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INTP女が『鏡の中のアクトレス』事件を見てESFJ母を思い出した件
※MBTIにおけるS型に対する辛辣な表現が含まれます
『鏡の中のアクトレス』事件
先日、ふと目についた下記の記事を読んだ。
『鏡の中のアクトレス』事件という一部界隈で有名な動画があるそうで、動画内容の文字起こしと、一連の流れに対する筆者の見解が書かれた記事だ。
家族の日常を切り取ったドラレコ映像に、実家にいた頃の嫌な記憶が一気に蘇る。
あーーーーーーーーーーーーー無理。。。。。
私は完全に男性側に感情移入してしまった。無理。無理。この感情的な集団ヒスが嫌すぎて、私はさっさと実家を出たのだった。無理ったら無理。
経緯は下記らしい。
妻の実家に帰省。娘が妻の実家にある漫画『きまぐれオレンジロード』を熱心に読んでいた姿を見ていた夫。
夫の運転で帰路に就く。カーラジオから『きまぐれオレンジロード』のアニメの主題歌が流れる。夫は娘に「これ、『きまぐれオレンジロード』の主題歌だよ」と話しかける。
「違うこの曲、別のアニメの主題歌だよ」と妻が否定する。夫は運転しつつ、「いや『きまぐれオレンジロード』の主題歌だよ、調べてみ?『鏡の中のアクトレス』って」と言う。
妻は「きまぐれオレンジロード 主題歌」とつぶやく。
ラジオからは「鏡の中のアクトレス〜♪」のリフレイン。
この後、この夫婦は喧嘩に発展する。
私は感情的な集団ヒステリーが起きる場面が大嫌いなので、動画を中盤で止めて引用記事内の文字起こしを読んだが、いろいろなことを思い出して胸がぎゅっとなった。
引用記事内で筆者は、夫に対しては「情報の真偽などどうでも良い、家族の空気を良くすることだけを考えて、たとえ誤っていてもひたすら妻の意見を敬え」と助言し、妻には「夫はモラハラだから離婚の準備をしろ」と助言している。何だこれ。でもこれが"世間"にとっては正解なんでしょ。地獄だね。
引用記事内では、夫婦共に言葉足らずなために会話の中にすれ違いが起きていると分析しているが、私の見解は違う。
間違った情報を正しいと主張した妻が、「私が主張した情報は間違っていました」と一言添えれば良かっただけなのだ。
"男性"はプライドが高いのか
引用記事内で筆者は、「男性のプライドを傷つけてはいけない、男性は自分の知識を否定されると名誉回復のために必死になる生き物だ」と解説しているが、この件に関しては私は否定的な見方をしている。
まず、経緯をもう一度おさらいしよう。
夫は、娘たちが夢中になっていた作品のアニメの主題歌がカーラジオから流れたことに嬉しくなって、娘に教えた。娘たちが「この曲があの作品の主題歌なんだ」と喜んでくれることを期待したのだ。
これに対して妻は、「これ『きまぐれオレンジロード』の主題歌じゃないよ」と夫の言葉を否定する。
これ情報の真偽はマジでどうでもいい場面じゃないですか。何の主題歌かはっきりさせなくても誰も困らないし、何も損害は出ないじゃないですか。じゃあうやむやのまま終わらせたほうが良かったんですよ。
記事の筆者が夫に向けた言葉だが、それを言うなら妻である。その楽曲が何の主題歌でもどうでもいい場面なら、それこそ娘たちが夢中になっていた『きまぐれオレンジロード』の主題歌ということにしておけば良かったのだ。口を挟んで興を削ぐ必要がどこにあるのだろうか。
先にヒートアップしたのは夫さんのほうですが、それは(略)「喧嘩を売られたと思ったから」なんですよ。自分の知識を否定されて「面目を潰された」と感じたんです。だから自分の名誉を回復させるために男性は結構必死になるんですよ。
仮に私が夫の立場であり、性別は変わらず女性であるとしても、同じ状況下では怒りを表すだろう。理由は名誉でも面目でもない。娘の好きな作品の主題歌が偶然流れたことへの喜び、娘を喜ばせたいという思いやりの心、そういった善意を、妻の意味不明な横槍で潰されたからである。しかも誤った胡乱な情報で。さらに、放たれた横槍はまったくの誤情報だったことがすぐに判明したにも関わらず、その行為を謝ることすらしない。
