 多果宮サクリに少しでも勝機を与えたい。そう考えた私は、双方が武器を持つことを提案し、多果宮サクリもそれに同意した。軽いピックなのでケーキでも簡単に扱えるし、使い方を知らなくても適当に振り回していれば偶然、ということもあり得る。
「どちらが死に、どちらが生きても、私たちは受け入れる。正々堂々、戦いましょう」
「……ああ!」
 私たちは握手を交わす。真正面に向き合い、剣を構えながら、私たちの最後の勝負が静かに始まった。



 集中力の切れを装い、正中線に構えた剣筋をあえて逸らし、相手の攻撃を誘う。多果宮サクリは思った通り直情的に引き寄せられてきた。その剣先を私の剣で跳ね除け、そのまま横向きに構えて彼女の首を狙う。もう終わりか、と一瞬思った。けれど多果宮サクリは、後ろ向きに仰け反ることで私の攻撃を避けてきた。
「……!」
「……へへっ」
 ケーキにしてはかなりの反射神経。あるいはスパイスモンスターに匹敵するかもしれない。私の口元は思わず綻んでいた。
 次は多果宮サクリの番だった。横にいなされた剣を腕の力で振り上げ、空いた私の胴を狙う。私は即座に体の向きを回転させることでそれを受けた。それなりに鋭い攻撃だった。油断していれば仕留められていたかもしれないほど。
 ギリギリ、と音を立てて刃同士がぶつかり合う。ふと多果宮サクリの顔に視線を向けると、彼女も笑っていた。



 そんな攻防がどれだけ続いたのだろう。剣を振れば振るほど、相手の攻撃を避ければ避けるほど、私たちの動作は精密に組み上がった。まるで息の合ったダンスのように。その最中、多果宮サクリが叫ぶ。
「こがれ……!」
「何」
「楽しいな!」
「ええ」
「ずっとこうしてたいなあ……!」
 踊るようにくるくると回りながら、多果宮サクリは声を上げて笑った。私も同じことを考えていた。
「……でもさ! あんた、そろそろ本気出しなよ!」
 ダンスは止まらない。けれど、時間には限りがある。降り積もる粉砂糖がそれを教えている。
「本気じゃないあんたに勝ったって、あたし何にも嬉しくないからさ……!」
「……ええ、分かってる」
 ほんの一瞬、名残惜しいという感情がよぎる。それでも私は多果宮サクリの手を取り、彼女の体を私の方へと引き寄せ。同時に剣をその腹に突き刺した。
 ぐず、という生々しい感触。スポンジとクリームとフルーツの混じり合った体を、私の剣が突き抜ける。一時の間を置いて、多果宮サクリは咳き込んだ。その口元からどろりと苺ジャムがこぼれる。
「……っはは、やーっぱ、本気出してなかったじゃん……」
 顎から下を赤く汚しながら、それでもなお多果宮サクリは笑った。けれど私と目が合った瞬間、僅か、怪訝そうな表情に変わる。
「……なあ、勝ったのにそんな顔、すんなよ。あたしは正々堂々戦って負けた、それで満足してる……だって今まで、あたし自身でジン生を選べたこと、1回もなかったんだぜ? こがれが初めてくれたんだ、あたしに、選択の権利を」
 私は何かおかしな顔をしているのだろうか? 分からない。彼女を刺す感触を手に覚えてから、自分を客観視できない。
「あたし、後悔してないけど……心残りは1個だけあるんだ。あんたのこと。……あんたの母さんがどんなヒトなのかよく知らないけど、やっぱり、あんたは縛られてるって思う。だから……自由になってほしい。自由に、義務だとかに支配されないで、その優秀な頭脳も、力も、自分だけのために使ってほしいって、思う」
 徐々に力が抜け重くなっていく体。荒いくせに弱くなっていく呼吸。多果宮サクリは死に行きつつある。この私の手で。
「な、こがれ」
 曖昧になる私の感覚を、彼女の声が引き戻す。彼女の力強い眼差しが私を射抜く。
「ひとつ頼みたいことがあるんだ。あたしに、できなかったこと。わがままなんだけどさ——抗うんだ! 使命なんて捨てて、自分を支配するものに、抗って抗って、あたしの分まで、さ。そうしてくれたら、あたし、あんたを心配しないで、いけるから……さ……」
 最後に1つ、微かに息を吐いて。それを終いに、くたり、と多果宮サクリの体から力が抜けた。彼女が頽れると同時に私も地面に座り込んだ。
 私にもたれかかるようにしている彼女の、頬は白く、瞼は動かない。あどけない少女の顔だった。
「……多果宮サクリ」
 起きはしない。理屈の上では理解している。無駄な行為だと分かっている。それなのに私は彼女の名前を呼んだ。
「サクリ」
 こがれ、と呼び返す声はもう二度と聞こえない。私は彼女の髪に静かに頬を寄せ、目を閉じた。

******

 ふと我に帰ると、11時も近くなっていた。シュガー・スプリンクル・タイム。私たちの言葉では、ルウール・ド・ルイムヌ・ユマン。ケーキを食べればニンゲンになれるとお母様に教わった時間。お母様の意思は絶対。ニンゲンになることは私の使命。ずっと、そう思ってきた。
 けれど、多果宮サクリの遺体を前にして、どうしても私の手は動かなかった。一番成績の優秀だった私が、一番お母様の期待を受けてきた私が、何もかも理性と義務感で越えてきた私が。ケーキひとり、食べることができないなんて。
 自己嫌悪に陥り、自分を見失いそうになる。けれどこの不安も、彼女が言っていた『支配』なのだろうか。それなら、あるいは私は『使命』がなくても生きていける?
『自由になってほしい』
 彼女の言葉を思い出した。——そうね。私は自由になれる気がする。根拠も理屈も何もないけれど。でもひとつ、不平等がある。私は彼女の頬に積もる粉砂糖を払いながら、そっと囁く。
「私が自由になるのなら、あなたも自由になるべきよ」
 私たちはもう二度と、親に縛られるべきではない。



 彼女の遺体を抱えて孤児院に戻った。弟たちは皆出払い、無ジンなのを良いことに、私はあるだけの新聞紙とマッチを集め、庭に向かった。
 亡くなったケーキは皆、火葬されるのだという。始まりに竈の火に飛び込んだ言い伝えに倣い、原初の火に焼かれ小麦粉に還る。私は穴を掘り、その中に彼女の遺体を横たえ、そして火をつけた。
 砂糖の焦げる甘いにおいがした。彼女の体が火に還っていく。私の初めて嫌いになった、そして初めて親しくなったケーキ。嫌がらせされたことや彼女の家に行ったこと、並んで遊びに行ったこと。今までのことを思い出して、一瞬喉が詰まる。けれど、恐らく彼女の本意ではないから、泣かなかった。
 彼女の小麦粉を埋めた場所にはラズベリーの木を植えよう。いつでも懐かしい匂いを感じられるように。私はきっと毎日あなたに話しかける。
 私はおそらくまた来年も、ニンゲンになる機会を与えられ、ルウール・ド・ルイムヌ・ユマンの時を迎えると思う。けれど、サクリ。あなた以上に『まごころ』を抱ける相手には、きっともう出会えない。


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