週記50【大晦日】

「クリスマスソングはいっぱいあるが、それに比べて年末ソングが少ないのは解せない」
いつもの喫茶店。僕はカフェラテ、男はホットコーヒーを飲んでいる。
今日の男は真っ黒なスーツを羽織っている。ネクタイも黒のため、誰かの葬式の後なんじゃないか、と考えてしまう。
「いや、年末の歌もあるでしょ。例えばジョン・レノンのHappy Xmas (War Is Over)とか。くるりの最後のメリークリスマスとかでもHappy New Yearって歌ってるでしょ」
「よく考えてくれ。Happy New Yearは年末ソングじゃない、新年ソングだ。年始ソング。しかも今挙げた二曲はどちらも、クリスマスソングも兼ねてる。Happy New Yearというなら、年末のフレーズも入れるべきだ」
「良いお年を、とかですか?」
「そう。よいお年を、とか、大晦日、とか」
僕はスマホを操作する。音楽アプリに、大晦日と検索をかける。
「大晦日って曲、結構ありますよ。さだまさし、とか。レミオロメンとか」
男は煙草を取り出す。
「じゃあ君はその曲のサビが唄えるか?サビじゃなくてもいい。一節、歌えるか?」
「いやあ、全然知らないです」
「そういうことなんだよ。私が言いたいことは」
男は口から煙を吐き出した。天井の照明に当たり、テーブルの上が少し暗くなる。
「クリスマス。新年。その間にある約一週間の空虚を高らかに歌う乙な音楽家はいないもんかね」
「売れないんでしょ、年末の歌なんて」




からんからん、とドアの音が鳴る。
新しい客だ、と思えば、その客はずかずかと我々のテーブルの前にやってきた。立ったまま、僕らを交互に見る。
「え、な、なんですか」僕の声は少し怯えている。
客は僕たちに一瞥した後、こう言った。
「あ、初対面か。どうも、作者です」
作者?なんの?男は客を睨みながら言った。
「この喫茶店での話の作者です」
僕と男は見合わせ、首を傾げた。
「いや、作者って、どういうことですか」
順に説明しますね。作者、と称する男は、僕の隣に座った。




「まずはじめに、ここって、架空の世界なんですよ」
「なんですか、架空って」
「あなた方も分かってることと思います。この喫茶店に入る前、出た後の記憶はありますか」
「無いよ、そんなことは分かってる」
男は荒々しくタバコを消した。
「我々は作られた世界で生きている、ということは知ってるんだ。記憶や思い出もなければ、私は自分の名前も無い。もちろん、彼にも」
男は僕を指差す。
「私が聞きたいのはその『カクウ』ってのは何だ、ということだ」
「あ、えっと、架空っていうのは想像上の、みたいな意味です」
「ああ、何だそういうことか」最初から、想像上の世界って言ってくれ。
男は架空を知らなかったようだ。僕も知らなかった、ということは二人にバレないように黙っておいた。
「貴方も知らなかったでしょ。架空の意味」
「あ、そっか作者なんですもんね。お見通しってわけか」少し顔を赤らめる。
「それで、我々架空の世界の住人に、何の用があるんだい、作者さん」
「ええ、その、非常に申し上げにくいんですが、この架空の世界をそろそろ畳もうかと考えておりまして」
作者が言うには、この世界が発現したのは、彼が2022年の間、週に一度noteというツールに日記のようなものを投稿することを決めたのが原因らしい。
「毎週面白いことが起きていればこんな世界も無かったんですが。あいにく僕は活動的な人間じゃないので、特筆すべきことが何もない週の方が多かったんです」
「それで、この喫茶店を脳内に作り上げた、というわけか」
作者は頷く。
「今日は2022年最後の日です。つまり週記制度も今日でおしまい。つまり」
この世界は消えてしまう。
やはり架空の世界を生きているからか、哀愁や名残惜しさは感じなかった。
この世に生まれ、生きてきた形跡がない僕からしたら、現れたことも消えることもほぼ同等にすぎない。生を感じたことが無い故に、死を感じることもないわけだ。
「なるほど。別れの挨拶をしに来たということか」
タバコをいつもよりゆっくりと吸った後、男はそう言った。
「君はこの喫茶店が好きか?」男は僕に尋ねた。
「ええ、まあ。なんだかんだ、貴方との中身の無い珍妙な会話が楽しみに来てたところはありますし」
「奇遇だ。私も案外気に入ってしまったんだ、ここの喫茶店を。でもおかしいな。無くなる、と言われても何にも悲しくない」
「まあ、被読者ですもんね。どんなドラマでも、小説でも、映画でも漫画でも、終わってから悲しむのはそれを消費した人間だけの特権ですから」
例えば、人気俳優Aが主人公であるB役を務めるドラマ○○が最終話を迎える。人々は「○○ロス」と言い、終わってしまったことへの虚無感を抱く。しかし、ドラマの中の役はどう思っているか。それを知るものは、こちらの世界には存在しない。
演じていた人気俳優Aも同じく、終わってしまって寂しくなっているのかもしれない。しかしそれはあくまでその人気俳優Aの感情。主人公のBがどう思っているのかは知ることが出来ない。
「少し難しい話になってしまいました。こちらの世界にいる読者の皆さん、僕が言いたいことを分かってもらえましたでしょうか。ああ、今僕は架空の世界にいるから、こちらではなくそちら、になってしまうんですが」
「まあ、その『そちらの世界』の人間のことは知らんが、私は理解できたよ」男は答えた。
「僕も、言いたいことは伝わりました」僕は答えた。
「しかし、そういう話じゃないんだ。私が悲しくならない原因は」男は作者の目を見る。
「君、まだこの世界を完全に畳むつもりじゃないだろ」
作者は男に微笑んだ。
「やっぱりお見通しか」
その通り。こんなフィクションなんて、来年からは続ける義理が無い。しかし、私もこの喫茶店を好きになってしまった。毎度スーツでやってくる不思議な男と、まともなようで少し変な大学生の、無益なようで、その通り全く無益な言葉のやり取り。私はこの媒体を通してのみ書ける有象無象をまだまだ続けたい。
「このメタなシチュエーションもその一つです」
「悪くないんじゃないか」男は作者に微笑み返した。




今日のお代は僕が出します。作者は千円札を置いて、店を去って行った。
少しの沈黙が流れる。けたたましい排気音の車が、店前を通り過ぎた。
「喋りづらいですね」
「喋りづらいなあ」
僕と男の声が重なる。フィクションなことは分かっていたが、ああも堂々と開示されてしまうと、僕たちのこれからの会話に影響が出る、というリスクを、作者は考えなかったのだろうか。
「まあ、考えてもしょうがない。我々は作られた世界だとしても、この世界を生きるしかないんだから」男はそう言った後、残っていたコーヒーを飲み干した。
「そうですね。普段通りに」僕はノートと筆箱をカバンに入れ、席を立つ。
僕達は会計を済ませ、店を去る。からんからん、とドアが鳴る。
店の窓からは西日が差し込み、男が飲んでいたカップを光らせる。
2022年。12月31日。土曜日。空は晴れていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?