祈りと服薬と潜水艦

痛みや症状が酷いとき日常的に飲むくすり。
帯状疱疹の激痛はボルタレン一日2錠なんかで効いたような気がしない。

不思議なことに痛いと生きてることを実感する。
こんなにも痛い身体を引きずりながらでも生きるしかないのだ。薬が効かないとあとは祈るしかない。
痛みがせめて薄まるように神様お願いなんとかして…
合理的服薬と神秘的祈りにより私の身体も精神も自分自身でなんとかできないものになる。
私は小学校の頃になくなった祖父のことを思いだしていた。

祖父は人には厳しく厳格な人だったらしいが私はそんな祖父を見たことがない。祖父はいつだって優しい人だった。家族はみんな私が生まれてからの祖父の変わりように驚いていたようだったし家族からの嫉妬のようなものも同時に感じていた。

 小さい頃からアレルギー体質の私はアトピーや喘息に悩まされている。今では慣れてしまった病院の待ち時間や服薬の瞬間は小さい私には耐え難い時間だった。

薬を口に入れた瞬間の苦さが駄目だった。毒を飲んでる気がした。
 ある日、祖父母の母屋でお昼を終えた私はカプセル錠剤の薬を飲むのが嫌で祖父にそのことを打ち明けると祖父は急に戦争の時の配属は海軍だったと話出した。

「いいか、これ(錠剤)は身体の悪いところを見つける潜水艦だ。潜水艦は海じゃないと潜れない、たくさん水を含んでゴクッと潜るとたちまち悪いところはよくなるんや」

私は祖父の言うとおり水をたくさん含み錠剤を流し込んだ。潜水艦を潰さぬよう気をつけながら喉をドクドクと流れていく感覚がわかった。
薬を飲めたことを祖父はすごく褒めてくれた。

不思議なことに飲んだ瞬間治った気がしたのだ。
科学的にそんなことはなくてもそう感じたのだ。

祖父は小学校高学年の頃に骨粗鬆症で亡くなった。

薬は万能ではない。
これを飲んだところでマシになるかすらもわからない。
ただ人間の身体や精神には合理も不合理も必要なのだ。

亡くなる間際の祖父は優しい顔をしていた。痛みに耐えてたかもしれない。

身体が痛いと生きてる感じがする。
痛みと祖父の潜水艦が巡って良くなったり悪くなったりする。そんな不自由でどうしようもない身体と折り合いをつけながら生きていくしかないのだ。

私の血液と共に私の祖父の潜水艦が巡ってる。
祈りみたいな不思議な服薬

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?