金沢21世期美術館へ

金沢21世期美術館に、初めて行った。  

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金沢旅行のテーマは建築を巡る旅。
SANAAのつくったこの美術館は、その場所自体へいくのも楽しみだったし、展覧会もとても楽しみだった。
(企画展「未来の地図を描くために」: https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1780)

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まず、入り口へ行くと、ここはディズニーランドか?と思うほどの長蛇の列。

並ばずに入れる時間はないか、係員に聞いてみたものの、どの時間帯もあまり変わらないとのこと。
ここまできて、この美術館を諦めてしまったらなんのために金沢に来たんだと、仕方なく並ぶ。(皆同じ心境)

私たちが並んだのはチケット販売の列。
30-45分ほど待ちやっとのことでチケットを手にすると、次は各展示室へ入るために並ぶ。

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やっとたどり着いた思ったのも束の間、展示室内でまた私は衝撃を受ける。

ある作家の写真作品を見ている時のこと。
それは雪景色を露光を変えて撮った2枚組の写真で、一方は斜面につもった雪がすべて白飛びして人々がただ白い画面にポツポツと浮かんでいるように見える写真だった。

「かわいい〜」

ん?かわいい??え、今かわいいって言った?

確かにその写真はそこに込められた意図を読み取ろうとせずただ画面としてみたときにポップな印象で「かわいい」の要素を孕んでいる気もしなくはない。

美術館へ行くとき、その「作品」の意図を読み、咀嚼し、反芻すること。それを「すべき」という心持ちを持っていることは当たり前だと思っていた。

しかしそれは正しいのか?「開かれている」のであろうか?

こんなのはエゴだ。多少藝術関係の学校に行ったとて、私には体系的に美学史について語る知識もなければ、そうしたいという欲求もない。

ただちょっとアートが好きなだけ。

でもそう思ったとしても、やっぱり「かわいい」はなんか違う気がする、、

思考停止だからなのかなと思う。自戒の念を込めて、「かわいい」はある種キャッチーで日本語特有の文化であるとしても、その強大なカバー力にあぐらをかいて私たちはそのほかの言葉を探すことをしてなさすぎる。


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