フェス後日談関連の個人的に好きなレス

引用元:ペルソナ3ED考察ネタバレスレ

「命の答え」なんてそんな禅問答みたいなテーマを、たかがゲームをやったくらいで理解できてりゃ誰も苦労はしないよな。
結局それらしい言葉を使って煙に巻いているだけだと思う。
橋野だってそれが何なのか分かってないよ。
インタビュー中にさんざんいってるじゃん
「僕にも説教する資格は無い」とかさ。
あれはつまり説明の放棄だろ?

大切な人を守れなかったり、物見遊山気分で仲間のはりつけ見に行って得られる命の答えに価値なんてあるのか?

つうかそもそもアイギスが機械の必要あったのかよ
機械として役に立った事があったのかよ
死を知らない、死なない事を生かして人間の仲間の為になる事を何かしたのかよ
はっきり言ってこいつの存在自体が蛇足だった

本編を楽しんだ人ほど後日談メンバーのキタローに対する態度は納得できないだろうな
時の狭間に閉じ込められてたのもキタローへの未練じゃなくて充実していた過去への未練なんじゃないのかと
もし本当に未練があるなら助けられる可能性があると知った時、ゆかりみたいにまず助けたいと思うものなんじゃないの
そう思った後でリスクとかを考えて躊躇したり迷ったりするならまだわかるんだけど

それにゆかりでさえ本当にキタローの事を思って助けたいと思ってたのかも疑問だし
助けたいと思ってるなら普通は助けられないって分かった時がっかりするもんだと思うんだけど
ゆかりは逆にそのタイミングで立ち直ってるんだよね、俺が思うにその時点でゆかりにとってキタローはもう必要ない存在なんだよ
ゆかりはただ依存できる相手が欲しいだけで、コロシアムの件で美鶴という新しい依存対象が見つかったからもうキタローにこだわる必要は無い
でもあれだけ助けに行くとわめいた手前心の整理がつかない、でも助ける事が無理だと分かるとそれを機会にあっさり切り捨て
なおかつキタローの為にも前向きに生きるという逃げ道まで用意してすべての問題を解決させた
だからゆかりはあんなに晴れ晴れとしてたんじゃないかな、あそこまで器用に自己防衛されるとなんかね・・

よく考えたらニュクスの欠片であるデスをアイギスは封印してるんだよな

メティスが言ってることは当てにならないと言うのは同意だけど、
>キタローが封印するまでは別の人が封印していたみたいなことを言ってたけど
この部分は逆。
「キタローが封印する前は誰も封印していなかった。なぜならニュクスそのものは無害であり、封印なんて必要なかったから」と言うようなことを言っている。
メティスが信用ならないのは、そういう重要事項を全て知っている物語の案内人の役でありながら、登場した時はそれらを全て忘れていたとか言い出す点だ。
物語の核心になるあらゆる重要事項を知っていながら、それを忘れている状態で登場。
いくらなんでも不自然すぎる。ありえないだろ…
そういやアイギスも10年前のことをすっかり忘れていたしな。
重要なことは忘れてしまうのがこのゲームのデフォなのか?

アイギスは自分のシャドウであるメティスの誘惑に負けて主人公を見捨てたと。

だいたいにして主人公はあいつらにとって、命の恩人なわけだろ?
その恩人を助けられるかもしれないという選択肢が出た段階で
真田なんかはいきなり否定する事から始めたあげく「あいつは選んだんだ!」だぞ?
お前、今の自分があるのは誰のおかげだと思ってんだと
命の恩人に向かってこんな事言うなんて、この時点で人間として最低だろ

真田「あいつは事故で死んだわけじゃない!選んだんだ!」
ってこうして改めて見てみるとすげー酷いなw
まるで自殺でもしたかのような、あるいは望んで死んでいったみたいな言い方だよ
もうそれ以外どうしようもないからそうしただけなのにな
もちろん生きて帰りたかったに決まってるじゃないか
あんなに大勢の人と色んな約束してるんだぞ? 全部駄目でしたって・・・

