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「一生愛してる」の時効って何年なんだろう、という疑問。

ここ十年ぐらい、恋に敗れすぎて満心創痍で、
そのせいで「一生愛してる」というハイボルテージな言葉を言えなくなった。

恋とか愛を一度冷めた目で見てしまうと、「一生」の重みも「愛してる」の重みも本当によくわからないなって思うし、
無駄に覚悟を決めて、感情的な大技ダイブを飛んで、愛してるって言ってまた傷つくのも嫌だし、
そんなこんなで言いたい理由よりも言いたくない理由の方が増えてしまった。

だからもう「愛してる」とか「一生愛してる」って不可解すぎて言わなくなったし、こわすぎて言えなくなった。

でも、今までの二十二年間の人生の中で「一生愛してる」って、何回言ってしまっただろう。

ティーンエイジャー特有の無知と浪漫と自信、
そしてラブコメやラブソングの過剰摂取に背中を押されて、
きっと十代の頃には「甘いもの食べたい」と同じぐらいの頻度で「一生愛してる」とか「ずっと一緒にいようね」という言葉を口や指先から発信していた気がする。

その言葉の重みなんてよくわからないけど、「言ったら何か起きるかも」みたいなよくわからない期待を抱えてとりあえず言ってみていた。

ハリーポッターを読んだ後にとりあえず鍵のかかったドアに向かって「アロハモーラ」とか言ってみたくなっちゃうのと同じ。

でも現実世界の「アロハモーラ」と一緒で、「一生愛してる」なんて言っても、
発生することなんて、なぜか期待してしまった自分へのちょっとの失望と、開かない扉への落胆ぐらい。

最近「一生愛してる」と自分が最後に言ってしまった時のことを考えていた。

高校生の時に付き合っていた大好きな人がいて、でも私がなんだかよくわからない理由で別れを切り出して、そのまま別れてしまった。
でも、その人のことが忘れられなかった。

忘れられなかったから、別れてだいぶ経った後に、
その人に手紙で「一生愛してる」だったか「ずっと待ってる」だったか、
何か「長期的な時間の曖昧な表現」と「愛してる / 好き / 待ってる」の組み合わせみたいなことを言ったことを覚えている。

それから数年経って、その人はもう思い出になったけど、
なぜか最近まで「でも言っちゃったし、ずっと待ってないといけないかも、一生愛してた方がいいかも」みたいなことを時々考えていた。

それで「一生愛してる」とか「ずっと待ってる」の時効っていつなんだろう、と考えていた。
いつまで待ったら、愛したら、やめていいんだろう。

でもそんなことを考えていたら、また別の恋人を思い出した。

高校一年生の時、半年ぐらい付き合っていた優しい男の子がいた。
高校生になる前のバレンタインから、同じ年の秋ごろまで付き合っていた。
その人ともよくわからない別れ方をしたから、彼はすごく落ち込んだ。

そして最後に「一生愛してるから」と言われた。

全然信じたわけじゃないけど、一生愛してくれるなんて、すごいなって思った。
こんなに性格が悪くてかわいくない自分に別れ際に「一生愛してるから」なんて言ってくれる人、もうこの人以外いないかもなと思った。「どうせそんなこと言うのは今だけで、すぐ冷めるよ」って言って別れたけど。

私、本当に優しくない十五歳だった。

でも二年ぐらい後になって、ひょんなことから彼の話をしていたら、
彼の友達に「あいつ、もうさすがに大丈夫だと思うけどまだちょっと引きずってるかもよ」と言われたことがあった。

その時、「彼は本当に『一生』愛してくれたんだ」と思ったことを今でも覚えている。

別れた後に、二年間も「好き」と少しでも思い続けてくれているって、
きっとあの「一生愛してるから」は本当にそうだったんだと思った。

その後、彼は大学に行って違う人と付き合ったらしい。
でも、いつもはシニカルな私が「一生愛してるなんてやっぱり嘘じゃないか!」とは思わなかった。

とりあえず「一生」が一旦終わったんだな、と思った。

だから、私にとっては「一生愛してるから」の時効は二年ぐらいな気がする、というつまらない結論に至った。

そんなわけで、もう過去に「一生愛してる」って言ってしまった人たちのありもしない影を追うのはもうやめたし、
次に「一生愛してる」と言う時は二年ぐらいは絶対に愛せる自信のある相手に言うことにした。

今まで「一生愛してる」って言ってしまった人たちと飲みにいきたい気がしてきた。
でもそんなハイリスクノーリターンっぽいことはやめようと思える理性もそろそろ芽生えてきてしまった二十二歳。

一生愛してると歌うWhitney Houstonへの憧れと疑いを胸に、
きっと今日も夜遅くまでラブソングを聴きながらくだらないことばかり考えている。

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