私は"男性"ではない。紛うことなき女性として生まれ、女性として生きている。生物学的女性に対する"男性脳"という揶揄が差別表現にすぎないことは立証済みだ。それでもこの妻に怒りを覚えるのだから、怒りの源泉は「"男性"の名誉」だの「"男性"のプライド」だのではないのだ。
兎角男女の関係においては、"男性"の名誉だのプライドだのを持ち出せば女性の感情的なヒステリーが正当化されるという謎の風潮があるが、女性の私から言わせればこれは詭弁である。これは男女差ではなく、性格差だ。
情報の真偽などどうでも良い場面において、夫が娘を喜ばせたいと発した言葉を、妻がまったく不要な横槍を入れて潰した。これが喧嘩のあらましである。
では、口を挟む必要などまったくない場面で、なぜ妻は口を挟んだのだろうか。せめて「この曲は『きまぐれオレンジロード』の主題歌だ」の一言がなぜ言えなかったのか。夫の気持ちを踏み躙っておいて、なぜ謝罪の一言も発しなかったのだろうか。
妻はなぜ口を挟んだかを考察する
唐突にMBTIを持ち出すが、おそらくこの妻はN型ではない。
なぜなら一連の流れにおいて、N型であればしないであろう反応がいくつか見受けられるからだ。
まず『きまぐれオレンジロード』の主題歌について、完全にうろ覚えの状態にも関わらず、「これは『きまぐれオレンジロード』の主題歌ではない」と断言している。しかも、相手の出した情報を否定する場面においてである。
NT型であればまずやらない行為なのは明白だ。NT型は何よりも根拠を重んじるからである。しかも相手の情報を否定する場面だ。うろ覚えの状態で情報を出すようなことはしないし、出すとしても断定表現は避けるだろう。「えー違うんじゃないかなぁ」と言いながら片手でサクッとスマホを弄り、数秒後には「あ違う、きまぐれオレンジロードだね」と自分の発言を訂正する。それで終了だ。喧嘩の火種すら見えない。
NF型であれば、まず全体の調和を志向する。娘たちが『きまぐれオレンジロード』を夢中で読んでいたこと、夫がここでその話題を持ち出してきたことを考え合わせ、自分の中で浮かんだ「別のアニメの主題歌なのでは?」という疑問は一旦横に置いておくだろう。「へぇ、そうだったっけねぇ」で流すのが最善策だと心得る筈だ。
さて、S(感覚)型である。
S型は五感から情報を得る。特にこの妻は、己の記憶のみを頼りに断言してしまうことから鑑みるに、Si(内向的感覚)が強いタイプのようだ。のちに夫の怒気にヒステリーを起こしたのを見ると、Fe(外向的感情)も強そうだ。ESFJ、ISFJあたりだろうか。ちなみに私の母もESFJである。
妻の思考をトレースしてみよう。音楽をしばらく聴いて自分の記憶と照合するうちに、別のアニメが記憶の片隅に浮かぶ。そして、夫の発言が自分の記憶と合致しないことにモヤモヤが生まれる。
「違うこの曲。別のアニメの主題歌だよ」
生まれたモヤモヤをすぐに言葉にして、ポンと吐き出す。
N型からすると信じられないくらい何も考えていないが、おそらくこれがS型の思考である。
自分の発言が夫の発言を否定したと気づいていない。おそらく、娘たちが『きまぐれオレンジロード』に夢中になっていたという文脈すら頭にない。況して夫の気持ちを推察するなど何をか況やである。
あるのは、「うーん、この曲『きまぐれオレンジロード』じゃないような記憶があるなぁ」という自分の中の「感覚」だけだ。
夫は自分の思いを邪魔される格好になり、不快感を覚える。娘たちが夢中になっていた作品の主題歌が偶然流れたことにテンションも上がっていたのに、水を差された思いだ。しかも、今流れているのは確かに『きまぐれオレンジロード』の主題歌なのだ。だがここで、人間同士で記憶をぶつけ合っても水掛け論である。
夫は検索を促す。ラジオは、タイトルである「鏡の中のアクトレス~♪」をリフレインしている。『鏡の中のアクトレス』と検索すればアニメのタイトルが表示されるだろうと夫は予測し、妻に促す。
検索結果を見た妻の反応を考察する
妻は初めに「きまぐれオレンジロード 主題歌」と検索し、その後「鏡の中のアクトレス」と検索したようだ。
引用記事によると、どうやらここで齟齬が起きたらしい。妻は「鏡の中のアクトレス」と検索した結果を読み上げて「きまぐれオレンジロード 主題歌」と発言したようだが、夫はそれを音声検索をかけるための発言と解釈したのだ。
