吾輩は勝負師(ギャンブラー)の妻である
吾輩は勝負師の妻である。借金はまだ無い。
いくら賭けているのか、とんと見当もつかぬ。
なんでも騒がしく馬がたくさんいるところで、夫が「行けー!」と叫んでいたことだけは覚えている。
吾輩はここではじめて競馬というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは「新潟競馬場」という国内唯一の直線コースのある競馬場であったそうだ。
この競馬というものは、常々夫の心を捉えて金と時間を食うという話である。
しかしその当時は結婚するという考えもなかったから、特段恐ろしいとも思わなかった。
ただ休日に競馬を見せられて「させー!」と彼が叫んだ時「いつ終わるのこれ」という感じがあったばかりである。
テレビの前で少し退屈して馬が走るのを見たのがいわゆる競馬というものの見始だろう。
この時妙なものだと思った感覚が今も残っている。
ある時夫が、馬券の必勝法を編み出した、と興奮していた。話を聞いてやるのが勝負師の妻の役目であると思い、聴く姿勢をみせたのが間違いであった。
夫は一生懸命、説明している。しかし、何がどうすごいのか、理解できない。吾輩は競馬においては全くの素人である。
「ほう」「それは何がすごいの」「へえ」と相槌を挟んでみるものの、馬の耳に念仏。
結局ちんぷんかんぷんであったので、「SNSとかで競馬仲間に教えてあげたら、多分みんな喜ぶよ」と匙を投げた次第である。
2019年の年の暮れであった。
吾輩は夫に連れられ、中山競馬場に足を運んだ。
場内は沢山の人間で溢れ返っており、迷子になったら一発で終わりだな、と前を歩く夫に必死に着いていく。
夫は友人と合流し、何やら話し込んでいる。
聞き覚えのある馬の名前、知らない馬の名前が断片的に聞こえてくる。わからない。わからないが楽しそうである。その時理解できないながらもこう考えた。
こんな所に連れて来られたのはつまり吾輩と一緒に趣味を楽しみたいという願である。
賭けは程々にして欲しいのは山々であるが、やめられないのは知れきっている。やめられないと分かり切っているものをやめさせようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。
「もうよそう。勝手にするがいい。かけごとはこれぎり御免蒙るよ」と、2番人気、リスグラシューに、単勝100円を掛け、馬の力に任せて抵抗しないことにした。
次第に馬が走ってくる。本命も穴馬も見当がつかない。集団の中にいるのだか、先頭の方にいるのだか判然しない。
どこにどうしていても差し支えない。
ただ馬を見る。否、馬そのものすらも見えない。
(中略)
吾輩は賭ける。賭けて競馬の楽しみ方を得る。
賭けなければ競馬の楽しみは得られぬ。
南無阿弥陀仏。行けリスグラシュー(注1)
ありがたい。ありがたい。
注1、2019年の有馬記念で、リスグラシューが優勝しました。確か、彼女の引退レースだった気がします。
初出 仲良し夫婦サークル
「パートナーに理解されない趣味」
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