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【MBTI】INTPあるある6選

 今回は、自分の性格の特徴を6個挙げてみた。
 これがINTPの特徴なのか、はたまた別の性格タイプの特徴なのか、性格タイプは関係なく個人の資質の問題なのかは不明だが、エンタメの一種として放出する。


1. プレゼントを選ぶのが苦手

 基本的に、自分がもらって嬉しい物をプレゼントに選ぶ傾向がある。プレゼントをもらった相手の反応を見ても相手が本当に喜んでいるのかどうかが判らないので、自分がもらったと仮定した時の感情が想像可能な物を選ぶのだ。
 
しかし、言わずもがなINTPは一般的な感覚からは大きくズレた感覚の持ち主なので、せっかく一生懸命選んだプレゼントも、相手にとってはあまりに的外れな場面がしばしばある。

 たとえば、自分が世紀の名作だと感じた本を友人にプレゼントしたことがあった。だが当の友人はもっとライトな内容の本を好んでいたようで、あまり喜んでもらえなかったし、後にその本の話題が出ることもなかった。
 退職時にお世話になった人へのお礼にと、一般的には菓子折を渡す場面で、自分の好きなフレーバーのキットカットの袋を渡したこともある。微妙な反応だったので、おそらくあまり喜ばれなかったのだろう。

 顕著だったのが、生まれて初めての彼氏との初めてのバレンタインデーだった。
 チョコレートを自作するという発想はなかった。市販品の方が確実に美味しいからだ。ブランド物のお高いチョコレートを買うことも考えてみたが、ブランド物のチョコレートが美味しいとは限らない。味の保証をするには、自分でブランド物のチョコレートをいくつか食べ比べてみて選ぶ必要があるが、そのためには一定額の予算を捻出しなければならない。美味しいチョコレートを選ぶために、プレゼント代よりも高い費用を捻出するなんて馬鹿げているし、学生だったのでそもそもお金がなかった。

 最終的に、「自分が今までに食べたことのあるチョコレートの中で、味を保証できるもの」を「プレゼントに足る金額分」購入してプレゼントするのがベストな選択だ、という結論に至った。今思えば的外れなことこの上ないが、当時は至って真剣である。
 スーパーで買い込んだ大量のチョコレートをレジ袋に入れた状態で渡された当時の彼氏がどう思ったのかは知らない。が、一緒に包装を解いて、コレ美味しいねアレも美味しいねと一緒に楽しんで食べてくれた彼氏には、つくづく感謝してもしきれない。

 ちなみにその彼氏はENFPだった。現在の夫である。

2. "哀しみ"への対応が苦手

 そもそも自分の中にある喜怒哀楽の感情を知覚するのが難しく、さらにそれを表現するとなるともっと難しいタイプの人間だ。況して他人の感情への対応は大変困難で、幼い頃から苦しんだものだった。
 年齢とともに獲得した処世術によって、少なくとも「喜」「楽」の感情表現は自然にこなせるようになったが、いまだに感じるのは「哀」という感情への対応の難しさだ。

 私の感情表現は基本的に、他人の感情表現パターンの応用である。社会的にコミュニケーション力が高いと認められていそうな人間を選び、彼らの感情表現を観察し、台詞を発するタイミングや表情の作り方、声の作り方、抑揚の付け方などをデータとして蓄積し、自分の中で抽象化してパターン化することで自分に適合させる。そうしてやっと、自分もその感情表現を使えるようになる。
 台詞は、膨大な蓄積データからパターン抽出したものを選択する。「こんな嬉しいことがあったんだ!」と言われたら、口角を上げて「へぇ、いいなぁ!」「へぇ、良かったね!」と返すし、「結婚するの!」と言われたら「わぁ、おめでとう!」と返す。「へぇ」「わぁ」といった感嘆符を付けるのがポイントだ。幼少時代から「喜」「楽」の感情を交換し合う機会には多く触れていたため、長じた今では、これらを応用してフリースタイルで台詞を考えることもできるようになっている。