ドラレコ映像によって夫の視点を疑似体験した視聴者の多くも、妻の発言が「鏡の中のアクトレス」と検索した結果を読み上げたものだとは思わなかったようだ。
妻が一言添えていれば起きなかったであろうこの齟齬がなぜ起きたか。ここにもS型の特徴がある。
NT型は、論理を重んじる。特に議論において情報の真偽を確かめる場面では、正解を導いた上で共通認識を図りたいと考える。
夫が情報A、自分が情報Bを出し、夫が運転中のため自分がスマホで検索して情報の真偽を確認するという文脈において、検索結果を単語のみで述べるという真似はしない。文脈を踏まえ、「情報Aが正しい」と結論を述べることで共通認識を図るだろう。互いに正しい情報を得ることができ、互いにスッキリして会話は終了だ。喧嘩の火種すら見えない。
NF型は、相手の立場を慮る。検索した結果、自分が出した情報が間違っていたことを知れば、自然と謝罪の言葉が口を衝くだろう。間違った情報を自信満々に断言したことに羞恥の念すら抱くかもしれない。「娘たちが作品を夢中で見ていた」ことに思い至れば、娘たちに楽曲への関心を促す気遣いを見せるだろう。いずれにしろ平和な雰囲気で終わりそうだ。
対してS型の場合、何も考えない。
NT型のように文脈を捉えて議論を展開したり、NF型のように文脈を踏まえて相手の感情を慮ることはない。件の妻も、先刻夫に誤った情報を提供したという事実と、夫に頼まれて「鏡の中のアクトレス」を検索しているという事実を繋げて考えることができていない。要は文脈を考慮しないのだ。
『きまぐれオレンジロード』の主題歌ではないと思ったから、思ったことを発言しただけ。
夫が頼んだから、「鏡の中のアクトレス」と検索しただけ。
夫の中では繋がっている文脈を、妻は分断して捉えているので、双方の認識に齟齬が生まれる。夫は《今流れている楽曲が主題歌に使われたアニメについて正しい情報を知りたい》のに、妻は《『鏡の中のアクトレス』と検索すれば良い》と思っているのだから当然だ。
この文脈を考慮しない思考は、運転中の夫と情報を共有しようとしない点にも表れている。
会話中、夫と検索内容について揉める場面がある。
夫「鏡の中のアクトレスを検索してって」
妻「いやじゃけんしたよ?」
夫「お前、きまぐれオレンジロードを検索したやんけ」
妻「やけん鏡の中のアクトレスでし直したやん。見たん?」
夫「(苦笑)見てない」
妻「ほならなんでそんなひどい言い方するん」
夫「さっききまぐれオレンジロードって」
妻「だからなんで…そのあとに私しよったのをさ、全くその関係なくさ、そうやってさギャーギャーガンガンガンガン言うのやめてもらえんやろか…」
夫婦という関係性は、読み手にも感情的なバイアスが入りやすい。あくまで言語情報の伝達にフォーカスするため、仕事の場面に喩えてみよう。
クライアントAの本社所在地について、同僚どうしが会話している場面だ。
田中「クライアントAの本社所在地って、大阪ですよね」
佐藤「京都ですよ」
田中「大阪だったと思うけど…。今手が離せないから検索してみてくれませんか?『クライアントA 本社』で出ると思います」
佐藤「……大阪 クライアントA」
(田中、手が空いて佐藤を振り返る)
田中「『クライアントA 本社』って検索しました?」
佐藤「いやだから、しましたよ」
田中「『大阪 クライアントA』って検索してましたよね。『クライアントA 本社』で検索しました?」
佐藤「だから検索し直したじゃないですか。僕が検索してるところを見たんですか?」
田中「いや見てない…」
佐藤「だったらどうしてそういう言い方をするんですか?」
佐藤はなぜ太字のような発言をしたのだろうか。佐藤の脳内認識をトレースしてみよう。
田中に『クライアントA 本社』と検索するよう言われた。
田中に言われた通りに検索し、検索結果を読み上げた。
田中がまた『クライアントA 本社』と検索するようにと言った。
しつこいと感じ、「いやだから、しましたよ」と返した。
田中が『大阪 クライアントA』で検索していたと言いがかりをつけた。
田中は僕が検索しているところを見ていない筈なのに、しつこい。
「だから検索し直したじゃないですか。僕が検索してるところを見たんですか?」と返した。
2. と6. が矛盾していることに気づくだろうか。
