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私には、それほど長く付き合うことはできなったけれど、親しい友人がいた。
かわいらしい人だった。
真面目で、真面目過ぎてたまにびっくりするくらいで、ちょっと臆病で、優しい人。
周りのことばっかり気にして、いつもニコニコ笑っていた。
でも繊細で、強がってるのに素直に泣ける人だった。
私はハグが好きで(当然許可を得てからハグするし、異性の場合は控える)、久しぶりに会えば彼女にもハグするのだけど、彼女は戸惑いながらもギューッと抱きしめ返してくれていた。かわいいのだ。
お互い独身のままなら将来は独身の人間たちで一緒に住もうか、なんて話もしていた。
私が結婚したときは喜んでくれたけど「一緒に住む話はどこへ」とちょっと怒られた。ごめん。
まだ思い出として話すことが難しい。
それにおそらく、彼女はこういう風に文章として自分のことを書かれるのは嫌がるだろうタイプで。
でも少しだけ書くことを許してほしい。
ゆるやかに彼女の体調が悪くなっていたある日、彼女と連絡が取れなくなった。
共通の友人知人に聞いても同じだった。
今のようにLINEで連絡が取れなくて、頼みの綱は電話とメールのみ。
LINEのように既読でもつけば安心できるけど、メールは一方通行。
電話してみたものの、電源が入っていないという旨の音声が流れてきた。
思い切って実家に電話したが誰も出なかった。
それでも諦めずに何度かメールを送ると、メールが届いた。
普段とは違う病院に入院していることを知らせる簡潔なメールだった。
後から考えると、あれはお母さんからのメールだったのだと思う。
返信したけれど返事はない。
だいぶしんどいのだろうと想像できた。
あまり良い傾向とは言えないけれど、ひとまず所在がはっきりしたので安堵した。
そして次に届いたのは、明確にご家族からのメールで、彼女の訃報を告げるものだった。
なんとか都合をつけてお葬式に参列できた。
綺麗なお顔をしていた。会えて良かった。
細かいことは省く。
彼女はいろいろと決めていたようで。
自分の死後、誰に連絡を入れるかお母さんに話していたらしい。
それまでは誰にも知らせるなということにしていたらしくて。
あらやだ、みずくさい。
せめて入院したことは教えて欲しかったなぁと思わなくもないけれど、彼女の決めたことだ。文句は言えないし言うつもりもなかった。
ただお母さんとしては、しつこくメールを送ってきた私を鬱陶しく感じたかもしれない。
本当は入院先も教えたくなかったかも。そこは申し訳なかったと思っている。
命日にはお花を送った。
彼女の好きだったお花を入れてもらって、ピンク系で割と明るい花束にしてもらっていた。
七回忌を区切りとして、お花を送るのをやめた。
いつまでもお花が届くというのは、いずれご家族に負担がかかると思っているからだ。
やめどきがわからなくなるし、七回忌は一つの節目だ。
そう思った最後のお花と手紙に、お母さんからお礼の品が届いた。
お菓子と、マスクが手に入りにくいあの頃、手作りマスクを何枚か一緒に送ってきてくれた。
私が感染しないように、気をつけるようにと手紙に書かれていた。
ありがたかった。
あれ以降お母さんと連絡を取ることはない。
お母さんやご家族が体調を崩すことなく過ごしておられると良いなと思う。
彼女が旅立ってから、時折考えることがある。
私はどんな最期かな。
私は死後、誰に連絡を取ってもらおうかなと。
どうしても知らせて欲しい数名は夫に伝えている。
そこからはたぶんそれぞれがいろんな人に知らせてくれるだろう。
私は彼女ほどきちんと考えられる人間ではないし、私の友人は皆情報網がすごい人たちなのだ、もう連絡は彼らに任せてしまえばいいかと思っている。
SNS系はどうしたものか。
いきなりアカウントが消えるというのもアリと言えばアリだが、私にも多少は心配してくれるフォロワーさんがいる(はず)。
だから、できれば知らせて欲しいなと思う。
例えばTwitterなら、日々流れるつぶやきの一つとしてサラッと終わるだろう。
でもある程度したら諸々のアカウントは消してもらおう。
過去見送った友人たちのアカウントがずっと消えずに残っているのを見て、そしてお誕生日です、とかメッセージが出るとなんとも言えない気持ちになる。
これはこれで彼らの足跡だけれど。
私は完全に消えたい。
…とか、こんなこと書いてるものの、案外私は長生きだろうと思う。
だからまぁ、今はそんな風に考えてるよ程度のものだ。
それにしても、私はまさか自分がこれほどたくさんの友人知人を見送ることになるとは思ってもいなかった。
ああもちろん、入院友だちが多かったり患者会等に属する人たちであればたくさんそういう経験をしているに違いないが、いわゆる健康な、一般的な45歳で考えれば多いだろう。
医療技術の進歩で生存する人が増えた。
それは本当のこと(しかし『治る』わけではない)。
でも一方で亡くなる人も少なくない。
一人一人にとってはその命しかなく、その命が終われば終わりだ。
死は平等だという。
確かにみんな最終的には亡くなる。
だけど、その道筋や年齢、亡くなり方が皆平等だとはとても思えない。
では何が一番幸せな逝き方かと問われても私にはわからない。
ただ願う。
皆それぞれが、あまり苦しくなく穏やかに旅立ってほしい。
そして自由に。
たくさんしんどい思いをしたのだから、どうか自由に。
また会いたかった人がたくさんだ。
そのうちの一人に彼女がいて、願わくば私はもう一度、彼女とハグがしたい。
みんな、長生きしてね。