 だが、こうして必死に作り上げた仮面が剥がれる場面がある。「哀」の感情への対応を求められた時だ。
 たとえば身近な人を亡くした人に対しては、どのような言葉を掛けたら良いのだろうか。検索すると、日本では一般的に「この度は御愁傷ごしゅうしょう様です」という台詞を用いるらしい。だがINTPにとって、このような普段使わない台詞を他人に対して発するのは至難の業である。「この度は御愁傷様です」という台詞を発しているサンプルを何人か観察して、表情や声のトーン、抑揚の付け方などのモデルを構築し、さらに自分の筋肉に落とし込む必要があるからだ。しかし親戚関係が希薄な現代日本においては、サンプルに出会う機会がそもそも多くない。

 感情表現が得意な人は、「そんな通り一遍の台詞に魂を込める必要はない。相手の感情に寄り添えば自然に言葉が出てくるはずだ」などとのたまうのだが、相手の感情に寄り添ったとて、どのような言葉を掛けるのが適切かが判らない。
 そも思い返してみると、自分が哀しい時に"感情に寄り添った"言葉を掛けられて感動したり喜んだりした記憶がないのだ。おそらくこれまでの人生において素敵な言葉をたくさん掛けていただいているのだろうが、ものの見事に一つも覚えていない。
 正直なところ、哀しみの感情が他人の言葉ひとつで解消するわけがないだろう、という価値観が根底にある。「同情するなら金をくれ」という某ドラマの有名な台詞に感覚は近い。

 というわけでいろいろと天秤に掛けた結果、誰かが亡くなった場面における対応の、現時点での最適解は下記だ。

  • 「この度は御愁傷様です」という一般的な台詞を発する

    • 表情は暗く、伏せ目がちで

    • 声のトーンは低く抑えながらも、相手を気遣う柔らかさを意識して

  • あとは黙って暗い表情を保つ

 だが、いざその場面で他の参列者が一人もこの台詞を使っていなかったりした場合、「浮いてしまう!」と一人アワアワし始めるだろう自分も想像できる。

 尚、INTPには、どう対応していいか解らない場面で取り敢えず笑顔を作りがちという悪癖がある。これだけはやらかさないように、口角に確乎しっかりと力を入れておきたいと思う。

3. とにかく動かない

 実際に動く前に、調べたり書いたりまとめたりと自分の中に情報を蓄積したがる。これは本当に悪い癖で意識的に直そうとしているのだが、情報を得たりまとめたりしている時間が至福すぎて、半ば中毒症状である。

 たとえば、ぽっこりしてきたお腹を凹ませたいと思ったとする。
 まず、お腹がぽっこりする原因を調べる。加齢、食生活の乱れ、骨盤の歪みなど、原因はいろいろありそうだ。食生活の見直しや運動習慣、姿勢改善など、自分に関係ありそうな項目をピックアップする。
 YouTubeを覗けば、効果がありそうな運動が数多く紹介されている。どれが効果がありそうか、タイパが良さそうかと、いくつか開いて見てみたり、再生回数とコメント数を数えたり、コメント欄を隅々まで確認したりする。

 で、、、やらない。

 情報を収集してまとめている間に、何らかの脳内物質が感覚を麻痺させているのだろう。情報を収集し終えるとなぜか満たされた気持ちになり、そのままぽっこりしてきたお腹のことは忘れてしまう。
 しかも変なところで完璧主義で、情報を完璧に網羅してまとめきらなければ発信できないと考えているため、せっかく集めた情報は誰の目に触れることもなく、自分の脳内で腐って消えていく。

4. 陰口は一切言わない

 私も他人に対して大きな不満を持っているし、嫌っている人間も多く存在するが、それを他人に伝えることは一切しない。

 他人の悪口を共有するタイプの人が放つ悪口の多くが「価値観の違いでしょ」「システムを変えればいいでしょ」「考えすぎでしょ」で説明がつくように見えるし、総括すれば極論「頭が悪いからじゃん」で終わる内容があまりに多いと感じてしまうのだ。だから、そもそも共感できないことが本当に多い。