6. において、佐藤は、《田中は佐藤の検索時の動作を見ていない》ことを認識していることがわかる。つまり田中は、佐藤が①どのような単語で検索したのか、②検索結果のどの部分を伝達したのかを知らないのだ。そうであれば、佐藤は田中に、それらの情報を捕捉した上で情報を伝達して然るべきである。
しかし2. において、佐藤は、「大阪 クライアントA」という単語だけを田中に伝達している。①どのような単語で検索したのか、②検索結果のどの部分を伝達したのか、どちらの情報も捕捉していない。
なぜこのような事態が発生するのだろうか。N型とS型の特徴を軸に考察してみよう。
N型は、五感から得た情報を基に推測を行う。《田中は佐藤の検索時の動作を見ていない》という五感情報をキャッチしたら、N型は田中について、「佐藤が①どのような単語で検索したのか、②検索結果のどの部分を伝達したのかを知らない」という状態まで推測する。だから田中に対して、田中が知らない情報を捕捉した上で、情報伝達を行う。そうして初めて情報伝達が成功したと確信する。
対してS型は、五感から得た情報だけを判断する。《田中は佐藤の検索時の動作を見ていない》という五感情報はキャッチするが、それだけだ。田中がどのような状態であるかをそこから推測することはしない。情報伝達が主観的なのはそれが原因だ。①どのような単語で検索したのか、②検索結果のどの部分を伝達したのかを自分は知っているし、田中に依頼された情報は渡した。だから情報伝達は成功したと思い込む。
6. で《田中は佐藤の検索時の動作を見ていない》という五感情報を利用して言い返しているのも、S型の特徴だ。「『大阪 クライアントA』って検索してましたよね」と田中に指摘された原因が、自分の伝達した情報の不足にあることなど思いも寄らない。だから佐藤には、田中が自分の完璧な情報伝達にケチを付けてくる不届き者に見えるのだ。《田中は佐藤の検索時の動作を見ていない》という五感情報を利用して嫌味のような返しをしたのもそれが理由だ。
妻「いやじゃけんしたよ?」
妻「やけん鏡の中のアクトレスでし直したやん。見たん?」
言語情報を共有する場面において、S型のこの"何も考えていなさ"は、言語情報からの抽象的思考力が高いN型との間に、時に想像以上の齟齬を生むことになる。
妻がヒステリーを起こし、娘たちが夫を責める流れについて考察する
話は逸れるが、私の生家は5人家族だ。ENTP父、ESFJ母、INTP長女(私)、ESFJ or ESFP次女、ISFJ or ISFP三女という構成である。
NT型の父と私、SF型の母と2人の娘。地獄絵図は想像に難くないだろう。
身近にSF型を観察していて思ったのは、彼らは共感性が高いように見えるが、共感の対象をカテゴリ分けしてみると、その共感が発揮される範囲は非常に狭いということだ。SF型の母数の多さによって誤魔化されているに過ぎない。
経験したことがある感情、あるいは自身の身に振りかかることが容易に想像できる感情については、非常に共感力が高い。老人や子持ちの母親、身体障害者や難病患者、被災者といった、自分がいつか立たされかねない立場にある相手に対しては、途方もない共感力を見せる。
情動的共感力も極めて高い。情動的共感力とは、相手の情動や感情を自分の情動や感情として写し取る力だ。五感で情報を得るS型は特に、表面的な感情表現に非常に敏感に反応する。つまり、泣いたり笑ったり怒ったりといった視覚的・聴覚的な感情表現への反応力は高いのだ。学校で友達が転んだ時に真っ先に駆け寄ったり、経緯はどうあれ涙を流している子に寄り添って時に他者を糾弾したりするのは、大抵SF型女子だ。
対して、認知的共感力は低い。認知的共感力とは、相手の情動や感情を自分のものとして写し取るプロセスを経た共感力のことで、自分とは異なるバックグラウンドや精神構造を持つ相手への共感をも可能にする能力だ。SF型はマジョリティであるため認知的共感力を養う機会はなく、マジョリティ性に安寧しがちな性質ゆえに認知的共感力を養う意欲もない。SF型はSF型に共感する力しか持たないのだ。
話を戻そう。
かくして、SF型の母が起こしたヒステリーという感情表現は情動的共感力が高い娘たちにしっかりと伝播し、「結果は言った!」「聞いてないだけやろ!」という一方的な事実追認による感情的な総攻撃に至ったわけである。
(怒った!ひどい!)
