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愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第17話:贅沢フルーツタルト編③』(17/29)

 ──毎日、少しでも早く家から離れて、少しでも遅く家に帰宅することができるように、あたしはわざわざ自宅から遠く離れた苺飴中学校を受験した。
 第1学期長期休暇明け。あたしはそれまでこがれにずっと嫌がらせをしていたのに、遠く離れたあたしの家に彼女は時間をかけて訪れてくれただけじゃなく、あたしのことを助けてくれた。あの日から、あたしはやっと彼女に対して素直になれた。あの日から、あたしたちはようやく、打ち解け始めたんだ。



「な、こがれ! 第2学期長期休暇さ、始まるだろ。あたしと遊ぼうぜ!」
「遊び? そんなもの、必要がない。私にはもっとすべきことがある」
 両親が離婚して親父に引き取られてから、あたしはあいつの世話と生活費を稼ぐための内職にばかり時間を取られて、もう何年も友だちと遊ぶなんて、そんなことしてなかった。遊びたいと考えることさえ、いつからか忘れていた。でも、こがれと向かい合って話せるようになってから、あたしは彼女の真っ直ぐで勤勉で努力家で、そして何よりも強い勇気を持っている姿に惹かれて、もっとこがれと話したいと思うようになっていったんだ。そうして、あたしは2学期を終えるこのタイミングで、ついに子どもらしく、休日に友だちと遊びたいって気持ちまで取り戻せた。
「それって勉強か? 遊ぶって言ったってさ、あたしんちビンボーだから、遊園地とか映画館に行くとか、いいご飯食べるとか、そんな大層なことじゃなくていいんだ。ただ、一緒にその辺を歩いて、自然の下で弁当食べてさ、そこで一緒に喋りながら勉強するとか、そういうのでいいんだよ! あたし、あんたに勉強教わりたいし……今まで全然取り組んでる余裕がなかったからさ……いや、バカに教えるのは時間がもったいないかもしんないけど……」
「……」
「親父から許可が下りたんだよ! 1回だけでいいから! な、頼むよ……」
 黙り込むこがれに、思わずあたしは懇願するように親父の名前を出す。すると彼女の肩はわずかにぴくりと動いた。
「……それを言うのは卑怯。でも……仕方ない。一度だけ、承諾する」
「ほんとか!? へへっ、やりぃ! 頑張って貯金しよっと! 親父にはありったけビンボー飯食わせてやる!」
「それはあなたも碌な食事を摂らないということになる。非合理的。弁当を食べて勉強さえできればいいとさっき言ったはず」
「そうだけど! それは最悪の場合だって! あたしにとって、あんたと過ごせるたった一度の休日なんだぜ? 身を削るくらいの価値があるんだっての!」
「……そう。だったらせいぜい当日までに倒れたりしないように体調管理はきちんとしておいて。予定は変更しないから」
「わかってるよ! サクリ様を舐めんなよ! 毎日自転車マジ漕ぎして身につけた体力、あんたほどじゃないけど自信あんだから!」
 嬉しい。すごくすごく嬉しい。こんなに楽しみなのは久しぶりだ。親父から逃げるために受験のときにだけ嫌嫌必死にした勉強も、今ではこがれに追いつきたくて学びたいって思ってる。家が遠いから帰宅が遅くなって、同時に起床も早いために睡眠時間が少なくなるから学校で眠くなってしまうのが悔しい。どうして生物のからだは眠らないと維持できないんだろう。パスタだっけ? 正式名称なんとかパフォーマンス? とかいうやつが悪いんじゃないか? 
 まあいいや。とにかく、めいっぱいこがれと楽しめるように貯金したいから、遊ぶのは休暇の最終日にした。こがれのことだからそれまでにとっくに課題も終わってるはずだし、一度だけって言うんなら、最終日にしないとあたしが未練を感じてしまいそうだったのもある。
 2学期最後のホームルームを終えて、あたしはこがれとしばらく別れるのを名残惜しく感じながら帰り道の自転車を漕いだ。ドーナツの車輪はあたしに酷使されすぎて、ガタガタと煩く鳴っている。この音が静まったとき、あたしはまた親父に支配される生活が始まるんだと思っていつも憂鬱だったけれど、今はこの音がこがれと過ごす大事な日まで頑張れって、あたしを励ましてくれているような気がした。

******

 それからあたしは寝る間も惜しんで、まずは課題に取り組んだ。こがれには勉強を教えてもらう予定だし、それまでに聞きたい部分の要点をまとめておきたかったんだ。こがれはシンプルで効率がいいことが好きだから、当日にまだ何もやってませんなんて言ったら呆れて帰っちゃうかもしんないし。それから食費。あたしは節約が得意だけど、いつも以上に家計簿に気を使って、慣れない頭で計算して、スーパーのタイムセールも毎日一番乗りして。群衆を押し退けて30%引きの食材を手に入れたときは思わず『よっしゃ!』って叫んじゃって、周囲に怪訝な顔をされた。そんな日がしばらく続いてやっと、楽しみにしていたその日はやってくる。楽しみでなかなか眠れなかったけれど、なんとか早起きして、こがれに食べてもらいたい弁当を用意もした。あたしは何もかもこがれより劣ってるけど、家庭科だけはこがれより自信があったから、喜んでもらいたかったんだ。よし、これで準備バッチリだ!

