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追憶の「笑わせろ!」

先日、いつもここから山田さんのツイートを引用RTした↓


いつもここからを認識した番組の世代別調べ、とても懐かしい!
ここで出てきた「お笑い向上委員会 笑わせろ!」という番組、実は私が中学時代、お笑いにハマる全ての始まりとなった思い出深い番組なのだ

山田さんのおかげで青春時代がブワッと蘇った

そんなわけで「noteで笑わせろのことを語りたい!!」という思いが溢れて今書いているのだが、愛しすぎて胸がいっぱいになり全然まとまらず長文になってしまい…

とにかく今回は、この番組について語らせていただきたい


-お笑い向上委員会 笑わせろ!とは

お笑い向上委員会 笑わせろ!は1997年10月〜1998年9月にテレビ朝日で放送された、深夜のお笑い番組である
1998年4月からのレギュラー出演者は海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)、Take2、X-GUN、U-turn(土田晃之さんのコンビ)の4組

ちなみにこの4組は東京ギャグライターズバンド(TGWB)という名義の作家団体として構成も行っていた

豪華な出演者で人気番組だったのだが、今となってはネットで語る人はほとんどいない
十数年前まではファンサイトがあったはずなのだが…
今やお笑い向上委員会というと、世間のイメージはさんまさんの番組なのだろう

このエンディングコーナーでいつもここからは毎回「悲しいとき」を披露していた


-番組内容

番組内容に関しては、wikiに驚くほど詳しく載っている(きっとコアなファンが今もいるのだ…)

コーナーや番組構成が細かく書いてあって本当に懐かしい

こんなに熱くなっているくせに、実は私が見ていたのは1998年4月からの半年分だけだ(それまで番組を知らなかった)
その半年間、番組はライブ会場で公開収録されたものを放送していた


最初に4組8人によるオープニングトーク
ここではX-GUN西尾さんのギター演奏に合わせて即興の歌を歌ったり、視聴者からのハガキを紹介したりもした

次に出演者とグラビアアイドルの女の子も交えたコントを何本か披露
wikiにあるようなシリーズ化されたコントがいくつもあり、一番盛り上がるメインコーナーだった

その後は若手の芸人数組によるネタのダイジェストや、ビビるとアクシャンによる「水泳帽ブラザーズ」(水泳帽を被った大木さんと杉崎さんが音楽に合わせて動き、翻弄される大内さんと安井さんが面白かった)

最後にいつもここからの「悲しいとき」とともにエンドロール、という流れだった

去年気づいたのだが、実はこれ、雰囲気が現在のお笑いライブ配信とさほど変わらないのだ
当時のネタ番組は大きな演芸場か観客を入れたテレビスタジオでの収録が多かった
そんな中、東京の小さな会場でのお笑いライブをそのまま深夜番組として流していたのは画期的だったと思う

暗幕の舞台にお客さんたちの興奮した笑い声…
私は当時東京のお笑いライブに行ったことはなかったが、テレビからでもその空気を感じるには十分だった


-出演者について

当時流行っていたボキャブラ天国で大人気の4組がレギュラーだったため、ボキャブラを見ていたファンのほとんどがこの番組も視聴していた

静岡の超絶ど田舎住まいだった私ですら、この笑わせろを見ているという共通点で中学の友達が何人も増えたくらいだ
(大勢の同級生とお笑いの話でワイワイできたのは、私の人生でもこの時だけだ…)

私は特にX-GUN推しで、子供番組のどエロいお姉さんや女子高生からおばちゃんまで、女性を演じたらピカイチの西尾さんと
一発ギャグがスベっても爆笑を生み、共演者も笑ってしまうほど熱演する「ガネパパ」コントで大活躍の嵯峨根さんが大好きだった

ネタのダイジェストコーナー(と言っても結構ちゃんと時間割いてた)にはアリtoキリギリス等、レギュラーではないが同じくらい大人気のキャブラーも出演したりと豪華絢爛!

そしてボキャブラでも見ることのなかった超若手芸人もたくさん出演していた
ここで初めて見た芸人がその後オンバトで活躍したりしていたので、本当に青田買いのようなコーナーだった

実は公開収録になる以前は、東京での様々なお笑いライブを放送していたそうだ
その名残でこのような若手によるネタのコーナーができたのだろうか
大昔に見たお笑い雑誌にその時代の出演者一覧があったのだが、なんとあのネプチューンや号泣も出ていたとか
出演時期によっては島田さんとか10代じゃないの?!10代の号泣の漫才見たかった!

