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仁義なきタオルの戦い

こんにちは。
介護のつぶやきです。

トイレのタオルを2日に1度替えます。
自分が細かい性格なので、キッチリキレイにかかっていないとなんだかモヤモヤして気が済みません。

以前の母親はトイレに入っても全く流しませんでした。それがなんと、なんの心境の変化があったのか最近ではたびたび忘れる程度に進化しました。この進化は介護としてはスゴい事だと自分では思っております。そして流すのは忘れるのですが手は毎回洗っているみたいですが問題はその洗った後の手を拭くタオルです。

洗面所に掛かっているタオルは2枚あるのですが、この両方をクシャクシャにして手を拭きます。自分は細かい性格と書いた通り、その状態は自分にとってはなかなか受け入れがたい状況なのです。

そんなコト言ったって仕方ないじゃないかと言われそうですが、洗面所のタオルは他のタオルと違って朝一番顔を洗った時に顔を拭くタオルなのです。なので、チョットだけお高いフワフワのタオルが掛けてあるんです。そのタオルがクシャクシャになっているのが自分にとって納得できないのです。

トイレマットも同じです。キッチリとキレイに敷いてある事が自分の中の常識なのですが、母親がトイレに入る度にクシャクシャになります。

この状態がありがたい
でもたいがいこんな感じ


そんな時には心の中でつぶやきます。

【明らかに認める⇒アキラメル】


介護って自分の中ではあり得ないコトの連続です。息子を叱った母親が息子に叱られるような事をやる。5分前に聞いた事を忘れて同じ人に何度も同じ質問をする。『盗んだワシの金返せ!』と大声でまくし立てる。通販で同じモノを何度も買う。食事したコトを忘れて『息子がメシを食わしてくれん』と近隣のヒトにこぼして回る等々。

人それぞれ症状・状況は違いますが、そこに常識を照らし合わせてもせんないことです。なので目の前で起こっているコト全てを明らかに認めて受け入れる⇒アキラメルようにしています。それは「人間が出来ている」とか「親への愛」「将来のために徳を積んでいる」なんて優しい言葉ではありません。かといって恨みつらみを延々と述べるモノでもありません。事実を淡々と認め最後には笑い飛ばす、それくらいのカラ元気を出せば良いんじゃないかということです。自分が完璧に出来ているとはまだまだ微塵も思えませんが。

憐んでもはかなんでも 束の間
争ってもうらやんでも
百年も続かないドラマですか

「群衆」中島みゆき

タオルは毎回気が付いたらキレイに直してます。トイレマットは「滑り止めシート」をホームセンターで買ってきてトイレマットと床の間に敷きました。コレはかなりの確率でズレを止めてくれています。そんな時には「ヨシッ」とココロの中で小さくガッツポーズをします。

人生はあなたが思うほど悪くない
早く元気出してその笑顔見せて

「元気を出して」竹内まりや

ホンの少しのヨロコビを元気に替えて。介護はムリせずゆっくりと参りましょうね。

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