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老年の価値

書いていく



老いについて語られた文章は少ない。青春小説の万分の一かもしれない。著者が少なく読者も少なく市場が回らないからだと筆者は考えているが本当の所は分からない。

老いそのものについて語られた文章はさらに少ない。より善く生きるといった精神性の話が九割九分を占める。若人が若さとはどのようなものか?について書こうとしないのと同じ理由である。そんな事より自分の精神の云々やら明日行くアミューズメントパークやらの方が大事である。書く意味がない。

そうした不具を乗り越えた貴重な資料がこやつである。しかし少々詩的でありすぎる気はする。まあ読んでもらうのが一番早いのだが暇なので感想を書く。手元にこの本が無いのでうろ覚えの感想になってしまう事ご容赦願いたい。極力原本を当たって欲しい。又聞きダメ。絶対。



老化

私達は老いに対してネガティブなイメージを抱く。出来た事が出来なくなる。能力が目減りする。人生の残り時間が短い。これらは全て「老いていない人間」からの視点である。わかるかい。

こーゆー文章を書いてるのはまだ完全に老いてなくてなんか不安だな~という思いを紙やらキーボードやらにぶつけてる若人な訳だ。つまりイメージで物事を語ってるんだよ。だから実情とは少し離れてるかもしれない。ピンピンしてる人間が爺さん見たらそりゃ怖くなるんだわな。

じゃあ当の老人はどう思ってるか。そう。身体が痛いのである。耳が聞こえづらい。目がショボショボする。歩くのもきつくなってくる。そういった身体的要素は普遍的であるにも関わらずあまりにも軽視されている。精神と身体の認識ギャップがでけえ。

みたいな事を思ったのである。本文の文脈とは全然違うんだけどさ。本文は友人が亡くなる~とか老いて円熟した精神性を持つのもまた良いものである~みたいな事を言ってて非常に立派なのである。

しかしね。そりゃあこの人が色々恵まれた小説書きだからだと思うんだよねワイは。世の中色んな老人がいるからねえ。人生悔いなくやりきった人間じゃねえと中々こうはならんやろ。



身体の劣化

とゆー訳でね。人間が老化に対してどう思うかは千差万別である。若人から見るのと老人その人から見るのでもまた性質が違う。前者は老いという「未知」への怖さ。後者は「老い」そのものへの嫌さまたは身体劣化の嫌さ。怖さと嫌さでカテゴリーが違えんだよな。イメージと実害。

ここでイメージから攻めちゃうともうどうしようもない。老いへの価値観なんてそりゃ~~~~~~無限にあるんだから泥沼にハマるに決まってんだよな。宗教も文化も環境も違う人間に思想を押し付けるのはある種の火種になりかねない。それもまた良い。非常に。

しかしどんな思想を持っててもジジイババアになると身体が痛くなるってのは万国共通なんよ。人間の身体の仕組み上こうなってっからさ。目が霞んで耳が聞こえづらくなって身体を動かすのも億劫になる。これは事実なのである。

だから身体を強制的に「身体が劣化するという事実」にぶち込んでやってそっから勝手に色々考えてもらうという形を取るのが老いについて実学的に考える良い方法じゃないかと思う訳。これなら事実を押し付けてるだけなので思想の要素は1mmも含んでないし。そう考えると老人体験キットは非常に善く出来ている。

小説や本・講談はイメージ方面から「老い」を学習する。今回の老年の価値は老人の肉体的体験を描写する事によってイメージと実学の両面から「老い」について考えさせられる。じゃあ完全に実学に寄った「身体の劣化による老い」を体験すればまた何か違った視点を持てるのではないか?というのが一連の思考である。



うーん

老いの学習形態をイメージ:実学の比にするとして

小説・本→10:0

老年の価値→7:3

老人体験キット→0:10

だと思うのである。これも非常に怪しいが。だから3:7位の奴が欲しいんだよね。実学先行でピッとイメージ・スパイスが効いてる奴。ここは塩梅が難しいが何とかしたい。

といっても何をモチーフにすれば良いのかが全く分からんのである。何か訓戒めいた事を言おうとするとどうしても文化が割れてしまって没入感が削がれてしまう。伝記とかにして良い感じの所から受託すればそこら辺のストーリーは考えなくて良くなるんだけどそれじゃあただの伝記になっちゃって移入出来ないし。う~む。


こういう時は先人から学ぶのが一番なので先人に頼りたいのだが老人のゲームがThe Old Journeyってのしか無くてこれはどうもロードムービー寄りっぽいので違う気がする。

自分のライブラリにはspiritfarerとto the moonってのがある。どっちも積みゲーになってるけど。近いかもしれないし遠いかもしれない。コンパクトではない。

なんか死にゆく老人を看取る神になって話を聞くゲームとかも良いかもしれない。老人との対話の中に見る・聞く・動くの要素を組み込む。で自分も老化していくのでその中で自分の認識や看取る老人への視点も変わってくる的な。

これはマズいやつだ。こうして工数って膨れ上がっていくんやなって。老人のデザインを亡霊にする事で全て解決するかもしれない。こうして要素をツギハギしていく中で自分の中にあったピシッとした軸がどんどんヨれてしまうのを感じる。悪くはないが良くもない。自分の中に軸がない。こうした状態は非常に危険である。

最初のイメージはマジで部屋の中でナレーターと一対一で自分の人生について振り返るだけなんだけどこっちの方が良い気がする。つまらなくないか?なんだこれ。シンプルに~。シンプルに~。老年の価値を全スパイアして細部を弄る。エッセンスだけ抜き出す。


今借りてる。面白いかは知らん。もう少し引き出しが欲しいがこの引き出しの少なさによるアイデンティティの揺らぎはあまり無い。仕事がそこそこ上手く行っているからかもしれない。眠い。