なぜアサシンクリードシャドウズが炎上し続けるのか

アサシンクリードシャドウズが炎上し始めたのがたしか主人公とか発売日が発表された5月ごろだったと記憶しているので、2か月ほど経過したことになる。
いまだに炎上しているし、制作中止の署名もやっている。
私自身は、正直言うとアサインクリード自体は1作目で自分に合わないな、と思ってプレイをやめてしまったので最近のシリーズがどうなのか知らないし、今のところシャドウズを買う予定もない。
しかしこの炎上し続ける様を見ていると、UBIと日本人にはある致命的な価値観の違いがあり、UBIがこの違いを理解しない限り炎上は終わらないだろうな、と感じた。
UBIはフランスの会社だが、これを種族 vs 種族(フランス人vs日本人)という図にまでしてしまうとちょっと違う気がするので、ここでは企業 vs 種族という形にした。

日本人は自分たちの文化や歴史をモチーフにされても怒らない種族、世界一位

と書いたけど、実際にアンケートや統計を取ったわけではないので、これって私の感想ですよね。なんかそういうデータあるんですか?ないです。
でもそんなにズレた感想ではないと思う。
外国人が「日本にはまだ忍者がいる」と思っていると聞いて、驚く日本人は多いけど怒る日本人は少ない。
外国人が着物を着ていることに対する「文化の盗用だ!」っていう声にピンとこない日本人は多いと思う。むしろ嬉しそうに着てたら喜ぶ人もいる。
こういった話でよく例に挙がるニンジャスレイヤーはその極地だろう。
あんなに無茶苦茶な日本観だけど、あれに怒っている日本人って見たことない。
むしろ大好きな日本人が多い。私も大好きだ。

もちろん上記の例に怒っている人、傷ついている人がゼロだとは言わない。どんな事柄にも怒りや不快感を覚える人はいるものだ。
それに、侮蔑するような言い方や使い方をされればブチ切れる。でもそれはそこにリスペクトがないからであって、日本の文化が関係していようがいまいが、侮蔑されれば怒る。それだけの話だ。

日本人は寛容なのか、価値観が他と異なるのか、どっちかといわれると日本人の私も正直分からないが、単一民族かつ島国ということを鑑みると後者かもしれない。
この話をこれ以上突っ込んでもセンシティブな方向に進んでいってしまう気がするのでやめておく。

なぜ日本人はアサシンクリードシャドウズにブチ切れたのか

そんな日本人がなぜアサシンクリードシャドウズにブチ切れ、今もなおブチ切れ続けているのか?
リアクションを見る限り、UBIは今もまだその理由がわかっていない。
「え?なんで何言っても怒らない日本人がこんなに怒っているの?信長が女性になっても喜んでたでしょ?自分たち、ちゃんと日本の文化リスペクトしてますよ」
というと、言い過ぎというか、穿った見方し過ぎ、という気はするけど怒っている日本人が感じているUBIの態度はこんなもんだと思う。
だから今も炎上し続けている。

日本人がブチ切れているのは
「日本人という種族の歴史や過去を改変したり、なかったことにした」
ということだと思う。
これはアサシンクリードシャドウズに限らず、これまで日本人がブチ切れたこと全般に言えることだと思っている。

別に日本人は自分たちの文化や歴史を面白おかしくモチーフされても(そんなには)怒らない。
そこに
「フィクションであり、実際の歴史とは別だ」
という線引きがしっかりされている限り。
日本人が日本の歴史をモチーフに制作したフィクション作品はたくさんある。例えば戦国無双。
歴史上の実在の人物がたくさん出てきて史実をベースにしているけど、ビームは出すわ、一人で何百もの兵士を瞬殺するわ、無茶苦茶し放題だ。
でも、これにブチ切れている日本人なんてほとんどいない。
仮にこういうゲームを外国の企業が制作しても別に怒らない。
だって、フィクションだし「これはフィクションです」と言い切っているから。

UBIとアサシンクリードシャドウズは何が違うのか、というと、彼らは
「このゲームの舞台は日本の史実だ。専門家のチェックもあり日本の歴史を忠実に再現している。」
と言い切っている。
つまり、ストーリーはフィクションだが、舞台はフィクションではない、日本の歴史そのものだ、と述べていた。(もしくはそう判断された)
しかし実際には史実と異なる点にたくさんの指摘が挙がり、専門家のチェックとは何だったとか?という話になっている。
誤った史実、異なる年代の史実の使用、いろいろ挙がったし、そこまでつつかなくても・・・というものもなくはないが、今後もポロポロ出続けていくのだろう。