(泣いた!かわいそう!)
「お母さんは検索結果を言ったのに!聞いてないだけや!」
情動的共感力が高い上に認知的共感力が低いため、短絡的な感情をすぐに爆発させ、何の疑問も抱かず他者を攻撃する。さらに、この情動的共感は彼らの第一機能と第二機能に拠る"得意な"能力であるため、この共感の発動によってSF型の自己承認欲求は激烈に満たされ、深い快感を味わう。
集団ヒステリーはこうして生まれる。
ちなみに、我が生家にいたSF型女性たちの決まり文句は「そんな言い方しなくてもいいじゃん!」だったのだが、ではいざ冷静に話をすすめて彼女らがヒステリーを起こした暁には「そんな言い方をさせた貴方が悪い!」に変化した。便利な思考をお持ちだと思ったものだ。
そんな環境に育ったINTPの私は、物心ついた頃には早々に母親に対して心を閉ざし、常にくっついて戯れている妹たちとも距離を置いてひたすらに本を読み漁り、高校卒業を機に嬉々として実家を離れたのだった。
【N型向け】S型対処法
ドラレコというホームビデオから自らの過去を想起した結果、随分長文になってしまったが、最後に、私が個人的に意識している対処法を記してみたい。
まず、相手がS型だと感じたら、議論はしない。
N型にとっての「議論」とS型にとっての「議論」は性質が違う。議論しようとすら思わない方が良い。言い合いになりそうならさっさと折れる。
自分の立場が危うくなりそうな場合のみ、歴然とした証拠で反撃できるようにしておく。たとえば今回のドラレコのようにだ。『鏡の中のアクトレス』事件だって、ドラレコがなければ「お父さんがネチネチしつこいからお母さんが泣いちゃった」という、事実とは凡そかけ離れた解釈に着地したに違いないのだ。
その他、理不尽さを感じた出来事について、まとめて日誌にしておくのも手だ。
次に、複雑な話題を口頭で展開するのは避ける。S型の多くは言語情報の処理に弱く、文字数が膨れるとすぐに脳がパンクする上、「パンクするような量の情報を与えた相手が悪い」と悪感情まで抱く可能性がある。情報は単文レベルまで落として伝えるべきだ。
さらに留意したいのが、S型は文脈に一切の価値を置かない。文脈を理解したがるのはN型だけだ。相手がS型だと感じたら、文脈は徹底的に省いた方が良い。「背景がわからないと、言われたことをただこなすだけになってしまわないだろうか」などと優しく気を遣う必要はない。
尚、当然のことだが、「S型には文脈は不要だ」などという上から目線を推奨しているわけではない。N型が考えるほど微に入り細を穿つ文脈は不要という意味だ。聞かれたことに答える程度の文脈の提供は必要な場面もあるだろう。
何かをしてほしい時は、実務レベルまで噛み砕いてから伝える。たとえば「『鏡の中のアクトレス』でGoogle検索してみてくれる?」「出てきた単語を上から2つ教えてくれる?」といった具合だ。
こうして寄り添っても、S型は「見下してますか?」「敬意と感謝を感じません」「離婚するなら準備しろ」などと曰うのだ。N型には全く世知辛い世の中である。
下記はENTPの方が書いたN型とS型の断絶に関する記事だが、見出し「関係性の搾取」という言葉に大変首肯したので、ここに引用させていただく。
最後に
経験上、性格を抜きにしても、「女性に知識で負けたくない」という妙なプライドを見せる男性が決して少なくないことは否定しない。自分が "手に入れた" 妻という存在に対する何かしらの本能もあるのかもしれない。
ただN/S型の性質を考え合わせると、一概に「男だから」「女だから」という感情が働いているとは言い難い。やはり性別で雑な結論を出すのではなく、性格特性によって関係を論じるべきだ。
また私と家族との関係についてだが、確かに犬猿の仲だった時代もあったが、社会に出て随分経った今は母や妹たちへの嫌悪はなく、絶妙な距離感の関係を築いていることを追記しておく。