せめて、人間らしく(2020/4/15)

 自粛要請によって職場での仕事がパタッと全てなくなった。閉業準備が決まってからは出勤時間もやらなきゃいけないことも全てイレギュラーで何も考える余裕がなかった。

 そして将来というより、今日、明日食っていけるのか?そしてそれまで自分が健康でいられるのかという不安を多くの人が抱えていると思う。

キツイけど仕事をそれなりに楽しんでる自負のあった私は急に空っぽになった。
休みになった時の過ごし方を何も考えてなかった。

スーパーのある商店街を歩く

人の少ない商店街はシャッターの閉まる店が多く「臨時休業」が並ぶ中に「閉店」の文字もいくつか見つける。ここのお店前は通るけど入ったことなかったな…。

ホントはめちゃくちゃ優良店で私が通ってたら何かこの状況は変わっただろうか?

変わらないだろうとわかっていてもこの「閉店」の文字に謎の罪悪感がある。
こんな近くに住んでるのに、ここで働いてる人の顔は見たことあるのに、一度も利用しなかったな。

その人にだって人生や生活があり閉店に至る苦渋の選択があっただろう。
張り紙の最後には「ありがとうございました」の文字。

店の張り紙を見終えた後、自分の自意識に嫌悪する。
自粛が無くても、遅かれ早かれ失うことがあるとしても「なくなった後に」同情しても遅すぎる。


空っぽになった今


一人では生きていけないことを痛烈に感じる。


今歩いている道も身につけてる物も誰かが作り
スーパーで物が買えることも郵便が届くこともサービスを提供してくれてる人がいるから生活できるのだ。
その人たちも私と同じように生活があり、生きている。
医療、インフラ、物流に関わる最前線の人達がどうか無事でありますようにと祈ることしかできない。

空っぽになった今の自分にできることは何か?

毎日に忙殺されてできなかったこと
自分にできそうなことを少しずつやっていこう。
今まで無視してきたこと
あえて見なかったことを見返そう

人生や哲学について改めるチャンスかもしれない。生活に余裕はないけど幸い時間は増えた。


私のペースで生きてていいんだ。
でも確実に一歩を進める準備をしていこう。
そう思えたら少し楽になった。


コロナが無くても抱えた生き辛さはどうせなら開き直ってしまってもいいのかもしれない。
何でもコロナのせいにすることで自身を保つ人もいるかもしれない。でも、それでいい。

死ぬまでにやりたいことはそろそろ始めないと一生やらないぐらいのところに我々はいるのかも知れない。


こんなときだからこそ、あなたが死ぬまでにやりたいことはなんですか?

今日、明日を後悔しない生き方なんて無いかもしれない。

でも、どんな生き方を優先するのか?
何が自分にとって大切なのか?
我々の決断によって選択できるから


せめて、人間らしく

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