「神さまとのおしゃべり」を読んで
タビワライフの涼ちゃんから教えてもらった本「神さまとのおしゃべり」
最近これを読んで、物の見方や考え方が変わってきた。本当におススメの本。
物事について抱く考えや意識。あきらめること。覚悟すること。
これが、心の中にこり固まっていて、他人の意見や周りの状況によって変化せず、行動を規定するようなものを固定観念という。
クリスマスにサンタさんがプレゼントをくれる。
小さい頃、信じてましたよね。サンタクロースからプレゼントが貰えること。あの頃はなぜかお願いしたことが叶っていた。子供は何の疑いもなく”貰える”と信じていたから。たとえサンタクロースじゃなくても、両親からでも、どんな形でも、プレゼントが貰えると純粋に信じていた子供は、その願ったことが叶っていた。
誰かが「サンタクロースはいない」と言った。それで観念が生まれた。すると、サンタクロースからプレゼントはもらえない、サンタクロースはいないという世界が、自分の目の前に生まれた。大人になった今もプレゼントは「くれる相手がいないと貰えない」という観念が自分の中にある。だから、いくら願っても貰えない世界に私たちはいる。その願いが叶っている。
なるほど!
どんなに願っても、この観念が消えない限り「貰えない」が叶っている。ということはもう、自分が自分に与えればいいのね!と開き直った私は、今年のクリスマスはAmazonで自分が満足するとびっきりのプレゼントを注文した。誰からでもいいんだから。私がサンタになればいい。
”自分から”のプレゼントが貰えたよ!!
父親からの教えと神さまからの教え
両親は私の事を十分可愛がって育ててくれたと思う。妹が生まれてから私は、幼ながらに親の言いつけを聞いてお姉ちゃんとしてしっかりしなきゃと思って生きてきた。だから道を外れることは怖かったし、他の人が簡単にできることができないときは悔しくて「自分はダメな人間だ」という観念がいつの間にか心の隅にできていたことに気がついていなかった。
父親は社会人になった私に「お前ならできるはずだ」「遊んでばかりいたらダメだ」「社会人として真面目にしっかり働きなさい」「人に迷惑をかけてはいけない」と言ってきた。親の言うことは正しいという固定観念が私の中にずっと凝り固まっていたから、ずいぶん窮屈な世界にいたことにも気がついていなかった。
普通ってなんなんだ!
ブラック会社にいたときも、先輩から「普通分かるでしょ」「あなたのためを思って言っているの」「言われるうちが華」と好き勝手なことを言われた。失敗して周りに迷惑をかけてしまったときも、「人に迷惑をかけてはいけない」「自分はダメな人間だ」という観念がさらに追い討ちをかけ、プレッシャーと出来ないストレスで泣きながら働くこともあった。
自分で決めたことが上手くいかず、挫折や失敗をして、何度も親に心配をかけた。だから私の願いはいつしか「親に心配をかけたくない」になっていた。親の言うとおりに動いていれば、親が安心してくれて、何もかも上手くいくと思っていた。
だが上手くいかない。
親の言うとおりにやっているのに全然上手くいかなかった。
そして自分の気持ちを押し殺して「普通」をしていることが辛かった。
それは神様の教えのとおりだった。「親に心配をかけない」が叶っていたけれど、苦手なことをやっても上手くいかない、わくわくしないという願いも叶っていた。
私の目の前にあるのはつまらない世界だった。
固定観念を壊す。
自分の思い通りにならない世界がずっと苦しかった。実家を出るときは結婚してからも観念だった。一人暮らしを始めてから、好きな時間に好きなことをしていい、誰からも文句を言われない。私が望んだ自由な世界だ。
私はテレビを持っていない。テレビがないと生活できないも観念だ。実家にいるときはテレビっ子だったし、人に言うとびっくりされるけれど、スマホもあるしインターネットも出来るので生きていけないほど困ったことがない。
私はだんだん観念を壊しだした。これを人は反抗と言うのかもしれない。
私はこの本を読んで、無意識に始めていた固定概念を壊すことは悪くないという答えあわせができて救われた気がする。親の言うことは正しいと思っていた昔の私は、親の考え方しか知らなかった。世の中にはいろんな考えを持つ大人がいるし、考え方は一つじゃない。常識はある人にとって非常識。それに気がついている人も世界にはいっぱいいることを知った。
願ったことが叶う世界
みんな平等に、願ったことが叶う世界。
その人が見ている世界は他の人の目には映らない世界かもしれない。
その人が願う世界は他の人には理解できない世界かもしれない。
それでもいいじゃないか、その人が幸せなら。
今の私は将来のことを考えるときや、起きて欲しい現実に対して、今までと逆説を考えるようにもしている。そして人の愚痴を聞くときにも、あなたに起こることは全てあなたが持っている固定観念のせいだよ、と思ってしまうようになった。
父親にも。
親も完璧ではないと知った。父親にも固定観念がある。父が誰から教わったかは知らないけれど。私が父から教わったことも、答えは一つじゃないと今なら考えられる。父の意見を聞かないわけではない。反抗したいわけでもない。でも、観念を壊せば誰のことも許せるようになった。
私が起きて欲しいと願う現実は、争いがなくて自由で楽しい世界。みんなそれぞれが、自分の得意分野で活躍できる世界。その世界だけ見られればそれでいい。わがままでいつも怒っている人とは付き合わない。知ろうとしない人も別に知らなくていい。そんな風に思うことで、両親に心配をかけているかもしれないけれど、それでもいい。そう思えるようになった。
私は、父に「神さまとのおしゃべり」を一冊プレゼントした。
読んでくれるといいけど!
この本は、読んだあと誰かにオススメしたくなる一冊だ。
(オーディブルで聴いていました。)
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