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200万パチンコで溶かしたパチンコ中毒大学生の自己紹介(2)

タイトルが前回と違うかもしれないけど、許してください。


「シンフォギアっていう、パチンコが面白いよ」

この一言はわたしの人生を悪い意味で変えた。二度と戻ってこられないかもしれない奈落へとわたしを突き落としたのだ。

Kくんたち4人で私たちは街のガイアに入った。後から知ったが、ここはとんでもなく出さないと有名な店であった。

とりあえず、5000円サンドへ入れる。玉が発射される。1分間に100発。1日のバイト代は30分もしない内に消える。
しかしこの日は違った。なぜか当たってしまったのである。
1/199を20回転ほどで引くのはとてつもない幸運である。最終決戦も突破してシンフォギアチャンスへと入ったが、結局16Rを一度引いただけで終わった。
しかし満足だった。換金してみると8000円ほどにはなったしこの日行った居酒屋代にはなったからだ。

これからしばらくして、わたしはIくんにLINEをした。

「シンフォギア打たね?」と。

2018年の9月20日だったと思うが、この日わたしはIくんの家の近くにあるパチ屋に行き、2人でシンフォギアを打った。1万円を初めてサンドに入れたのはこの時である。
Iくんから色々演出に関することを聞きながら、わたしは無心でハンドルを回した。隣でIくんが「この演出はアツい、これはデフォで出る」とかいうのを聞きながら。

この日は結局負けた。確か2400円負けだったと思う。これで帰ってしまえばよかったのだが、夕方彼と別れてからわたしはパチ屋の梯子をした。ボロ負けした。
この日だけで30000円負けだ。ここから私は一気にパチンカスの道へと落ちていった。

この日を境にわたしはちょこちょこ親に隠れてシンフォギアを打つようになった。
9月27日だったか。Iくんと打って1週間たってからのこと。昼2時ぐらいにパチ屋へと出陣したわたしは3000円で一気に12000発を出し、ルンルン気分で帰宅した。

考えてみてほしい。私のバイト代は一日で5000円。等価交換すれば今日パチンコで稼いだのは48000円である。10日分のバイト代が何の労もせずとも手に入ったということが何を意味するのかを。ビギナーズラックが何をもたらすかを。

もうここからは皆さんの考える通りである。

およそ1年経った時、わたしは気づいた。バイト代のほとんどをパチンコに注ぎ込んでいたわたしは計算して100万円負けていた。

それだけではない。パチンコに行って授業をサボりまくった結果、大学の単位はボロボロ。パチンコ通いをする前から低空飛行だったが、それ以上にひどくなった。
この頃、3年生になっていて周りはインターンの話題で盛り上がっていたと思う。だが、わたしはIくんとパチンコ通いを続け、現実から目を背け続けた。
Iくんから金も借りた。そして、サークルの活動にも出なくなった。実質的に追い出されたようなもんだったが、いずれにせよ不義理なことをしたと思う。

明らかにパチンコはわたしの生活を蝕み、破壊していった。人間の本質は色々あるが、元が怠惰で無趣味な人間に絶対パチンコをやらせてはならない。

しかし、そう気づいていても辞められないのがこのパチンコという「遊技」なのだ。

わたしは結局留年した。地方のFラン私文で留年というのは、致命的である。
さすがにまずいと奮起し、就活はなんとかやり過ごし内定はもらった。
世間はコロナで持ちきりであり、自粛しないパチ屋が問題視されるようになっていた。
わたしはそんな中パチンコ屋へと向かっていた。例え自分が感染しようが関係ない。正直、自分が感染するわけがないと考えていたと思う。

そして2022年1月、わたしは再度これまでの収支をざっと計算した。負債はさらに膨らみ200万にまで膨らんでいた。200万あればなにができただろうか。下手したら新車が買えたし、PS5も余裕で買えた。ピースボートを使えば世界一周2回できた。

さらに私はキャッシングにまで手を出していた。前年の12月に悪名高いガンダムUCを打った時3万借りていたのだ。
今のところは限度額が10万円なのでなんとかなるだろう。しかし、ここらで腹を括らねばならない。10万から20万、20万から50万へ、さらに100万まで借りられるようになったらどうなるだろうか。
考えただけでぞっとする。


しかし、今日もわたしはパチンコを打った。もちろん負けた。

この負のスパイラルから抜け出せる見通しは未だに立たない。

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