週記48【回収】

核融合エネルギーが注目されていますね。
まあ、それだけです。私は理系ながらその辺の知識に弱いんですね。恥ずかしい。




・12月。年の瀬。今年限りのつもりはないけど、せっかくなので撒いた伏線をどんどん拾います。もともとそんなつもりなかったけど。
なお、この伏線回収をするために一度週記を全て読み返しました。労力は一番かかってます、この記事。




週記4「大人って何なの」

まあ、でもそうなりゃ、大人って何なの、ていう話にもなってきますけども、まあその辺の話はまた暇なときに、ということで
週記4【ニキビ】より抜粋

思春期ニキビと大人ニキビのうんぬんかんぬんについて書いてる際にこぼした伏線である。

これについては、丁度最近考えたことがあった。
精神的な意味で、大人と子供に境界線などない。
というか、人が子供と大人の境界を何としてるかによって答えなんて千差万別。生きてきた年数で判断する人もいれば、性行為したら大人、などの何とも手放しで助長するには惜しい基準を持つ人もいる。
しかし、どちらも共通点がある。それは「経るか経てないか」だ。
5歳を大人という人間はいない。また、5歳で初体験を終わらせる人間もいない(あくまで予想になってしまうが)。「経年数」「大人の条件」のどちらを考慮しても、大人になれない人はいる。つまり、大人になるためにはある程度の成長が必要だということだ。では、経年数ではなく条件を達したもののみが大人だと主張する人が間違っているのか、と言われるとそうではない。
例えば性行為、というのは成長した人が行う経験だ。5歳で済ます強者はごく少数(他国の文化とかは未調査です)。大人かどうかの基準として、非常に利用しやすい経験の一つである。だが、これを指標にしてはいけない、と思う。
理由は、中学生を大人と言わなければならない可能性があり怖いからだ。同じ理由で「酒」「たばこ」なども怖い。大人になればできるものに憧れ、幼いうちに経てしまう人を大人扱いするべきではない。
やっぱり大人ゲート条件通過システムじゃあダメじゃないか、となるかもしれないが、そうではない。なんなら、年齢で判断よりも条件で判断する方が良いと思う。大事なのはその条件を何にするかなのだ。
上に挙げた大人の嗜みは、子供にはやっぱり早い。だから子供が憧れ、まだ適してもいないのに禁断の果実に触れてしまう。カリギュラ効果、みたいなやつだ。では、「ある程度成長したらやらなきゃいけないけど、子供はそれに憧れないもの」とはなんなのか。私が答えをお教えします。

それは「1万円札を封筒に入れる行為」です。これは本当に最適解の可能性、あります。
まず、小学生くらいの子供は紙幣なんて持たないんです。持ってもせいぜい千円札。かりに、お年玉を持ったとしても、それは1万円札手にしただけ。そのポチ袋に一万円札を詰めているのは、大人の親戚なのです。
んで、中学生。大人には憧れるけど、わざわざお金貯めて、十枚の千円札を一万円札と両替して、それを封筒に詰めてみたいなぁ~、とは思わないでしょ。
高校生になれば、色々な事情でそれをする人も出てくると思います。でも、高校が一番グラデーションじゃないですか。大人と子供が混在するエリアでしょう。これは言い得て妙ですよ。久々に的を射たこと言えて鼻高々です。
はい、回収!




周期29「ボードゲーム」

「カードしか入ってないボードゲームはカードゲームと呼びたいがそうするとトレーディング感が出てしまって困る問題」については、別の機会があれば。
週記29【8月4日】より抜粋

大学の友人とラウンドワンに行く際に出現した伏線。

これ、本当に困る。
我が家は母がいるため、自分の家でする用の大きめのボードゲームが少ない。手軽に持ち運べる小さいボードゲームが増えるのだが、これのことを「ボードゲーム」と言って持ち運ぶのはとても窮屈な気分になる。蓋開ければカードしかないのにボードって。しかし「カードゲーム持ってきたよ」と言ってしまうと他の人は「お、遊戯王か?ポケカか?ヴァイスシュヴァルツか?」と考えてしまうんじゃないか?と危惧して、結果「ボードゲーム持ってるよ、まあ全部カードのやつだけども」みたいな長文になってしまっている。
まあ、この小さい奴らのことをボードゲームと言ってやればいいだけですね。頑張りますわ。
回収!




