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神さまの名札 第一話

C県中南部に広がる田園地帯。桜の花びらを乗せた風が田植えを終えたばかりの水田に波を立たせている。

鮮やかな緑の絨毯となるはずの若苗も肥料も満足に与えられない現状では
心なしか弱々しくそよぎ やがて広がるその景色も薄くかすれたものとなるに違いない。

切り開かれた山林を背に北へと向かえば農地とは異質の平らに均された広大な面、そして小さな山が視界に入る。山はコンクリート製で、中は空洞になっている。掩体壕(えんたいごう)。航空機を匿うための防護施設だ。

米軍の東京攻撃ルートに位置するこの土地はサイパン陥落以後 頻繁に攻撃機や爆撃機が行き交い、都度 上空からの機銃掃射にさらされていた。

この掩体壕を有する海軍航空基地は地元小学校の設備を再利用したもので
3年前に学校関係者、児童そして近隣の住民を半ば強制的に立ち退かせての
急造施設であり、突貫工事による作業従事者の死傷、完成の目処の立たぬ
滑走路などの諸問題を抱えていた。それでも国土防衛拠点としての一役を担い 80機を超える航空機が配備されこの春には一時的に特別な人員を迎えることになり、基地内部はにわかに緊張感を増していた。

1945年。和暦 昭和20年。烏菜木町(うなぎまち)は紛れない戦下にあった。

ーーー

戦闘機が落ちていく。
それは煙をまとい、きり揉みしながら
やがて目に映るほどの火を吹き
地上へと消えた。

「ああ、…ありゃこっちのですねぇ」
山の中腹にある一本杉、その根本になにかがいる。たぬきだ。

「旦那…こっちのがやられちまいましたよ」
たぬきが再び人間には聞こえない声で言うと杉の枝がざわざわと鳴き 次にはドスン、と地面が揺れた。衝撃で たぬきは尻もちを付き 弾みでコロコロと転がった。

「ミてたよ」
声がする。しかし、姿はない。たぬきはもぞもぞと身体をよじらせ 仰向けになり両足を天に向けてピンと伸ばすと小さな掛け声と共に勢いをつけて飛び起きる。

その間、遠く墜落した場所から煙が昇るさまを姿なき存在が黙って見つめている。

たぬきが
「悲しいすね」
と、呟いた。

「…アア」
姿なき鬼、リクサツは小さく、しかしハッキリと答えた。

当初、鬼であるリクサツにとって人間同士の争いは大した関心事ではなかった。この土地の上空を他国の戦闘機が横切るようになってもかつて自分を蔑み、排除し、この杉へと縛り付けた人間が同じ人間に苦しめられているのは愉快でこそあれ、悲しむ道理は無かった。

この鬼の意識に変化が生じたのは、先日たぬきの話を聞いてからだ。

「旦那はね、日本ガ勝とウがアメさんが勝とウが知っタことではナイ、なんて言いますがね…よく考えたほうがいいですぜ。まず…あっしは学があるんで分かるんですが、アメリカにも たぬきはいます…英語で書くとこうです」

たぬきは木の枝を拾うと地面に文字を書き始め
TANUKI という字が刻み込まれた。

「フム…」
リクサツは真剣に聞いている。

「つまり、この日本が負けてアメリカになっちまっても…あっしはアメリカたぬきとして生きて行けるんです。…旦那、旦那は…その…鬼ですから…アメリカには鬼はいません…」
「…」
「…」
「…ン?」
「いないんですよ!? 要は、旦那の居場所がなくなっちまう、ってことです!」
「!!」
「…それに、…アメリカじゃあ悪魔とかそういうモンが商売してるんですよ、日本がアメリカになっちまったら…当然ここいらも悪魔が幅を利かすことになりやす」
「……」
「それに中国のハナシもありやす。あっしはイザとなったら中国たぬきとして…」

時折行われるこの土地上空での航空機戦
リクサツは日本を応援するようになった。

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