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エッセイ

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普通の貧困家庭の記録 | naru

 先日、地方の貧困家庭に育った女性が、自らの経験譚を綴ったnoteの記事を読んだ。  私自身も地方の貧困家庭の出身であり、『貧困とは、選択肢が持てないということ』というタイトルには大きく首肯した。同じ貧困層といえど環境が異なるため、記事内容すべてに共感できたわけではないが、その境遇の違いも含めて興味深く拝読した。  だが記事以上に、私が衝撃を受けたのはこちらのツイートだった。  貧困層が「あるある」と頷くこの生活実態に「気付かなかった」人が存在するという衝撃。  なぜ

ほら、コロナとか無関係に納税しつづけなきゃならない年齢だからさ。

 30を超えてから、ぴたりと言葉が出なくなった。何かを体験した時、何かに感動した時、脳内に溢れる言葉をそのまま文字に綴っていた日常はぴったりと終わりを告げた。それまで辛うじて綴っていた日記も滞り、以来日記を付けたことはない。  ゲームをプレイして何かを達成した時、攻略の道筋を記憶して文字にしたためることができなくなった。何をどう考えて達成したのかを、そもそも記憶していないのだ。執着がなくなったと言い換えても良い。映画を鑑賞しても、感想を語り合ったり文字に起こしたりすることも

他人のこと

 半年前に共演した友達に会う機会があった。あのとき、舞台女優になりたいものの所属劇団を迷っていた彼女だが、ついに所属する劇団を決めたようだった。聞けばハロプロと提携して舞台を作っている劇団で、その昔、友達の友達の彼氏の妹が所属しているという縁で見に行ったことがあった。それを言うと、「それ、他人って言うんだよ」と突っ込まれた。確かにね。  今日、同期の飲み会に誘われた。日記を読み返したら、同期に会うのはかれこれ半年ぶりだった。半年前は確か、同期主催のバスケット大会に参加したの