いっそ嫌いになれたらどんなに楽だろう

昨日は先週末からの頭痛や体調不良を引きずっていて、朝から体が重たく気分も少し沈んでいた。
しかし、今日はアルバイトの日だし、子どもたちはいつも通り起きてくるので朝の支度をし、旦那氏と子どもたちを送り出した。
昨夜天気予報を確認した時は雨予報だった空は、少し雲はあるものの雨の降る気配もなく柔らかい日差しが差していた。


マイキーに乗って職場へ着くと、昨日に引き続きアメリカは国民の休日だったらしく、Yナンバーの車で駐車場はいっぱいになっていた。
タイムカードを付けて手早く支度を済ませて状況を聞きに行き、すぐに仕事に取り掛かった。

11時を過ぎた頃にはお店は落ち着いて、予約のお客様がちらほら来店されるくらいになった。
することがなくなると落ち着かない私は、店の表を軽くほうきではいたり、窓を拭いたり、洗い場に溜まっているグラスやカップを慎重に洗ったりした。
グラス、カップ、プラスチックのカップに分けて、新規のお客様が来ないかちらほら表の方を振り返って見ながら慎重に、慎重に洗った。

その後も特にお客様ラッシュはなく、今日は無事に仕事を終えられた。
今日のまかないはチキン南蛮弁当だった。
鶏胸肉なのにあんなに柔らかく、衣はフワフワ優しかった。


帰宅して、軽くフラフラしていたので体温を測ると37.5度。
あー、この感じ知ってる。連日続いたら危ないやつだ。
とりあえず、やることやったら横になろう。
「なんとなく体調悪いけど、横になる程でもない。」
この中途半端な具合がしばらく続いて、数ヶ月前に痛い目を見たので、
同じことにはならないようにしなきゃと。


柄にもなく、連絡してみようかなと思いついた。
特に目的はないが、ただ、話してみたかったんだと思う。
あの人は夕方まで仕事なので、ラインで「仕事終わったら連絡して、特に何かあったわけではないから心配しないで」とだけ入れておいた。
ただ、世間話がしたかっただけなんだと思う。
誰かにちょっと話を聞いて欲しかっただけなんだ思う。
別にあの人じゃなくても良かったのかもしれないけど、でもふと、頭に浮かんだのはあの人だった。
柄にもなく。本当に柄にもなく。


夜になり、家の人たちも帰宅。
今日は旦那氏が食べたがっていた三色丼。
作るの楽なのに喜んで食べてくれる挽肉料理に助けられていますよ。
デザートの柿を剥いている時に電話がかかってきた。
剥いた柿を食卓に出して、電話をかけなおした。

入り出しはうまく話せていたと思う。
お互いちょっと笑ったりもしたし。
どこで脱線しちゃったんだろう。多分大学退学のことかな。
ただ話を聞いてもらうつもりが、いろいろ決めつけられて、判断されて、諭される方向に向かってしまった。
私の話し方や連絡をとるタイミングが悪かったんだろうなーと思いながらも、「とりあえずモヤモヤを吐き出して気持ちを整理したい欲」は解消されることもなく、さらには古傷をえぐられたような気持ちになって、電話を切った後ちょっと涙が出た。
世間話を持ちかける相手を間違えちゃったな、と思った。


実家にいる頃は、あの人とどんな話をしてたっけ。
業務連絡みたいなことしか思いつかない。
感謝というよりは罪悪感が大きい。
言われた言葉はずっと奥に刺さってて、思い出すたびに痛む。
いっそ、一方的に嫌いになれたら楽なんだと思う。
恩があるばっかりに、縁があるばっかりに、
私が、またはあの人が生きている間ずっと、この気持ちは付き纏うんだと思う。
何を許してのか、何を償いたいのかははっきりとは言えない。
いっそのこと向こうから突き放してほしい。
私から突き放すことなんて、多分出来ない。

子どもたちがいるおかげで、話題が出来てとても助かっている。
私のことをあの人に話したって、いいことなんて今のところないから。