見出し画像

子は公園で育つらしい


いつも通っている美容室に行くと、

少し前まで塾で働いていたのもあって


美容師さんから、
お子さんの受験や勉強への

お悩み相談を受けることがある。


例に漏れず今回もそうだ。

親側の目線で子供はそう見えているのかと
気づくこともあり、毎回楽しんでいるのだが


ただ、一つ困るのは、

言ってもなかなか勉強しないとか、

やりたいことがないらしく進学先に悩んでいるとか、


そう言った "よくある悩み" を
僕自身が一切経験していない

ということだ。


ただ髪を切ってもらっているあいだ、
ひまなのでちょっと考えてみたい。



僕の両親は、
本人たちが言うには放任主義らしい。


ちなみに、二人はいまだに

学部・修士課程・博士課程のシステムを
よくわかっていない。

子供が二人とも大学院に進学しているのに、だ。


それでも良いというざっくり感が
何ともいえない我が家らしさでもある。


しかも、たまに家のプリンターで論文を印刷していると

"英語" に触れているだけですごい

という粒度感で褒めてくれる。


理系の大学院生を
中学生みたいな想定で捉えているようだ。


非常にほのぼのする。


気分なのか、
どんな研究をしているか聞かれる時もあるが

話し始めると、
明らかに途中で思考を放棄し始める。


両親からすれば、

僕が何に興味があって
何のために研究をしているのか、

そしてなぜ大学院にまで行ったのに
研究とは関係のない就職先を選んだのか、


多分わかっていないと思う。

でも「それでいいや」と言わんばかりである。


僕の考えを理解することを諦めているのか、
単純にのほほんとしているのか。

僕にもさっぱり分からない。



小さな頃から清々しいほどに
両親のスタンスは一貫していた。


「ケーキ食べたい!」

「作ればいいんじゃない?材料買ってくるから教えてー」


「大学に入って原子力発電の勉強がしたい」

「やったらいいんじゃない?何が必要か自分で考えて」


「京都大学を受験したい」

「受けたらいいんじゃない?してほしいこと言って。」


一見、雑というか、適当というか。

常にこのテンポとクオリティで会話が進むのだ。


ちなみに大学受験の時は、

  1. 追加で大学別模試を3回受けること

  2. R-1ヨーグルトを定期的に買ってきてもらうこと

の2個をお願いした記憶がある。


1についてはよく分からなかったのか
「そんなのあるの?」みたいな感じだったが

2は嬉々としてやってくれた。


わかりやすくて非常に助かる。

ドヤ顔で「買ってきたよ!」と言い
冷蔵庫に詰めてくれていた。


非常にほのぼのする。



思い返しても、

何かを咎められたことはないし、
やりたいことには惜しまずに投資してくれた。


今思うと、両親は僕に対して、

ずっと公園と遊具を作ってくれていたのだ。


場所と材料だけ用意して、
遊び方は自由に決めさせてくれていた。


あの遊具で遊べ。

あれは使っちゃダメ。


そんなことは一切言わずに、

どう遊びたいか、
そのために何が必要か考えさせ、


環境だけ作って遠くで見ていたのだ。


もうすぐ社会に出るタイミングになって

ようやく今の自分を形作った
両親の姿勢が理解できてきた。



感謝の気持ちを伝えたくなってきたが、
今は散髪中である。じっとしていないといけない。


なんとなくスッキリしたので、美容師さんには

公園を作ってあげてください。


そう言って店を出よう。

きっとのほほんとした子に育つだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?