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犠牲とは

犠牲、





色んな場面で使うことがあるかもしれない言葉





私の犠牲、それは私です





夢を叶える為に世が普通とする人生を捨てたこと





時間とお金を消費すること





他にもあると思いますが1番きらいなのは

死にたくなるのは





誰かの為に私を犠牲にすることです





私の感情よりも誰かの感情を優先して行動している時、





ネガティブな私の頭の中はいつも

私と一緒にいて不快にならないか、我慢していないか、楽しんでくれているのか





ずっとずっとそんなことばっか考えています






しょーもないでしょ、気にすることでもないこと
ずっと考えてんの





誰かを気にして、私がどうしたいとか私のためにできる時間や労力を犠牲にするのはこんなにも辛いのかと

こんなにもおかしくて哀しいのかと





誰かの希望になりたいだとか、誰かの為に働きたいだとかそう思いたいけど

自分のことすらまともに救えてないんですよ




私が生きてるから害が生まれるだとか
私の人生が間違っていたからだとか
怒りや悲しみの矛先が全て自分になり自分を傷つけてしまうことを当たり前にしていて





私だって私として生きてていいんだよって思いたかった、今まで選択してきたこと全て間違ってないよって自信もって肯定してあげたかった





そんな暇もなく排他的に過ごす日々と自分の感情が追いつかないギャップが苦しくてしょうがない




人は誰しもいろんなものを抱えて生きてるし

いろんな考えの人もいるけれど、





人を犠牲にしてることに対して当たり前のようにのうのうと生きてる人間に多少なりとも
憤りを感じることがある





みんなみんな忘れてのうのうと生きてるんです

多分私もどこかでそうして生きてしまっているのかもしれないね





  過去に固執してる自分が惨めで情けなくてしょうがない





どうしようもない感情の量に疲れるし

幸せだと感じたかった





私は私でいいと思いたかった





私が納得する何かになれたらそう思えるのでしょうか





私を救えるのでしょうか





早く、早くじゃなくてもいいから、お願いだから

もう誰も私を犠牲にしないでください

そして誰かも、あなたも、自分を犠牲にしないでください





生きたい、生きようね





呪われた人生でも








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