週記29「無料券」

「ラウワンの無料券マジでいらんけどせっかくならやっとくかって考え別に両方とも得してない問題」については、またの機会に。
週記29【8月4日】より抜粋

同上。

これ、本当にそう。
UFOキャッチャーやりたくて行ってない私からしたら、別に要らないんですよ。でもやっぱり関西人たるもの、無料という文字に弱い。やらな損やん!と思ってしまう。で、やる。弱いアームが、景品を掠める。微動だにせず終わり。なんやこれ。何この一連の流れ。時間返せ。
これを、ラウンドワンいけば必ずしちゃう私も私なんですが。でも、無料券貰ったのにチャレンジもせずに帰る度胸がないんだよな。次ラウンドワンいったときは「無料券貰ったけど使わず帰るチャレンジ」にトライしてみます。
回収!





週記31「いっそのこと振り切って」

いっそのこと振り切って、いつか10,000字超の大作をこしらえることにします。
週記31【イヤホン】より抜粋

伏線とかじゃないけどね、もはや。

この週記シリーズ、私の中で一つの投稿で2,000字程度にしようってルールを設けてたんですよ、いつからか忘れたけど。
でも書いて削って書いて書いて、ってしてるとどうしても2,500字とか超えるんですよね。長い長い、て思う。でももう最近は2,000字超えたらオッケー、としてるので、ドンドン長くなってってますよ。この調子で週記を続けてたら5年後には毎週10,000字超えの短編が公開されるようになるかもしれませんね。さすがに気力持たないです。




周期31「飲み会」

その飲み会では、今までの人生史上一番酔い潰れたのだが、それはまたの機会に。
週記31【イヤホン】から抜粋

誰が発端かは分からない。高校の頃つるんでいたグループのLINEで、飲み会の予定を立てていた。

私を含め五人で居酒屋に行った。普段からお酒を飲む人間ではないため、アルコールの味はまだまだ慣れない。周りの空気も作用して、結構無理して飲んだ。
一軒目を出て、はしごしよう、ということになったが、一人狂ったように酔っぱらった人間がいたため、入店を拒否された。結果、近くに家がある人間の家で宅飲みすることとなった。そして私はそいつの家のトイレをゲボで汚すことになる。
備長炭と私が買い出し担当となり、残りの三人は、酔っぱらった奴を介抱しつつも先に宅に行ってもらった。
五人の中で一番酒を嗜んでいるため、備長炭を買い出し担当大臣に任命したのだが、これが失敗だった。よく考えれば、一軒目でも注文を彼に任せた結果、飲み会において非常に満足度の低い食事になっていた。あそこで考え直すべきだったのだ。
買い出しも終わり、家に向かう。宅飲みが始まった。先述した大酔っ払いは既に吐き終えており、安らかに眠っていた。
私は可愛いラベルのチューハイ缶を開けた。他の人たちはビールだったり、水だったり。備長炭はビールを飲んでいた記憶がある。
缶が空になるころ、備長炭が、予め冷蔵庫で冷やしておいた日本酒を取り出した。この時点で備長炭もかなり酔っぱらっている。彼は、暇さえあれば乾杯しようとする大アルハラ魔人と化していた。
私の好奇心も働いてしまい、日本酒を一杯飲まされた。これが引き金だった。
いわゆるちゃんぽん状態となった私の体内は、「吐きます信号」を脳に送信。見事、便座がゲロで染まることとなった。
それから数時間、友人の家のトイレを占領した。寝転びながら、ミスチルを流す。私は落ち着きたいときに、ミスチルを聴くようだ。少しして、また吐く。吐き終えたら寝転び、ミスチルを聴く。2~3回、これを繰り返し、酔いつぶれゾーンは終了した。出玉3508ポイント。

二十歳超えたら、一回はお酒で吐いた方が良いですよね。成人の八割方が経験していることをつらつらと書いちまいました。
まあ、ちゃんぽんには気を付けてください。
回収。




週記36「いいことか、悪いことか」

高望みせず、ほどほどに生きることが出来たら、それが一番いいと思った。これがいいことなのか、悪いことなのかは、また今度考えましょう。
週記36【父とビールと未来の虚像】より抜粋

