夏を惜しむ健全性

四季の中で一番惜しまれるのは夏だと言っても過言ではない。
「夏っぽいことした??」とは聞かれるが「冬っぽいことした??」とは聞かれないからだ。

夏を惜しむ人は人間としてとても健全だと思う。
季節感を重要視できることは時間の経過を体感できてる証拠だ。

じゃあ何故夏にこだわるのか?と問われればわからない。
夏はみんな狂うのだ。狂っていいとどこかで考えているに違いない。

仕事終わりに帰路で見かけた手を引くアロハシャツの老夫婦をみてほっこりと共にゆるやかな絶望も感じた。

嗚呼、夏が終わる。

甲子園も台風も過ぎていき、むさ苦しい残暑と死にゆくヒグラシの声。

ソシャゲの夏イベント以外で季節を感じたいのだ。

また過ぎていく夏を来年も同じように切なく感じ怠惰の黄昏とともに過ぎゆく季節を
来年こそはと踏み出せる季節をいつだって思い描いているのだ。

ずっと夏が嫌いだった。
夏生まれの自分がもっと過ごしやすい季節を欲している。
実際は季節なんて関係なくずっと生きにくいのだ。

今年も夏がおわる。
また来年。

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