日本人がブチ切れているのは、誤った史実を「正しい史実だ、ちゃんと確認した」と言って使用していること、つまり、結果として史実、歴史を改変している、と捉えられるようなことをしているからだ。
日本人の沸点というか地雷は「歴史改変」だということをUBIは理解していない。
日本の歴史はモチーフにしているけど、実際の史実とは関係ない、フィクションだ、それはそれ、これはこれ、と線引きしている限り日本人は(よっぽどのことでなければ)怒らない。
でも実際の(少なくとも日本人がそう信じている)史実と異なる事柄を「実際の史実だ」と言うと激怒する。
そしてそれが故意だったのか、過失だったのかは日本人にとっては関係ない、歴史や過去をいじられるのは絶対に許せないのだ。

例えば某国が「○○(日本でポピュラーなもの)の起源は我が国だ」というと、日本人は激怒する。(それが実際のところ正しいか否かはここで論ずることではないので割愛)
でも「○○が某国で流行」だったら、まぁ一部の過激なナショナリズムの人は怒るかもしれないが、ほとんどの日本人は怒らない。

大河ドラマはここ数年、史実との差異がよく指摘されているのを見かける。
大河ドラマはフィクションだが、史実をストーリーにしているのでどうしても指摘されていまう。
もっと堂々とフィクションだと言い切れば細かいところはまぁいいか、となるかもしれないが、昔からフィクションとそうでないものの区別がつかない人間は一定数いるので難しいだろうという気もする。まぁそれは別の話だ。

UBIはこの辺りを理解していない(ように見える)ので
「いや、私たちは日本の文化をリスペクトしているし、文化の盗用はしませんよ。最大限、日本の文化や歴史を再現するよう努力しているじゃないですか、何が不満なんですか?」
という姿勢に映ってしまう。
「文化の盗用」という指摘への対策が日本に限っては裏目に出てしまった、というのもなくはないと思う。
他国の文化や歴史をモチーフにして作品に使用すると、それだけで「文化の盗用」と言われてしまう現実はある。
なので「私たちはあなたたちの文化や歴史を盗用してただエンターテイメントとして消費するつもりはないんだ。忠実に再現して実際の文化や歴史をユーザーに体験してほしいだけなんだよ」というポーズを取らざるを得なくなっているのではないか?という気がする。
でもそれが日本に限っては裏目に出てしまった。
日本人にとって「文化の盗用」は重要ではない、と言ってしまうと語弊があるが、ピンときていないのは事実だと思う。
それよりも、努力していようが何だろうが、間違った歴史を「史実」と位置付けてそれをゲームで再現している、というのが許せないのだ。
だから日本人は怒り続けているし、それが理解できないUBIは逆撫でするような対応(発表の日本語訳だけ内容を変えるとか)をし続けているのではないか?
恐らくこのギャップが埋まらない限りこの炎上は発売まで続くだろう。(発売まで辿り着くかはわからないが)

UBIがこれからどうすべきか、はもう遅きに失している気がしなくもないが、「このゲームは史実をベースにしているがフィクションであり実際の歴史とは関係ない」という決まり文句を明言するしかない気がする。
歴史上弥助という黒人がいた、そこから着想を得て黒人の侍を主人公に置いた、弥助ではない、それでいいんじゃないかと思う。
そもそもストーリーはフィクション、舞台はノンフィクションというのはどだい無理な気がする。
だったら全部ひっくるめて「フィクションです」と言い切った方がお互い楽だと思うのだが、とはいえ日本人に限っては、という話なので他の国からは「文化の盗用」という批判が飛んでくるかもしれない。当事者の日本人は置いてけぼりだが。

歴史や文化をモチーフに作品を作るにあたってはUBI、引いてはゲーム会社全体が常に選択を迫られることになるのかと思うと、フィクションを作りずらい世の中になりつつあるなぁ、世知辛いなぁ、というしょうもない感想で結びになってしまった。
でもこれによって幸せになるのは一体誰なのか、一度立ち返ってみてほしいものだ。

おわり


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