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不寛容になるのは不寛容に対してだけで
当然、「良いサービスだね」「日本の店舗が増えてほしい」というような声が帰ってくるものと思っていたのですが、その答えは意外なもので、「こういったLGBTQ+向けを大々的に謳われるとかえって分断に繋がる。私は使いたくない」というものでした。
https://note.com/compath/n/n1acbafdb6900
確かに、LGBTQ+の方が安心できる場所だと示されたこの地図のお店に行けば、その場ではLGBTQ+の方々は安心できるでしょう。しかし、それは社会の特定の場所にマイノリティの方を集めているだけにすぎず、インクルーシブな社会とはとても言えないように思えます。
https://note.com/compath/n/n1acbafdb6900
「多様性なんてクソ食らえだと思っているおれも歓迎して貰えるってことですよね?」
——「多様性を歓迎しよう」という言葉が破綻しそうな要素を孕みまくっていることなど、みんな知っているとばかり思っていた。
自分とは大きく異なる、場合によっては存在自体に嫌悪感を感じざるを得ない「受け入れ難いものを歓迎しよう」と呼びかける言葉なのだから。
「あなたの『ここから先は受け入れ難い』という線はどこですか?」という質問が頭の中に響く。
おれの「ここから先」はどこだろう…。
きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、おれはできるだけ不幸な人が減って欲しいし幸福な人が増えて欲しい。
そして不幸と幸福はゼロサムゲームではないし、グラデーションでもないと思っている。
つまり、マイノリティの不幸が減ることは、マジョリティの幸福をも減らしてしまうことではない。
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受け入れられないものを受け入れようとしなくていい。ただ、受け入れないことと排除しようとすることはまったく別のものだ。
社会に秩序は必要だろう。でも、それは多すぎなくていい。
不寛容になるのは不寛容に対してだけでいい。
ところで、今週末4/19-21はTRP2024です。
会場で知人・友人にたくさん会えたら嬉しいな!
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