望まず得た力がもとで戦いに巻き込まれ、
遂にはどうやっても自分の死は免れない状況に追い込まれた。
これが事故でなくてなんだ。

デスの封印は選択の余地なしの強要ですが
明確に語られてないけど両親の死因にすらアイギスが直接絡んでる可能性がありますが
なによりそれらに対する明確な謝罪や反省の印象がこの上なく弱いんです…

キタローは心の中で選んだのかもしれないが
我々は「選んで」ないよね。
そこが大問題であって
ドラクエにたとえればPTがピンチの時に「メガンテ」って書かれたメモ用紙渡されて、
声に出して読んでみたら自爆しちゃったみたいな

そもそも「選択」してない。「強制」はされてるけど。
言うなればカレー味のウンコとウンコ味のカレー理論だろ。

磔主人公見て胸のもやもやが取れたと笑顔で語る天田見て胸がもやもやした

磔にされてるのが荒垣や天田母、岳羽父、お父様、ミキやナツキにチドリでももやもやがとれたり、あいつは自分で選んだんだとか、めでたしめでたしで最後の締めは笑顔で「学校行きたいです」だったら、SEESはいろんな意味で本物だと思った
このスレ見てたら主人公はあそこで死ねて(SEESから逃げれて)良かったなと思うよ。磔主人公に人間としての意識がなかったらだけど

「戦闘用に作られたロボットにも日常を」というのがそもそもおかしすぎる

ロボットだろうが戦車だろうが人格があるなら、当然ヒトとしての幸せを追求する権利があろう。
それが日常の中にあると考えるならそこで暮らしてみるのもアリだ。
でもお前、自分の被害者でかつ命の恩人を踏みつけて「オイは学校へ行きもす!」じゃあ、見てる俺としちゃリアクションに困っちゃうよ。

アイギスはラストで「あなたを生んだ世界が滅びるなんてダメ」って言ってるから、ここはこのテキスト書いた人の間違い?みたいなものだと思うけど、後日談やるとラストの時点でアイギスは世界>主人公なんだと思えなくもなかった。

そもそもアイギスはどうやって生きているんだ?(脳が焼ききれた後)
風花がまるで人間みたいって言ってたけど、人間でも脳がないと生きていられません
自分自身の亡骸に憑依したゴーストみたいなもんなのか?

P3に限ったことではないが
後味が悪い=心に残る=感動するではないということに
最近のゲーム製作者は早く気付いて欲しい。
安易にキャラ殺せば感動の場面つくれるわけじゃねえっての

発売前インタビュ―ではアイギスは死を知らない,精神を持たない存在として
感情的な主人公と対比させるための存在だと言っていたんだが
後日談をやった後だと,
機械でありながら人の利己的な汚さを持ったものと
人でありながら神格化された自己犠牲を体現したものとの対比にしか見えんのだが…

つーかニュクス=死と戦って、タロットカードになぞらえて死を乗り越えて宇宙までたどり着いたはずの主人公が結局最後に死にました、じゃ番号がまた戻ってるじゃねえかw

自己犠牲の道を選んだ人ってのは、基本的にそれしか方法がなかったから「仕方なく」選ぶよな。
「(目的を達成するためならば)「喜んで」命をささげます」ってのも、他に手段があるならそれを選ぶよな。
それを「あいつは選んだんだ」って心から望んで死んだみたいに言われても困るよ。

それ以前に真田なんて、そのおかげで今自分が生きていられるという感謝の気持ちが全くないしな。
あと人の命より思い出のほうが大事とか完全にイカれてる

その人の命より大切なその人との思い出ってなんなんでしょうね。
屋久島ナンパ奇行ですか?

真田「幾月に騙されて、ニュクス復活の手助けをした事だ!」
もう何言っても駄目だろコレw

もしかして最も情に篤かったキャラってジン?

