一生まとわりつく自己否定感との付き合い方

書店の自己啓発コーナーにはそう書かないと置いてもらえないのか?と疑うほど「自己肯定感」の文字が並ぶ。

自己肯定感が私は必要とは思わない、もっと大切なのは自己を否定したいときの向き合い方であると思うからだ。

いじめをしてはいけないのは倫理的に間違っているからではない。その人の一生に大きな心の傷をつけるからだ。
どんなに歳をとっても拒絶される記憶は残る。
忘れたい本人の意思など関係なくずっと残る。

自分の存在が迷惑であったり空気を害してしまうのではないか、求められてないのではないのかと思ってしまう。
すると自分に期待ができなくて「まず諦める」という癖がつく。

そんな人間に「自己肯定感」など言われても突飛な話過ぎるのだ。その段階までいけてないのだ。
確実なステップが必要なのだ。

①まず外が明るい内に起きる。
②部屋の中でできる好きなことをする。
③外に出て散歩してみる
④身だしなみを整え人に会いにいく。
⑤人間観察をする。

この①から⑤を経てようやくいろんな人間が存在し、あるいはいろんな生き物がおり自分はまだ、マシかもしれない。と思えるようになるのだ。

人を下に見てもキリがないしあまり趣味のいいことでないし褒められたことではない。しかし、口に出さなければ誰も何も思わないのである。
「あなたに生きていて欲しい」と知らない人に言われても効果的ではない。自分で納得するしかないのだ。
「私はまだマシで生きててもいい存在なのだ」と。

そして矛盾するかもしれないが私は私と同じような境遇の人がいるならば「そのあなたには生きてて欲しい」と言うかもしれない。 
そういうことで同盟を結ぶつもりなのかもしれない。
自分も自分なりに足掻くからあなたも足掻いて欲しいと。

否定したくなる自分を認めることができるとちょっと気が楽になる。
自分はこんなにくだらない奴だ、でももっとやばい奴もいて自分はほんのちょっとだけでもマシだ。
それが一度終わったらあとは上がっていくだけだ。

まだまだあなたは大丈夫。

まだまだ私も大丈夫。

大丈夫だから。

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