青田買いという意味では、いつもここからはこの番組で見つかったのではないかと思う
笑わせろが終了し、まだオンバトも始まっていなかった時期に突如「がぶ飲みミルクコーヒー」のCMに起用されて悲しいときのネタを披露していたからだ
3〜40代なら「がぶ飲みしたいとき〜」のCMを覚えている人も多いはず


-番組の終焉

9月ごろ、笑わせろの番組途中に毎回出る観覧募集のテロップが出ていないことに気付いた
まさかね…と思っていたら、その月末で笑わせろは終了した
私は言うまでもなく大きなショックを受けたが、ちょっとだけ「やっぱり…」とも思ってしまった

と言うのも同じ時期にボキャブラ天国も終わり、深夜のネタ番組やお笑い雑誌までも減っていった
キャブラーによるお笑いブームの終焉をを感じ取っていたのだ

笑わせろはコンスタントに高視聴率を取っていたそうだが、テレビ局や制作会社からは過去の人たちと思われてしまったのだろうか
視聴率が原因ではなかったのに終わってしまった理由は分からない

ただ、私のように終了を惜しんだファンが多かったことは間違いない


-番組終了後の話

多くのファンを悲しませた笑わせろの終了

最終回のエンディングでいつもここからが
「悲しいときー、笑わせろが今日で、終わってしまうときー」
と告げたとき、客席から悲鳴があがっていたのを今でも覚えている

そんな人気を無視できなかったのか、そして出演者たちもまだやり続けたい気持ちがあったのか、放送終了から半年後にTGWBのライブとして笑わせろが復活したのだ!

しかし…地方の私はもちろん見にいけなかったため、お笑い雑誌のライブレポで内容を知るしか無かった
さらには様々なコントにおいて重要なキャラを演じていた、有田さんが当日まさかの病欠!
リアルラッパーとか村木廣志は彼じゃなきゃできないのに…

「でもライブで今後は定期的にやってくれたら…」と熱望していたが、2001年のU-turn解散でそれも叶わぬ夢になってしまった
引退された対馬さんもいなくては笑わせろは成立しない

私の青春時代を彩った華やかなお笑い番組は、こうして幕を閉じた


-個人的な影響

笑わせろとボキャブラが終わってお笑いを見なくなった友人も多かったが、私はその後もお笑いを見続けた
笑わせろが恋しすぎて、その面影を追っていたのだと思う
各事務所ライブのビデオや半年後に始まったオンエアバトルも初回からチェックしていた

結果としてそのことが、私をさらなる素敵な出会いへと導いてくれた

そして笑わせろのキャラ立ちしていて華がある派手なコントをたくさん見ていたおかげか、その後の出会いは皆とてもセンセーショナルで特別なものになったのだ


まずオンバトで初めて見た、関西のライブシーンを賑わす芸人たちのしゃべくり漫才
笑わせろとは全く違うベクトルの華やかさと面白さで、ますだおかだやハリガネロック、中川家、ルート33等には本当に圧倒された
中川家はこの頃から中国人や駅員、サラリーマンのモノマネで爆笑を掻っ攫っていたからすごい

そして関東の若手漫才師も刺激的だった
号泣、18KIN、三拍子、磁石…正直笑わせろのメンバーに比べるとちょっと地味だったけど、マイク1本、喋りだけで勝負する彼らは新鮮で一気に大好きになった

号泣を初めて見たのはホリプロ賞レースのビデオだったのだが、失礼ながら見た目普通のお兄ちゃんがあんなに面白い漫才(少々ブラック)を淡々と繰り広げる姿が本当に衝撃で…
そのギャップ萌えから恋に落ちたと言っても過言じゃない

ちなみに動きも少なくいつもぴったり寄り添って漫才してたから「号泣はみかん箱一つ分のスペースしか使わない」と昔ネットに書かれていたが
みかん箱漫才師のファンだった私が今、舞台いっぱいに飛び回るランジャタイのファンになったのもギャップ萌え?笑
人生何が起こるか分からない

何はともあれ笑わせろがなかったら、こんなに長い間愛し続ける漫才師に出会うことも無かったから本当に感謝している


-出演者と番組への愛

笑わせろの好きな点はいくらでも話せるが、一番はやはりメンバー、これに尽きる

8人の和気あいあいとした雰囲気が本当に大好きだった

ちなみに放送終了から数年後、同じテレ朝の「銭形金太郎」と言う番組でくりぃむのお二人と土田さん、東さんが楽しそうに共演されていた
とても笑わせろを彷彿とさせるメンバーである
司会がネプチューンだったこともあり、キャブラー全盛期の楽しかった時代を思い出さずにはいられなかった

私がお笑いというこんなにも素敵な世界の扉を開けることができたのは、笑わせろとその出演者、キャブラーのおかげだ
この世代の方々には、オンバト出演者とはまた違う、特別な思いを抱いてしまう


日本のお笑い界におけるボキャブラ天国の功績を讃える話はたまに聞くが、それならどうか笑わせろも忘れないでほしい

豪華な出演者に加えて新たな若手を発掘する役目を果たし、当時の東京のライブシーンをテレビで伝えるという斬新かつ貴重だったこの番組
きっと重要な歴史のひとコマだと思うのだ

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