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Nothing's gonna syrup us now

『HELL-SEE』再現ツアーを観てからシロップ熱が俄然再燃してしまい、四六時中シロップを聴くか観ている。聴きすぎて朝起きた瞬間も頭のなかに流れている。今日は「冴えないコード」だった。それはいい。そもそも『HELL-SEE』というアルバムは15曲入り1500円という狂った価格設定もあり、最初の一枚というファンも多い。それゆえにやたら思い入れがあったりするのでその再現ライブに何もおもわないわけがないのだが、それはそれとしてsyrup16g、今が一番バンドとして絶好調である。

相変わらず五十嵐は緊張していて、しゃべりながらマイクスタンドのピックホルダーからピックをむしり取ってはポロポロ落としていたりするのだが、でも今のシロップのライブは単純に三人が寄り集まって同等にいい音を鳴らしている、そしてそれを聴きに集まっている人間たちがかれらと共犯関係を結んでいるということにどうしようもなく喜びがあふれて出てしまう。なんなんだこれ。特にこのツアー、どうもコロナから回復した後やたら声の調子がいい。ここ数年声の調子が悪くて五十嵐が落ち込みまくるライブもわりとあったが、なんでコロナにかかって調子がよくなるのか全然わからない。昔から年がら年中風邪をひいているのも意味がわからなかったが。ただ鼻を一、二回しかかまなかった時点でこれはとおもった。そういうことである。とにかくリズム隊がエグいほどよい。五十嵐は「プロと素人」というようなことを言っているが、ギタリストとしてもすごく好きなんだよな。最近カジノをよく使っているのも最高、アコギもエレキもギブソンぽい音が好きなので。シンガーとしても聴きはじめた時はさして好きではなかったはずだったが、気づいたらなぜこんなに好きなのかわからない。喉を絞った声に惹かれるというのは確実にあるとおもう(シロップ、バンプ、バーガーナッズというだみ声のバンドが同時期に下北沢あたりでかたまっていたというのも今おもえば不思議だ)。

本編はもちろん『HELL-SEE』全曲、アンコールで新譜から3曲、ダブルアンコールで鉄板曲3曲という構成で、五十嵐はセットリストに悩んだようなことをインタビューでぐずぐず語っていたが、みんなこういうのを求めてるんだよ。もう100点なのにそれを120点にしないと気が済まないところも変わらない。まあでも自分を追い詰めすぎてはいけないということは一応わかっているし、今なら中畑とキタダも確実に止めるので大丈夫だろう。

そう、やっとバンドらしくなってきたのである。技術よりも大切なメンバーを差し出してしまった時から、シロップはバンドとしては壊れてしまっていた。後任ベーシストのキタダはバンドと自分の間に線引きをしてサポートに徹する職人気質のプレイヤーだが、あの人、一見クールだがなんだかんだ情にもろいのではないか(むっつりお茶目でもある)。今まさに引き裂かれようとしているバンドに呼び出され、それが完膚なきまでに散り散りになるさまを目の当たりにしてきた。それもあるが、何よりもコンポーザーとして、ギタリストとしての五十嵐に強い魅力と深い敬意を抱いてしまったことが最大の理由だろう。無数のバンドに純粋にプレイヤーとして関わってきたプロのはずなのに、シロップだけは徹しきれずに肩入れしてしまったのがいい。20年経てばそんな奇跡もぬるっと起こりながらバンドは続いていく。

大きな手が上からのしかかって押し潰していくのを見ていたから、五十嵐のやりたいことが明確になるまでは自分の意見を控えて見守っている。だが去年出た新譜『Les Misé blue』のレコーディングでギアがかかり、ベーシックを録り終わった後にどんどん大サビをつけたり尺を延ばそうとする五十嵐を諫めたエピソードはよかった。バンドのありかたが確実に変わってきている。五十嵐自身もメンバー間で腹を割って話せ、距離が縮まったことやワンマンバンドからバンドの3分の1という実感が出てきたことを語っていた。こんなことかつて想像できただろうか、あの五十嵐隆がもっとライブを、バンドをやりたいと言うようになったんだぜ? いまふたたびバンドの魔法がsyrup16gにかかりはじめている。50歳を超えてバンドが一番いい状態になるなんて、こっちだって生きててよかったとおもってるんだよ。あんま希望とかなくたって生きてたほうがいいんだよな。ほんとシロップの今が一番楽しみだ。


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