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彼女とわたし

先週、彼女は突如私の前から消えてしまった。

SNSは自由にアカウントを作り消すことができる。アカウントの閉鎖や削除は予告があったりなかったり、これも本人の自由である。

そんなことは分かっているつもりだった。が、それは余りにも突然で、予測できなくて、驚いてしまった。気付いた時には頭が真っ白だった。


たかがSNSのいち知り合いかもしれないが、私はこの一年SNSに支えられて生き、助けられてきた。沢山の人に出逢い、見たことも直接会ったこともない人に憧れたりもした。

彼女は、その憧れの一人である。


私の心に空いた穴は失恋に似たような感覚だった。






Hope World

彼女が推しのミックステープについて書いたnoteを、彼女と彼の誕生日に読み返した。




その日の午前、私はバスで移動している。2度目の大きな試験をむかえるため大荷物を抱え、会場近くのホテルを目指す。


リュックにキャリーケース、入り切らなかった服を詰めたトートバッグ。平日は空いていて助かった、席に着いていつも通りイヤホンを耳に入れて音楽を聴く。




今日は私たちの希望の誕生日。たしか去年は緊張のなか深夜にVLIVEを見ていたなぁ。エアハグのお陰で落ち着いたような、別のドキドキが増したような。とにかく彼はどんな人も笑顔にしてくれる魔法使いである。


そんなことをぼんやり思い出しながら、彼のミックステープを1から流す。そして何の迷いもなく、憧れの人が残してくれたnoteを開く。二人の誕生日を心の中でお祝いしながら、愛の詰まった曲と文章を贅沢に耳と目でいただいた。




今日は乗客が少なくて良かった。

自然と涙が出ていた。


たくさん聴いてきた曲も意味を知って聴くのとは全く違う曲のように聴こえるものである。




彼女のnoteを初めて読んだときから愛でお腹いっぱいになるほど充実した内容で、初めてこんなに楽しく読める解説書に出会った。彼女の選び紡ぐ言葉とユーモアのセンスに溺れた。


その時もHopeWorldに住民票を移すため、曲をかけながら彼女の解説書を読んだ。

私の足元に湖を作った思い出もある。現在もISO(未だに 潜水艦 降りてない)し、ディ〇ニーの海底二万マイルは開場して真っ先に向かいたいアトラクションである。





大きなテーマである平和の一片になれれば というPiece of peaceを作った彼のように、彼女は私のP.O.Pを担っていた。勝手に背負わせてしまって大変申し訳ないが、リプライDMスペースで一緒に笑い合った時間がなにより平和で幸せだった。


次第に私が寄せてしまっているのか元からなのか烏滸がましくも彼女と似た感覚をおぼえることがあり、ゲラ2人で笑い合えた時間は宝物だった。
ポンコツな私の発言にも沢山わらってもらえて救われた。




バスの中で流したこの涙に
どんな意味があるのかを考える。



蘇った当時の感動と、当の本人を直接お祝いできないことに涙が出たんだろう。




休む休む詐欺をしてしまったTwitterで、試験勉強のラストスパートのために低浮上になった期間に彼女を見失ってしまい、それまでに自分がしてきてしまったことを考えた。


休む詐欺をしてしまうように私は何かと依存しやすい傾向があるから、彼女に絡みすぎて負担をかけたかもしれない。有言実行しない人は苦手だったかもしれない。

こんなことを勝手に考えているが、寧ろ彼女の生活に元々私は一ミリ足りとも居ないかもしれない(そりゃそう)。はたまた外部から傷つけるものが飛んできたのか。嫌な思いをしたのではないか。


ここで私は毎日のように見かけていた彼女と連絡をとれる手段がなく、無力であることに気が付いた。SNSってそういうものだった。そして日常のありがたみを噛み締めた。






チラシの裏

彼女はここで、私に残された唯一の繋がりであるnoteを更新していた。(2/24)


普段通り、彼女の"好き"について記していた。変わらない雰囲気のままで安心した。その中でアカウントの件について触れており、幸いなことに削除した理由は全く私の的外れで、軸のブレない素敵な理由だった。


前述したような彼女が傷つく理由でなければ良いなと思うと同時に、

酔った勢いで…  もしくは、
ガールズグループとしてデビューするから…
であってくれ、、という思いも密かに抱いていた。

…どちらもありえそうで、半信半疑ながらも情報を漁って自分の仮説を検証し続けていた(コラ)

すみません。




この度の理由も含め、私が彼女を好きな理由のひとつにSNSとの向き合い方がある。


私はSNSに生活をのまれる時があるが、彼女は自立していて生活に上手くSNSを取り入れている、活用しているようにみえる。お忙しい中、本能であの呟きや自由研究をこなしていると知って尊敬でしかない。プロTwittererだ(?)。






チラシの裏に書き記された内容にはTwitterに戻ることを保証されたものはなく、日記のようにnoteに記すことも好きだと書かれていた。どちらかで彼女の文才のある文章が見られるなら私は幸せだ。

もちろん今までみたく直接やり取りができたらサイコ〜であるが、一度整理してから放出する"好き"の方が彼女自身にとってハッピーならその選択をしてほしいと思う。
どちらにも私は居るので、拝読させてください!





そして彼女の誕生日と推しの誕生日は同じ日であり、彼女はその日、自身をめいっぱい大切にしたと仰っていた。私はそれが最も喜ぶ推し孝行だと思った。


私たちファンが推しの幸せを願うように、
推したちもファンの幸せを願ってくれている。
だから自分を大切にすることは、相手を幸せにする。


センイル準備している方も勿論とても素敵。けど準備できなくても、後日でも他の日でも素敵。努力して唯一無二のカタチにして表現するのも、カタチに出来なくても、心で思えたらそれは愛だと思うから。




今まで私が触れてきたツイートやスペースでの会話、noteの軌跡、どれを取ってもやっぱり彼女の中は愛で満ち溢れていて、サイコ〜な𝑮𝑨𝑳で、cleverなシゴデキwomanが滲み出ていて(おそらくPDCAサイクルを私の500倍くらい速く回している)、カッコよくてユーモアとセンスがあって大好きで見習いたい人だ。


彼女と彼女の推しの一週間後である今日、私も誕生日を迎える。彼女のような素敵な人になれるように、自分の"好き"を磨きたい。


ヨトラニム大好きです。


🎁

遅ればせながらお祝いさせていただきます🎉




p.s. 無事に試験迎えられました!頑張りました❤️‍🔥

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