「こがれ! おはよ!」
「ええ。おはよう」
「じゃーん! 見ろよ! 課題、ぜーんぶ終わらせてきたんだぜ! 聞きたいこともなるべく絞ってきた!」
「……そう」
「おい! 珍しく頑張ったんだぞ! もっと褒めてくれてもいいだろ!」
「……早く行きましょう。勉強は最後でもいい。あなたの行きたいところにまず出かける」
 あたしとこがれの家はかなり離れているから中間地点で合流することを提案したけど、なぜかこがれはあたしの住んでる町の近くまで来ると言った。決して栄えてるわけじゃないのに。だからこの辺りで行ける場所を決めるわけだけど──節約は頑張ったけど、結局大した額は貯まらなかったから、お金を使うような場所は1箇所しか行けないだろう。親父のアルコールとビターシガレットを止められればもっと貯まったんだけど、流石に子どものあたしじゃそこは敵わなかったんだ。一度だけのチャンス。何に使うのがいいんだろう。あたしはよく考えた。できれば、形にずっと残せるものがいい。遊園地のアトラクションだとか、そういう一瞬のことじゃなくて、そう、一緒に持っていられるお守りを買うとか。……そういえば。
「こがれさ、なんで制服着てんだよ! せっかくあたしとデートなのにそりゃないぜ!」
「着飾ることに興味はない。家と学校で支給される衣服で充分」
「いーや! だめだね! 決めた! 服屋行こうぜ! あんたに似合うやつ、あたしの天才的なセンスで選んでやるよ!」
「……必要ないと言っているのに」
「まずあたしが行きたいところに行くって言っただろ! 決まり!」
 あたしは無理矢理こがれの腕を引いて、ショッピングモールに向かって歩き出す。こがれは呆れた風だったけれど、それを振り払いはしなかった。



 小さなショッピングモールの中に並んだ服のブランドを見て回る。これはあたしとこがれの友情のお守り探しだ。でも、あたしは普段動きやすい服装が好きだけど、こがれにはもっとこう──上品で凛とした格好が似合うんじゃないかと思った。あれでもないこれでもないとこがれを着せ替えニン形にしながらひたすら歩き回っていると、ふとある店舗のニン形に着せられたグレープ色の衣装が目に入る。
 ──大きな帽子から靴までがセットになった、まるで物語に出てくる騎士みたいに綺麗な衣装だった。ちょうど色違いでベリー色のものもある。値段も買えない額ではなかった。
「これだ!」
 あたしは思わず叫ぶ。お店で大声を出しちゃいけません? そんなの知らない!
「こがれ! これ! これにしよう!」
「……これは」
「いいだろ? 格好よくて、こがれにぴったりだ!」
「少し、派手すぎる……」
「派手なくらいが丁度いいんだよ! 服装っていうのは武装みたいなもんなんだから!」
「……そんなものなくても、私は強い」
「うーっ、わかった! じゃあ気が向くまでは仕舞っとくだけでもいいから! あたしとお揃いのお守りだと思ってさ!」
「……はあ。そういえば、この年頃の女子は友ジンとお揃いをするのを好むと習った記憶があった。あなたも例外じゃなかったということ……」
「そーいうこと! ていうかこがれだって同い年だろ! ませてやんの!」
 こがれはなんやかんやで折れてくれたらしく、あたしたちはお揃いで服を買った。いつかこがれがこれを着ているのを見られる日が来るのが楽しみだ。生きる理由がまた増えた。

 買い物を終えると、丁度お昼頃になっていた。今度は近場の公園に寄って、食事をすることにする。
 持ってきた弁当の中身は、あたしの一番の得意料理のアイスクリームコロッケと、おにぎり大福。それから付け合せのフルーツサラダを少々。こがれは家庭科が苦手なわけではないけれど、見た目や味に拘る理由がいまいち理解できないタイプらしいから、気に入るかはわからないけど。あたしはアイスクリームコロッケを口に運ぼうとするこがれをじっと見つめた。
「そんなに見られると食べづらいのだけれど」
「だって気になるだろ! 自信作なんだからさ!」
「はあ……」
 さくっといい音がする。こがれは静かにそれをしばらく咀嚼して、飲み込んだ。
「……ど、どうだ?」
「凝った料理への感想を私に求めるのは最適解とは言えない。けれど」

