ペルソナ3オブザデッド P3Rエピソードアイギスむり日記 vixi.(私は生きた。)

エピソードアイギス無理です

 2007年にP3 FES発売をリアタイして、後日談「エピソソードアイギス」を前情報なくやり、結果もうP3を好きでいることが辛くなり、一度離れた人間です。当時、同じように後日談を契機として、オンライン上の同人サイト(の時代でした)で毎日のようにP3の話をしていた人がぱたっとP3に触れることがなくなり、更新が止まったり閉鎖したサイトさんもたくさんありました。FES後日談が失ったS.E.E.S.のキャラ人気は凄まじく、それは現在に至るまでキャラグッズの取引相場価格にまで影響を及ぼしています。
 私は心に負った傷が癒えるまで何年もかかりましたし、傷が「治った」わけではありません。資料集もサントラも買って後日談に対して「しょーもな」という結論にいきつき、以後P3無印の強火担に自分をカテゴライズしています。
 私が後日談を毛嫌いするお気持ちは前のブログや過去記事のどっかにあると思うので省きます。今思い返しても、後日談をプレイしている間、一体何が起きているのかずっと分からなかったという感覚でした。シナリオに説得力も引き付ける力もなかった。何を見せられているんだろう…?っていう虚無い心で、でもキャラクターがシナリオの駒になっているのと、作った人がアイギスに萌えているというのをずっと感じていました。

リロードアイギスがミックスレイドを使うのは「ナシ」だと思う

 P3Rのエピソードアイギスをディレクションされる方の経歴と発言を見ると、ペルソナシリーズに関わったこともなければP3に特段の思い入れもないことがわかります。おそらく、後日談を巡るファンの複雑怪奇なお気持ちをわかっていなさらない。だからアイギスにミックスレイドをあげちゃったんだろうし、もっとひどいこともするだろうな、と思っています。2007年に私が後日談の内容を知っていたら買わなかったので、私は同じ過ちを繰り返すまいと思います。

私としては「P3」が私ことプレイヤーと主人公の物語である以上、P3のエンディングでP3の物語は完結しています。

 主人公がいなくなった後の残された人の物語だから大事だと考えている人に聞きたいのですが、じゃあなんで4,5でそれをやってないんでしょうか。ペルソナ探偵NAOTOとかカウントすればいいでしょうか?いや~あれはないでしょ。死んでるか生きてるか違いがある? いやいや、大切な人を失った人がその喪失を乗り越えて前に進む選択をするまでの過程を描いた物語、それはP3本編です。後日談とは結局のところ資料集のインタビューで制作者が語った通り以上でも以下でもない。「アイギスに帰る日常をあげたかった」です。そもそもが、主人公の生死が「正しく伝わらなかった」から、はっきり明示するつもりで後日談を出したと書いてある。「正しく伝わらなかった」のは作り手の伝達力ステが貧相だったからだし、今のユーザーはインターネットがあるのでP3主人公がエンディングで死んだのか生きてるのかくらいすぐわかるんです。後日談がなくても。

2007年に多くのP3ファンが去った。それと同じことが繰り返される

 ストーリーを変えないんじゃしょうがない。「ハム子とFES」!という、本当はハム子がほしいだけだけど主張に正当性を盛るためだけにFESにも言及した、そもそも後日談とFESを一緒くたにしているどれだけの浅いツイートに背中を押されたのかわかりませんが、ストーリーを変えないんじゃあね…。リロのここが良い、特殊会話発見の知らせが、面白死が、変なペルソナ作ったの話が、減ってきました。私も後日談受け付けない民なので初訪が来た時寝込みました。

でもまだ一発逆転の目はある。

 エピソードアイギスは①作った②アイギスにミックスレイドを使わせた だけでもうだいぶわたしスコアが悪いですが、ここからエピソード・アイギスが神シナリオになるかもしれない可能性が一つあります。アイギスが「死ぬ」ことです。
 私が後日談のせいでアイギスのことを好きじゃないことを差し引いても、「生きるということは、いつか死ぬということ」これはP3の動かしがたいテーマの中でも一番核となっている部分です。

田中:極端な話をすると、エンディングで生き残ってもいつかは絶対死ぬので単に「生きながらえた幸福感」だけ描いて終わったら、この作品としては知り切れというか、テーマにフレない結末になってしまうと思いました。

FESの資料集

(アイギスに生き永らえた幸福感を与えてエンドした舌の根も乾かぬ内にこれなんだから笑っちゃう。)
 アイギスは「死なない存在」です。ゲームの中でニュクスがそう言ったんだからそうなんでしょう。でも果たして、「生きるということは、いつか死ぬということ」に照らして、アイギスは「生きて」いるのでしょうか?それは単に「機械として動いて」いるだけなのではないか?
「あなたを守るためなら、生きていける」と、本編の最後に主人公に言ったアイギスですが、そんな彼女が主人公を喪い、結論「あなたを守るためでなくても生きていける」になるのが後日談です。でも、人間らしい心があるかどうかは、「生きるものは死ぬ定めにある」こととは全く次元の違う話です。
 いつかアイギスが動かなくなった時、彼女は「壊れた」のか「死んだ」のか、それだけが彼女が「動いていた」のか「生きていた」のかを判別しうるのです。そうでなければテーマが「死」の作品に死なない存在がいる意義がない。機械だから永遠に生きるのだ~なんて古臭い夢物語だし、そもそも、永遠に生きる存在、はそれ自体「絶対の死」というテーマから逃げてるので、P3のテーマを完遂するにはアイギスをなんとかしないといけないです。
 これは、P4Uからエリザベスがずーっと引っ張っている主人公どうするどうなる問題よりも重大です。

最後に

 P3Rの発売をワクワクして待ったのが半年くらい。楽しくプレイしたのが2/2~3/4の約1ヶ月。エピソードアイギスが発表されてもうダメになりました。こんな記事を書く前に、P3Rをしゃぶり尽くして、満たされて、血肉にして、アトラス様にちゃんとした感謝の記事を書きたかったです。でももう無理です。後日談が来るとわかってしまったから。9月とかめっちゃ先だし、もう少し純度100のP3Rの世界に浸っていたかった。悲しいです。