キタローはよみがえるかもしれない、でも、歴史を変えることで失う尊い物がある。
みたいな描写が後日談本編でなされてないからねぇ、真田の言ってる台詞全般が寒い綺麗ごとにしか聞こえないんだよね

風花「あの怪物が消えるには一人一人が変わっていかないと・・」
美鶴「怪物を消す方法は本当は無いのかもしれないな・・」
ロボ「大丈夫です、私が変われたんですから。何だって変えていけます」
順平「だな」
真田「ああ、世の中捨てたもんじゃない」
美鶴(・・・いや、どう考えても無理だろう)
風花(み、みんな本気で言ってるのかな??)
天田(やれやれ、おめでたい人達だ・・)

俺の中でエレボス戦後の会話はこんな感じ、本気で世界を変えられえるなんて思ってるのは
無知なアイギスと脳筋な真田くらいだろ、順平は何も考えてない、ゆかりは自分の事しか考えてない
だいたい自分が変われたからって理由が全くわからん、自分が変わるのと人類全てを変えるのとでは全然話が違うだろ

アイギスが変われたって、どう考えても悪い意味でだろうw
他の奴らもエゴ丸出しで本編後半の成長はその場しのぎでしかなかった事が露呈したし

つーか本気で変えられると思うなら、できるだけ過去に行きあがいてみせろよ
過去の自分たちに無理だったから今の自分たちのも無理だと諦めた連中にそんな事言われても説得力ゼロだぜ

過去を変えられないというのは確かに現実なら当たり前なんだが
後日談では戻る事ができるから「変えられる可能性があるのに」奴らは何のアクションも起こさず「変えられない」と諦めてるだろ
そんな連中に「何だって変えていけます」なんて言われてもギャグにしか聞こえないよな

つうか主人公以外の連中って、はっきり言うと全敗なのにな
幾月に騙されてニュクス蘇らせといて、そのニュクス戦でも無力(一応、力は送ったが)
そして各自守ると決めた人間も守れずに、後日談では主人公も救えなかった
負けってレベルじゃねーだろ
それであんな明るくされても、あまりの救いのなさに開き直っただけかと

P3でみなが腑に落ちない理由をRPGのあり方の観点から冷静に考えてみた
まずRPGには大きく分けて二つのあり方があるんだよね。「鑑賞型」と「体験型」

鑑賞型の特徴は、主人公は名前性格も固定されていてプレイ側に関係なく自己主張し基本的に一本道。
主人公も喋る事でプレイ側に客観的にわかりやすく物語の主旨を伝えられる事に利点がある。
一方で主人公の性格が合わず共感できなかったり、プレイ側が直接物語に干渉できず結末も選べないためゲームというより映画みたいだ、と批判される事もある。
それと「見せる事」に重点が置かれがちで、製作者の独りよがりになって批判される事が多い。FFなんかがこれに当たる

体験型の特徴は、主人公の名前も性格もプレイ側が決めプレイ側の選択なしに自己主張もしない。基本的にマルチエンドになる事が多い
プレイ側が主人公を自由にキャラ付けできて自己投射し易く、選択肢を設け複数のエンドからプレイ側が納得のいく物を選べる点に利点がある。
一方で、続編を作る時にどの結末を正史にするかで問題になったりもする。
基本的に製作者の考えを押し付けない為、プレイ側に委ねる事に重点が置かれる。メガテンシリーズは基本的にこのパターン。

P3の場合は後者なのにも関わらず、選択肢によらず主人公の死は固定。また後日談ではプレイ側が本編で選んでもいない
選択肢を主人公が納得してしたものとしてしまい、製作者の考えを押し付けずプレイ側に委ねるという基本も完全に無視して
鑑賞型RPGの製作者の独りよがりになりがちという悪い点をわざわざ持ってきている。
それと本編のプレイ時間も長い為に、主人公のキャラも各自のイメージは完全に自分の中にできてしまっていて
後日談でただでさえ行動のおかしいアイギスをいきなり主役に変えられても感情移入が余計しにくくなっている。

要約すると、体験型RPGの良い部分をみすみす無くして、鑑賞型の悪い部分をわざわざ付け足したのがP3Fの本編+後日談。
あり方が中途半端で、ユーザーの体験型RPGとして期待する部分とも完全にずれてしまっている。
これじゃ共感なんて到底できないな。

あと田中の「映画みたいに主人公から一歩引いた視点に」ていうの意味不明なんだが
これって主人公が鑑賞型の時に用いる手法なのに、今回みたいに体験型主人公=プレイヤにしたら
主人公に密着した視点で主観的に見せないとダメだと思うんだけど

なんかさー、アイギスに帰るべき日常がないっつーのはソフト(魂)じゃなくてハード(ボディ)と環境の問題だと思うんだよね
12月の時点でアイギスは与えられたペルソナじゃなくて自分自身のパーソナリティをすでに獲得しているんだから。
3月中でも桐条に「学校に通いたい」と頼めば別にOKされたんじゃね?なんで後日談を経由する必要があるの?