 ──お母様の言う『まごころ』の意味は、少しだけ理解できた気がする。

「なんじゃそりゃ? よくわかんないけど、褒めてるってことでいいのか?」
「そう解釈してもらっても構わない」
「よっしゃ! ほら、もっと食えよ! いっぱいあるからさ!」
「私は食事は腹八分目を意識している。余った分は持ち帰って今日まで我慢した分あなたが食べればいい」
「こがれに食べてほしいのにさー! わかってないなー! そういうときは自分が持ち帰るって言うもんだろ!」
 まあ、こがれのことだからそう言うとは思ってた。あたしはいそいそとタッパー最中をバックから取り出して、コロッケを詰め込み始める。ヤマイたちにも分けてやればいいって言い訳しながら。



 食事を終えると、今度は勉強会が始まる。これがこがれにとっては最重要だったんじゃないかと思うけれど、相変わらず表情が滅多に変わらないものだから、真意はわからなかった。
「えーと? つまり、ここにこれを代入するってことか」
「そう。そうしたらこの式からはこの答えが導き出される」
「おー! できた! すごいな! さすがこがれ、教えるのも的確なんだな!」
「……それは違う。たったこれだけの答えを導くのに、かなりの時間がかかった。私はどうやら、相手が理解していることを前提に説明してしまう節があるみたい。矯正の余地がある」
「もー、謙虚だなー! できたからいいんだよ! 次々!」
 こがれは賢すぎて、逆にあたしはバカなのもあって、あまり効率よく学習は進まなかった。レモンキャンディの日が沈んできて、気がつけばそろそろ帰る時間だ。

「送ってく! 自転車持ってくるから、ちょっと待っててくれ!」
「その必要はない。それに、ふたり乗りは危ない」
「いーからいーから! こっち来てもらったんだしさ!」
「……多果宮サクリ、あなた──」
 こがれは何かを言いかけていたけれど、話を最後まで聞かずあたしは家まで駆け出した。急いで自転車を引いて、元の場所に戻って来る。こがれはあたしを見てなぜかため息を吐いた。



 オレンジソーダの少しひんやりとした心地よい風に吹かれながら、あたしはこがれを後ろに乗せて自転車を漕いだ。背中からこちらに回された彼女の腕は、意外と細くて。こがれが親父に勝ったとき、一体どこにそんな力が隠されていたんだろうと不思議に思った。ふたりで乗っているからドーナツの車輪はいつも以上に悲鳴を上げているけど、それもなんだか歌っているようにさえ聴こえた。苦しんでたとしても、いじめ抜いてやるけど。そんなことを考えていると、あっという間にこがれの家に辿り着いてしまった。気がつけば日は沈みきって、ハッカキャンディの月が照らす夜が訪れていた。
 ……あーあ、これで今日も終わりか。ちょっと寂しいな。
 そう思った瞬間、ふと背後から言葉を投げかけられた。
「今日はこのまま、家に泊まればいい」
「え!? いいのか? こがれんちに!?」
「……やむを得ないから。部屋も余っているし、弟たちも反対はしないはず」
「やむを得ないって、なんでそんな、渋々──」



 ……あれ?



 急にからだに力が入らなくなって、あたしはよろけて、地面に倒れ込みそうになった。こがれに咄嗟に受け止められる。

「だから言ったでしょう。身を削るのは非合理的だって。こうなると思っていた。あなたは本当に愚かね」

「……はは。そっか。ごめん」
 どうやら無茶しすぎたらしかった。あたしってやっぱりバカだな。こがれを振り回すだけ振り回して、結局また迷惑をかけてしまった。
「構わない。今更、もうあなたの扱いには慣れている」
「……ありがと」
「……」
 こがれに抱きかかえられて、初めてあたしは友だちの家に招かれた。綺麗に整備された、真新しい広い家。冷え切った『ナイフ』みたいな澄んだ香りがした。なんだか安心するような、恐ろしいような、相反する奇妙な心地に襲われながら、体力の限界を迎えて、あたしは眠ってしまった。

******

「うま! 調理実習で一緒になったときも思ったけど、彼女って意外と料理上手だよな」
「家庭的なのは理想的ですが、性格には難がありますがねぇ」
「こがれ姉さん、今日、楽しかった……?」
「……多果宮サクリには散々振り回された。相変わらず多ニンのことを計算する能力が彼女には欠如している。でも」

 ──そう、悪くはなかった。



 夢を見る余裕もないほど深い眠りについている中で、微かにあたしの耳は彼女たちの言葉を聞いた。無意識のうちに、密やかに、あたしの寝顔はきっと笑ってた。


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