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「あいうえお」から慶應合格まで

2009年、
私は日本の大学入試
専門の塾に通い始めた。

ひらがな、カタカナは
なんとかマスターしたものの、
これから何をどう準備していくべきか
全く見当がつかない。

日本留学試験の点数で
良い大学に行くには
日本語、公民、数学の
3つの科目を全て受け、
高い点数をとる必要があったので、
とりあえず、日本人の先生が教えてくれる
社会科目(公民)の授業に登録。

①公民
授業は日本語で行われるとのこと。
何も聞き取れずパニクることを覚悟の上、
授業に出てみた。

おおー聞こえる!聞こえる!
日本の番組を見てきたこともあり、
意外と先生の話がすすすっと
頭に入ってきたあの時、
ミョーな快感すら感じた。

先生の話を聞きながら、
理解した内容を
レジュメに韓国語でメモしていく。
レジュメにはフリガナも付いているので、
漢字が分からなくても、
読んでみて分かることも多かった。
先生は、説明が上手な方で
授業も楽しかった。

当時CASIOから
書いた漢字を認識し、
意味を教えてくれる画期的な
電子辞書が発売されたので、
そこもかなり役に立った。

知識を積んでいけば
解ける問題も増えてくるので、
先生の授業に出て、復習を繰り返した。

②日本語
日本語は、日本語能力を高めるより
答えを見つけるスキルベースの内容で、
韓国人先生が担当していた。

ただ、日本語の授業は
先生が1時間半の授業に対し、
遅刻、早退を繰り返しす人で
実質的に60分の授業だったため、
不満があった。

先生は口だけ上手い人で、
学生一人ひとりに
なぜそれが答えだと思うか
聞いていく形式をとっていたが、
冷静に考えると、
自分が正解した問題に対して、
ほかの生徒が間違った答えにたどり着く
そのプロセスを聞いている
その時間にお金を払う理由が
見つからなかったため、
1ヶ月で受講を辞めた。
無駄な時間だった。

日本語は、300点満点と配点も高いし、
全く何の練習もしないのは不安、
ほかの先生の授業はないし、
そういうカンナムの学生たちが、
仕方なくその先生の授業に出ていた。
楽して稼いでるなと思った。

当時の日本語科目は
聴解、聴読解、読解の3つのパートで
構成されていた。
聴くことにはあまり抵抗がなかったので、
聴解、聴読解は問題なし、
読解の場合、文章の最後に答えが
あることが多く、
スキルで解決できるものが多かったため、
こちらもそこまで問題はなかった。

③数学
問題は数学だった。
数学は問題を解くだけなので、
韓国人先生による授業に出ていた。
過去問を解いていく基本クラスと
先生が作った問題を解いていく
応用クラスがあったが、
自分は基本クラスしか
受けなかった気がする。

数学はプロセス完成形。
問題を解いていくその過程が書いてあり、
ブランクになっているところを
埋める事が求められる。

そのため、
途中で計算を間違えてしまうと、
次々と連鎖的に倒れていくドミノのように
1つのプロセスが
終わるまでの計算が全て間違ってしまい、
大きな失点に繋がる恐ろしい構造。

もともと数学はそれほど得意じゃない上、
計算ミスによる失点が多かったため、
最後までずっと自信が持てなかった。

案の定、2009年の試験で
日本語、公民では高得点をしたが、
数学で130/200と
大きく点数

2010年慶應の入試で
不合格となったため、
若干トラウマ気味。

受験は2年目に突入、
2010年の6月の試験に
勝負をかけることにした。

日本留学試験(EJU)は、年に2回ある。
6月の試験で高得点できなくとも、
11月の試験で高得点できれば
11月の試験の点数で出願することができる。

ただし、
6月の試験で高得点できない場合、
11月の試験に対する負担が大きくなるという
心理的圧迫だけでなく、

慶應、早稲田のような私立大学は
11月の試験の直後に
出願が始まるケースが多いため、
11月の点数が分からない状態で、
手応えのみを頼りに
エントリーすることになる。
非常にリスキー。

特に早稲田の政経で
EJUとTOEFLの点数(+書類)だけで
出願する「渡日前」方式の場合、
9月出願なので、
そもそも、その年の11月の点数が使えない。
比較的に出願が遅い国立大でも
小論文などの学内試験があり、
そっちの対策にも時間がかかる。

以上の理由から、
EJUでは、6月試験で高得点した方が
有利になる。
実際、東大、京大、一橋、
そして慶應、早稲田の人気の学部に
受かった学生さんたちは
6月の試験で高得点したケースが多かった。

そんな中、
2010年6月試験を迎える。
日本語、公民をなんとか大きなミスなく
乗り越え、一番の山場、
数学の試験が始まった。

過去問を解く際、
いつも感じてきた
「これ、合ってるか?」という
モヤモヤ感がなく、
分からない問題もなかった。

2010年の数学試験は
例年より難易度が低かった。
ラッキーだった。

「おおーこれなら慶應行ける!」
と、テスト中に興奮したのを
今でも鮮明に覚えている。

秋頃、6月の結果が送付された。

720/753
100点満点換算で
96点。

日本語、公民で少しだけ失点、
数学は186/186
満点だった。

留学試験は
問題の難易度によって
問題の配点も、満点も変わるので、
難易度の低かった数学試験は
自分には好都合だった。

EJUの点数だけでは
東大、京大、一次合格レベル。

東京にある大きな総合大学に通いたいという
気持ちがあったが、
東大は年齢制限で出願すら出来ず。
京大、一橋は出願すらしなかった。

まぁ東大、京大は
出願したとしてもTOEFLで落ちたと思うが。

結果として
2010年9月
早稲田大学 政治経済学部 合格💮
2011年1月
慶應義塾大学 商学部、経済学部 合格💮

そして、早稲田の入学金を諦めて
慶應の経済学部に進学を決めた。

今までを振り返ると、
早稲田の人の方が
波長が合う率が非常に高く、
当時早稲田を選ばなかった事を後悔する。

大隈重信さんとは
下の名前も一緒だし、
何かの運命だったかも知れない。

まぁ機会費用って
そんなもんか、
慶應で得られたものもいっぱいあったし。

そして、
2011年4月、
震災間もない
自粛の雰囲気漂う中
日本に渡った。

そこでカオスな大学生活が始まる。

つづく