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ダメになりそうでも、何か望んでいたいよ

何かを望むということは、未来のわたしと約束をすることなのではないか、と、ふと考える。ちょっと大げさなこと言うけど、「その日その時まで生きていてね」という約束。

望むというのは、なんかでかいことじゃなくてもよくて、今日アイス買って帰ろ、とか、来月あのバンドのライブ行こ、とか。来週あのマンガの続きでるから、楽しみだな、とかそんなんでいいんだと思う。

時速36kmというバンドが好きだ。彼らの「素晴らしい日々」という曲に、こんな一節がある。

どうしようもないことが増えても、どうか何か望んでくれないか

どうしようもない気持ちのときに、わたしはよくこのフレーズを思い出す。何も望めないような日もあるけど、それでも心の中で、こっそりつぶやく。

なんだかダメな時ってあるでしょ。
特別イヤなことがあったわけじゃない。理由はわからないけど、小さなモヤモヤが降り積もった結果、にっちもさっちもどうにもブルドッグ、全く身動きとれないワンという状態になってしまう。

理由があればよかったのに、と思う。
理由がないから「つらい」ということもできない。気持ちが沈んでどうにもならないことだけは、紛れもなく事実なのに。

それでも、どうにか元気を出したいと思う。
だから、わたしは、夜に夫と二人で食べるためのおやつを買う。部屋に飾るための花を探す。
明日の朝ごはんのこと、来月あるライブのこと。
そういうことを考える。明るい方向に、自分を持っていこうともがいてみる。

何かを望むことは、未来のわたしと約束することだと書いた。望むことがあるというのは、ほんの少しだけ心が前を向くことだと思う。1ミリくらいのもんだけどさ。

だけど、小さな望みのおかげで、どうにかやり過ごした夜が何度もある。

どうしようもない日は、多分これからも来る。
こんなはずじゃなかったのにな、と肩を落とす夜も来る。

それでも、できれば何かを望んでいたいと思う。
どんなにくだらなくてもいいから、未来のわたしと約束がしたいと思う。










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