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母親の介護は新しいフェーズに入った

先日3ヶ月に一度受診する認知症の病院に母親を連れて行ってきました。

受付を済ませて診察室の前まで行き座って待つ。しばらくすると扉が開き、先生が母親に中に入るように促す。ワタシは外で先生と母親の会話が終了するまで待つ。最近はパソコンを持ち込んで待ち時間の間に文章を打っています。

10分ほどすると母親は検査や能力テストの部屋に行きワタシが先生に呼ばれる。

「最近はどうですか?今年は『どまつり無かった』っておっしゃってましたが?」

え”?『ワタシ町内会の役員だから連れて行かれないからね』と念押ししておいたのに、母親は1km近い道のりをひとりで歩いて来て特等席の場所に座って喜んで観ていたんですが・・・。

「いえ、最近は寸前のことは全く記憶にない状況になっているんです。でも先生、人間ってアタマの中に引き出しがあってその中には記憶がありそれを引っ張り出せないのが認知症だと聞いた事がありますが」

「それはそうなんですが、認知症でなくても加齢でなかなか引き出しが開かないこともあるんです」
「ワタシなんか隣の部屋に行って『あれ?なにをしに来たんだっけ?』なんて思うことが良くあります」
「でも、そのあと思い出すでしょ?」
「はい、あ、そういえばって思い出します」
「それは認知症ではありません。認知症はあるフェーズに入ると引き出しが閉じられたままになっているんです」
「そうなると・・・」
「はい、記憶するという行為が脳の中で出来なくなってしまうんです」
「でも、ゴハンを食べるとかトイレに行くとかは母親はちゃんと出来ています」
「それは人間の習性や本能の部分です。記憶とは違う領域なのです」

先生曰く、人間は生きる本能はそうやすやすとは無くなりはしないそうです。そう考えると記憶は生きていく上で無くてもイイものなのかもしれないですね。

「じゃあ先生、ワタシの隣の部屋に行ってなにしに来たか忘れたとか冷蔵庫開けてなにを出そうと思ったか忘れるのはなんですか?」

「加齢です」

改めて聞くとなんだかショックですね。

では、皆様も記憶の引き出しは少しずつでも開けながら明るい介護を。

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