寂しくて青い動物

いつからか、僕はものごとに何か自分に不都合な面を見た時、そこから逃げる癖がついた。

自分が始めたことなのに、それがうまく回っていないと、それと向き合う事をやめる。

ただ、そこから逃げる。

子供の頃、自分の顔を、眼を、心を真正面に向き合ってくれた大人がいたら違ったんだろうか?

親が、言う事を聞かない僕を家から追い出す、締め出す、車に乗せて暗い森に置き去りにしようと脅しをかけるような真似をしていなかったなら?

そこに問題が生まれた時、それから眼を逸らすか、無関心のふりをするか、ただ暴力や押し付けで解決しようとする人たち。

うちの親は、そんな側面を持っていた。
とても楽しくて優しい一面は、他人向けのものだった。

心のうちから湧き上がる自分の衝動のままに動き、結果や経過がよくなかったら、それを放棄して解決しようとする人間に、僕はなった。

人との関係を続けるなら、我慢が必要だ。親しき中にも礼儀が必要で、一線を超えないよう相手とある程度向き合い続けなければならない。

そんな高度な技、今から学べるものなんだろうか?

前に進むか、止まるか、横にそれる僕の人生は。

そこに素敵な他人を迎え入れる余裕がないのだ。

ノートで最近とある不倫妻の日記を読んで、彼女と話したいと思った。

なんとなく、同じ動物な気がして、傷を舐め合ったならこの現実から眼をそらせる気がしたから。

ああ、今年も寂しい冬がやってくる。

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