「回線が焼き切れているのに動ける」というのはラボでメンテナンスを受けなくても生きられる肉体を手に入れた、ということなんだと思うんだけど、学校へ行くならどっちにしたって、桐条から学資や生活費とかのバックアップはいるんだろ?
後日談でアイギスの問題っていったい何が解決されたの?

てかわざわざアイギスに帰る日常を見つけてあげないといけない
って事はもともとアイギスに存在理由がないって言ってるようなもんだよな

アイギスの存在理由なら色々あるよ
軍需産業への応用とか、幾月にリモコンで操られるとか

つか、人の死に触れたいという願望云々でどうにかなるんなら、
同程度存在するであろう死を恐れる感情、生に執着して死を拒絶する感情は、何も影響せんの?

そんなに死が素晴らしいのならアイギスも死なせばよかったのに。ついでに愉快な仲間たちも
実際のところ橋野はマジで死が素晴らしいなんて思ってないだろうな
ちょっとかっこいいかも程度に考えてるだけで

以前のも「演出が分かり難い」んじゃなくて「死ぬ意味が分からない」んだよな
先入観とか思い入れとか排除すれば普通に死んだように見えてた
そこを見事に勘違いして共感できない&意味が分からない思想・思考を
アホの子相手にする如くクドクド解説される後日談書いちゃったんだろうなぁ
修正する場所が間違ってる

ユーザー「どうしてわざわざ卒業式で主人公が死ななきゃならないんですか?」
橋野「あ、分かりにくかった? 大いなる封印というのは実は命を使ってニュクスを、」
ユーザー「いやそうじゃなくて・・・」
みたいな感じかな?

ニュクス封印で死ぬって事すら、イゴールを含めて誰からも言われてないし
ゲーム中でも情報でてきてないもんな。

イゴールのセリフを真に受ければ、ユニヴァースを発現した時点でキタローは無敵になったと思っても不思議じゃないのに
実際はニュクス相手に食いしばって耐えるだけ。仲間の声援で力を貰ってようやく封印を使えるようになって、使ったら全HP消費して死にましたって阿呆かとwww

つまりは主人公が死ぬことの必然性が無いんだよな。
後日談のエレボスとかはもう完全に後付けだし。
ハリウッドのアクション映画のエンディングで、危機を脱して悪の組織を壊滅させ
ヒーローがヒロインと抱き合ってキスしてる所に看板が降ってきて即死するようなもんだ。

観客「え? なんで死ぬの?」
監督「看板に潰されて圧死だけど? 分かりにくかったかなぁ・・・」
そしてその映画の後日談では、いかにして看板が設置され、それが外れて落ちてきたのかという理由が細かく描写されるわけだ。

それを後味の悪い話として描いたつもりだったり、あるいは>>706氏の言うようにコメディ映画(最終絶叫計画とかな)だったりすればまだ分かるのに、
「あれは最高のハッピーエンドなんです!」と気持ち悪い持論を力説するあたりでもう、ね・・・

そもそもアイギスって経済的にも精神的にも誰かに依存しなきゃ生きていけないんだよなぁ。
それで兵器としても厄介ごとを他人に押しつける。
あげく分身生み出して仲間攻撃する始末。
結論:世界平和のためにはまずこいつを廃棄処分すべし

主人公から逃避する為に分身生み出すような奴だ、廃棄処分なんて知ったらエレボス級の悪意有るシャドウ生み出しかねん。

「冷静」なのと「薄情」なのは違う。
橋野田中は美鶴や後日談の真田を前者として描きたかったんだろうが
あの描写じゃ後者に取られても仕方ないし好感なんて抱けない
美鶴の人気はコミュあってこそだよなメインシナリオじゃ身勝手無能っぷり全開だし

自分も桐条の被害者ですって顔してるけど
その割にしっかり実家の権力利用してるしなぁ
こんな事になったのは桐条のせいなんだから
解体させるのが自然なのに「必ず立ち直る!」って…

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