肉や魚介に太刀打ちできない
ベジタリアンではないし、特定の宗教を信仰しているわけでもないが、肉や魚が苦手だ。幼児期は比較的なんでも食べられたのだが、小学生になったあたりから突然苦手になった。
味というより、におい、そして特に食感が苦手だ。そのせいで人と食べに行くと結構困る。本当に申し訳ないと思う(でもどの店にも1品くらいは食べられるものがあるのであまり気を使わないでいただきたい…)。
私が特に苦手とするのは脂や皮で、肉の場合はそれらを分離させればいけることがある。きれいに脂肪が入った上等な肉や、脂の乗った旬の魚はつらい。ミンチ、加工肉は全般的にOKだ。そして肉も魚介も加熱処理が必須。ホルモンや肝などの内臓や軟骨はどうしても飲み込むことができない。魚卵系はとびっこや数の子のように粒が小さいものは生でもいける。
ただの好き嫌いだと思っていたのだが、最近は加工肉でさえも「今日は無理」な日があり、さらには大好きな玉子でさえ重く感じる日がある。
このしんどさは何だろうか? と考えると、要するに「元の肉体」を想起させるものが苦手なんだろう。「元の肉体」を感じにくい姿になるほど食べやすい。加工肉や玉子など「肉体」から遠いと感じられるものは割と平気で、軟骨やホルモンが特に苦手なのはそういうことなんだと思う。しかし体調により、いつもなら平気なものすら抵抗を感じることがある。
私は食事の際に元の姿を想像してはいないし、いちいち精肉加工の残酷さなどを意識してもいないし、倫理的に動物を食べてはいけないとも思っていない。食事に罪の意識も持っていない。肉や魚を食べる人を軽蔑することもない。その人の好きにしたらいい。
ただ、私は他者(この場合、家畜や魚介類)の身体の一部を食べるということに無意識下で抵抗があるのだと思う。なぜそうなったかはまったくわからないのだが、食肉と動物の境界線が一般とちょっとズレている(もしくは曖昧)と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
これを読んで「めんどくさい奴だな」と思われた方も多いとは思う。しかしこの偏食で一番厄介に感じているのは自分なのだ。
まあそういう人もまれにいる、ということを知ってもらえたらそれでいい。
これだけじゃなんなので、ちょっと不思議な話を。
私の母は好き嫌いがほとんどない。海育ちのため海産物は得意だ。しかし、私を妊娠している間だけ生魚が食べられなくなったそうだ。弟のときはそんなことはなかったらしい。弟も好き嫌いはない。
これが私の偏食と因果関係があるのかどうかは不明だが(多分ない)、ちょっと気になるエピソードではある。
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