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みんなが呼吸しやすくなるように


昨日に続いて丸の内サマーカレッジ2023をオブザーブ。「過インプット」傾向が強そうな、賢そうな大学生が多いので、今回はワークには一切口を出さないことにしております。
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“「過インプット」傾向が強そうな、賢そうな大学生”
——この言葉、「きっときちんと伝わらなさそう…」と思いつつも、うまく言語化できないまま放ってしまった。どこかで深掘りしたいと思いつつも、なかなか熟成まで時間がかかりそうな気も。
ということで、おれが「過インプット傾向」で表したかったイメージを現段階で書いておこう。

なお、「否定的なイメージはまるでない」といったら言い過ぎだと思うけど、「だから最近の若者は…」みたいな偉そうなことを言いたいわけでも思っているわけでもまったくない。むしろ「今の社会環境を考えれば、まあそりゃそうなるでしょう。」
でも、このままだと「自由と多様性が表現・表出される機会」はどんどん減り続けていき、「気づいたらみんな同じ」社会がやってきそう…。そこに、おれが息をできる場所はあるのかな?
…やっぱ、変化を誘発しないと。


おれが最近の学生に感じている典型的な要素は「優等生的発言」。揺さぶっても揺さぶっても出てくるものはその枠を超えない。
彼らの、誰かが発した言葉やメッセージをザーッとスキャンして、検索アルゴリズムのように「表層的な正解」や、「そのメッセージにまつわるいくつかの典型的な視点」をすばやく手にする能力はものすごい。そのことについてざっくりとした話をするには、十分な量を瞬時に手にする。
そして同時に、周囲の様子に常時アジャストしていて、状況に合わせてずっと微調整をかけ続けている。この能力もものすごい。微妙な空気の変化に即座にアジャストしていく。

でも、それがゆえに、自分からはめったに発信しない。
なぜなら、発信すれば、それに対して生まれるリアクションにより状況が大きく変わり、量的にも質的にもアジャストするのが難しくなるからだ。
ただ、自分が発言しなければいけない、あるいはした方がよいという状況になったときには、「典型的な視点」の中から自分に合いそうなものを選び、あるいは相手と周囲のリアクションができるだけ読みやすく、調整をかけやすそうなものを選んで、コメントや質問をする。

断りもなく勝手にパターン化され枠に組み入れられるのは不本意だと思うし、「うるせえよ」と思うのも当然だ。
それでも、これが学生の一つの類型になっているとおれは思うし、彼らが「グループとしてそこにいる」ときには、おれはその認知を前提に振る舞う。
ただ、彼彼女らが個人、あるいは2人くらいのときはちょっと違うと感じている。それはおそらく、「特に注意深く調整をかけ続けなければならない」周囲の同世代のリアクションが少ないからじゃないだろうか。

最初に書いたように、これを「良い悪い」で語る気はおれにはない。幼少期から、周囲から浮かび上がらないようにするトレーニング延々と続けさせてこられたんだから、こうなるのは当たりまえのことだ。
じゃあそんな彼らにおれはどうやってアプローチしていくのか。
地道に個人を揺さぶり続ける。「あなたはどうしたい?」と一人ひとりに問い続けていく。誰か一歩でも踏み出した人がいれば踏み出したことを讃える。

常に、横に浅く意識を広げておく必要なんてない。興味のアンテナが動いたときには、周囲お構いなくそれだけに向かっていけばいい。
高校生にもなれば、学校での分かりやすいいじめもひと段落しているだろう。大学生ともなれば、孤独と向き合うことだって良い経験になるだろう。

みんなが呼吸しやすくなるように。
たとえ無意識的にやっているとしても、即座に空気にアジャストしていくのって消耗することだしね。


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