2000年

あれから20年なんだなと改めて感じている。

生まれてくる我が子が染色体異常、そして複数合併症があり、短命であると宣言されたあの日から。

何がなんだかわからないけど、恐怖と絶望感しかなかったけど、でも産まなければならなかったあの日を。

もし、この2020年であったらだいぶ心持ちは違ったんだろうな。苦難は変わらないのかもしれないが、情報がたくさんある。

ただ。

私は次女に会えたこと。次女を産んだことを一度たりとも『後悔』したことはない。

障害があり『外表奇形』なーんておどろおどろしい言葉を言われたあの日。自分が産む子がかわいいと思えなかったらと

息をする我が子に会えないかもしれないという恐怖。

我が子をかわいいと思えないかもしれない恐怖。

今思うと『妊婦』ではない。相当な『戦士』だ。

闘い続けていたのだ。

我が娘は弱い心臓を打ち鳴らし

確かに特徴的な顔で生まれてきた。

がしかし。心底「かわいい」と思った。もしかしたらすぐに居なくなってしまうかもしれないこの子のそばに

ずっと居たいと泣き叫びたかった。

本当に切なかった。

あの時の空気感が今だに思い出され

しばらくはこの季節がとても苦手だった。

あれから20年。

本当に夢のような20年。


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