 私が悪口を言わないのは、私の悪口は非常識と見做されることが多いからだ。「同じミスを犯したAさんは良いけどBさんはダメ」と感情的な評価を下す上司や、場当たり的な対応を「みんなの合意」で誤魔化すタイプの人間や、全てを管理したがるが能力的に全てを把握するに至らず、品質担保と称して過剰な作業を配下の人間に押し付けるディレクターなど、非論理的な人間に対して私は大きな不満を持つが、彼らを周囲の人間は「協調性のある良い人」と評していることが多い。「協調性のある良い人」は評価が高まり権威を持ちやすく、権威を持つ人間の行動の論理破綻は多くの社会集団において不問にされる。なぜなら彼らは「協調性のある良い人」であり、彼らの判断に背くのは「協調性のない悪い人」だからだ。この世はそういう道理で動いている。

 端的に言えば、馬鹿には私の悪口は通じない。だから言わない。それだけだ。

5. 興味のないことを話されても、意外とちゃんと聞く

 別のINTPがあるあるとして「興味のないことを話されても聞かない」という項目を挙げていたが、少し補足したいので取り上げてみる。

 たとえば「ゴルフに興味がない」場合、ゴルフのプレイに興味がない、ゴルフの観戦に興味がない、ゴルフというスポーツ自体に興味がない等様々な状態があるし、私はそのいずれにも当てはまる。もし相手が「昨日は朝早くゴルフに行ってね、○○さんと一緒に回ったんだけど、晴れていてとても気持ちよかったんだ」などと語り出したら、私はほとんど聞く耳を持たないだろう。
 だが、ベストスコアを目指すための工夫やマスターズ・トーナメントへの持論など、相手がゴルフというスポーツへの何らかの専門性を語る場合、私はその話に興味を持ち、喜んで聞くだろう。

 たとえ興味のない分野であっても、専門知識や体験談といった何らかの知識を得られそうな話には興味を示す。
 
冒頭の「興味のないことを話されても聞かない」とは、おそらく「雑談への興味がない」という意味であって、「興味のない分野を話されても聞かない」という意味ではないと思われる。

6. 部屋がおそろしく汚い

 なぜなら、完璧主義者だからだ。

 完璧に綺麗な状態を維持できるならもちろんそれがベストだが、特に社会人で時間的・精神的な余裕がなかったり、清潔への感覚が違う家族が同居していたりすると、完璧を維持できない。
 だったら1汚れていようが10汚れていようが100汚れていようが、完璧でないことに相違ない。

 ここからは小屁理屈だ。掃除嫌いの戯言として読み飛ばしてもらいたい。
 1汚すのを1単位とし、1綺麗にするのに1労力がかかるとする。ただ実際の掃除を思い浮かべてみると、1綺麗にするのと2綺麗にするのとでは労力はそれほど変化しない。綺麗にする労力は、汚れの量に比例増しないのだ。したがって、10単位ごとに10綺麗にするより、20単位ごとに20綺麗にする方がコスパもタイパも勝るということになる。
→100単位汚してから100綺麗にするのが最もコスパが良い!(屁理屈)
→100単位がMAXだとすれば、100を維持する方がもっとコスパが良い!(人間終了)

 余談だが、この感覚は他のことにもよく当てはまる。100%でなければ意味がないと考えがちで、学生時代は自分の納得できるクオリティに到達しなかった課題を提出せずに評価を下げてしまったり、仕事において自分の納得できるクオリティに到達するまで共有せずに叱責されたりといったことがあった。
 この完璧主義思考は、意識的に矯正していかなければ、自分を苦しめる大きな要因になる。

終わりに

 自分の性格の中でも、特に難しいと感じている部分を本音で明かしてみた。

 INTPは圧倒的マイノリティであり、社会に適合しないことが多く、自身の性格を社会に適合させるためだけに能力の大部分を割いてしまうし、そこに多大なストレスを抱える人も多いだろう。
 自身の性格タイプと葛藤するあるあるの共有は、自分だけではないという安心感を与え、日常生活の中では得難い「共感」を得ることができるのではないかと考え、本記事を書いてみた。

 巷に溢れるMBTIや16タイプ性格診断の記事は兎角抽象的で、この「共感」の体験には至らず物足りない。
 多くのINTPの方のより具体的なあるあるを読み、「共感」を味わってみたいと思っている。