成長させてくれてありがとう~成長には何かしらの犠牲があるものだろう~
Kanon🍑
宇都宮国際学部3年
木の家ゲストハウス 宇都宮マネージャー
イベントコーディネーター(水戸)
個人での家庭教師・通訳・翻訳(英語)
ゆる~く日記のような感じで書いていきます。
でも今日のは自分が後に見返すための記録のようなものです。
1.気がつけば手遅れなこと
1日は24時間、1週間は7日。そんな誰もが知っていることでさえ、日々過ごしていく中で忘れていく。1日が過ぎるごとに何かしらの終わりに近づいていることも。学校の学期のように、終わりが決まっているものもあれば、突如として終わってしまうものもある。もっと早く気が付いて何かしらしていれば終わらなかったかもしれないこともある。過ぎれば残るのは思い出と後悔。
僕の人生にとても大きな、大きすぎるくらい影響を与えてくれた人。宇都宮に4月に来てから僕は忙しくなり連絡も取らず、週末に地元に帰っても会いにはいかなかった。それは今度時間が取れた時で大丈夫。忙しいからその人の誕生日とか特別な日にサプライズとかして久しぶりに会えば大丈夫、今までの感謝とかも別に恥ずかしいしいつか伝えれば大丈夫と思っていたから。4月の時点でその人があまり良くない状態なのは知っていたが、次の誕生日は絶対迎えられると思っていた。そして久しぶりにサプライズという形で再開できると思っていた。手遅れとも知らずに。
昨日、その日は来たので他の用事もあったことを理由に久しぶりに突然会いに行った。事前の連絡も取れず、事前のプレゼントなども郵便で届けられないとの連絡を受けていて少し不安を感じていたが、現地に行くまで分からなかった。予想はしていたかもしれないが、きっと信じたくなかったのだろう。自分の手遅れになってしまったという事実に。
2.胸をはれる自分があるか
その人は本当に僕を変えてくれた。若さゆえの自信過剰、クソガキのような自己中心的なわがまま、他人への接し方、僕自分の芯、普段の生活の中でも本当に大事なものは何か。本当に沢山ある。
今はよく、大人っぽいとか落ち着いている、余裕がある、失敗なんてしたことなさそうなどと、会う人会う人に言われる。それはうれしいことだが、それを言われるたびにその人のことが思い浮かぶ。本当に短い期間で180度変わって今ではこう言ってもらえるようになれたのはその人のおかげ。もちろんほかの人の影響も多くあり、その多くの人たちにも感謝しているが、一番大きいのはその人だ。
小さい頃は、僕は習い事でも1番暴れまわって先生達を困らせており、いたずらなどもリーダーとして周りを巻き込んでやっていたと親はよく言う。ビデオにその姿がありたまに見ると本当に今の僕の教え子達全員と比べてもトップレベルでひどい。その後も自分の中で知っているクソガキな自分が沢山すぎるほど思い浮かぶ。
それをこれまで色々な経験をしたり、自分の人生を、生き方を大きく変えてくれる人に出会えたことで今の僕がある。今の僕の教え子達や、背中を見てくれている子達には、可能ならば少しでも僕がその良い影響を与えられている人でありたい、そしてさらにその子達が道で迷ったときは、生き方を変えてあげられる存在になれたら光栄だ。
しばらく会っていなくても、心の奥底ではその人を頼りどころにしていた。その人を失ったことで今それもなくなってしまったことはまだ慣れないが、もう無くても大丈夫なくらいの人になりたい。
まだまだ未熟だと常々思うし、理想の自分の完成形にはまだ遠いが、やっとここ最近今の生き方や活動には胸を張れるようになった。失ったものも大きいが、それを糧に得るものもある。
3.自分分析するきっかけ
上記にあることが1番大きいが、ここ数日は細かくはかかないが、ずっと負の集中攻撃がある。2番目3番目もこの21年の中ではかなり痛いものだ。しかし、ダメージは受けるものの不思議と耐えれていることをまた不思議に思っている。ショックでボーっとしていた短い時間で自分分析をした。学校も授業ちゃんと受けれているかは置いておいて毎日行っている。仕事も毎日全力でやっている。子ども達への活動ももちろん、新たな試みも考えている。ジムにもいってるし、自炊もできている。感傷に浸る時間も欲しいなと思いつつも、日々の忙しさと活動への熱意が心のバリアとなってくれている気がする。昨日も、ショックから30分もすれば普通の顔で運転していた。
心のバリアが強くなると僕はポーカーフェイスになり、周りと距離を置いてしまう傾向にあることに最近気が付いた。心のバリアが強くなるメリットもあるが、デメリットは感情を出さない状態になってしまい周りに気持ちが誤って伝わるか、純な気持ちが伝わらないことだ。自分の弱みをこうやって文面ではなく、対面で見せることのできる人は本当にすごいと思う。弟はそれが得意で、その素直さにいつもこっそり尊敬している。それができないことが僕の1番の欠点でありコンプレックスだ。僕は今書いていて、文面のありがたさを実感している。対面では隠すことを素直に書けるし、後に見返せるからだ。
みんな日々忙しく、周りの変化にいちいち気を配ることは大変だし、人間関係でも後回しにすることも多いだろうが、できるうちにする大切さ、素直に伝える大切さを学んだ。伝えたかった事、上記にあるような感謝は結局、かっこつけてちゃんと言わなかったから、チャンスがたくさんある時にしっかり伝えられなかった。これをもう届けることはできない。もし、これを読んでくれた人で大事なことを後で大丈夫と思っている人がいたら、本当に大丈夫かもう1度考えてみて下さいと最後お伝えしたいです。
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