父との会話の中で、自分の将来に不安を感じたときに現れた伏線。
熟考を「考えすぎ―!」と自分の脳に言い聞かせて思考停止することは、果たしていいことなのかどうか。という話でもあります。
常に将来への不安と闘うのが若者のあるべき姿だとは思うのです。しかしそれは、それにより行動が伴う者のみではないでしょうか。私なんて、考えて終わってばかり。どうしようもない焦燥に駆られても、せいぜいすることは全てオナニーに近い。こんな奴の場合、考えて凹んで自分を慰めるくらいなら何も考えずに一度過ごしたいように過ごせやハゲ!と我ながら思うわけです。
これが良いことなのか悪いことなのかは、もう少し成長してから、具体的には大学生という肩書が取れて数年後に振り返って初めてわかるものだと思います。
未回収。




週記36「ルッキズム」

本当は今回、ルッキズムのこととかについて書こうとしたんですけどね、実は。
週記36【父とビールと未来の虚像】より抜粋

これを伏線と呼んでいいものか。否。
ただ、外見至上主義が強まってる気がする世の中にイラついてただけです。
その頃のイライラは今も継続中、かもしれません。ルッキズムイライラRUSH、継続!

最近、友人が、女性とすれ違う度「可愛かった」だの「ブス」だの言ってるのを見て、なんて安っぽい人間に成り下がってしまったんだ、と嘆きました。
私は独自の言い回しを非常に好みます。いずれは自分が作った日本語を各地に流通させたいと思っています。高望みです。
この日、私の「人の悪いとこ指摘語彙」という引き出しに「安い」が押し込まれました。「ダサい」「キモい」「コスい」「安い」。それぞれ用途は違います。言葉って全部そうなんですけどね。でもなんか、ことあるごとに「エグー!」としか言わない変な大学生みたいな「安い」人間にはなりたくないものです。
回収。




週記43「高校時代の因縁」

先ほど述べた「高校時代の因縁」については、また今度書きます。
週記43【11月14日】より抜粋

私はchano-maと因縁がある。因縁という言葉は大袈裟なのだが。

高校時代に遡る。
当時、インスタを開けば同級生の女子の投稿はchano-maだらけ。
あれ、サイゼリヤとかマクドナルドってこの世から抹消したんでしたっけ?と勘違いするほどに、instagramの中にはchano-ma以外の飲食店が存在しなかった。
私は万物をナナメに見るひねくれボーイに育っていたため、その不思議な現象に首をかしげずにはいられなかった。
後日、友人と昼食を食べに、マックに入った。勿論バーガーセットを食べるためだ。その際にchano-maの話題が上がった。
そして、知った。友人も、私と同じように、chano-maだらけのinstagramに辟易していることを。
ここの二人が同じ思いなのであれば、他にも多数いるんじゃないか?
これは、使える。
私は早速食べかけのバーガーセットを撮影した。
ストーリーズに、今撮った写真を「chano-ma」という文字を添えて投稿する。アンチテーゼ成功だ。
これで終わってもよかったのだが、当時の私は懲りなかった。
これシリーズ物にしたら、もっとおもしろいんじゃねえ?
その日から、私の昼食は被写体となった。カップ麺、カップ焼きそば、カップヌードル、色んなインスタント食品が「chano-ma」という文字と共に投稿されていく。私はアンチテーゼの連発を食らわせられたことに、一種のエクスタシーを感じていた。

それからしばらく経つ。当分「chano-ma」を上げていないころ、吹奏楽部の友人に話しかけられた。
「最近chano-ma、やらんの?あれ吹部の女子から結構人気やで」
私はあんぐり口を開けたまま静止していただろう。
彼女らを馬鹿にするために投稿しまくった数々の昼食を、彼女らに待ち望まれていたとは。本末転倒とはまさにこのこと。
「みんな、お前の健康を心配してたぞ」
やかましい。インスタントばっかりの私の昼食を見て栄養素がどう、とか言ってんじゃない。高校生なんて何食っても育つわ、んなもん。
私はこの日から、週末の昼食をとる際、脳裏に吹奏楽部の面々が浮かぶようになったのだった。嘘。

回収。




さて、いかがだったでしょうか。
怒涛の伏線回収。年末ってそれなりに忙しいのに、こんな記事書いて、君は師走の一番走者だねえ。そう思っている貴様は甘い。残念だが、私はこの年末年始、引くほど暇になる予定である。元々友達も少ないし、彼女もいないし、家族は忙しいのでね。
一人でゆっくり少しずつ、家の掃除でもしようかしらん。(いや、するはずがない。)

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