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220223 名古屋旅行記③名古屋(1日目)

3-1 パラダイムシフト

親子丼を食べた僕らは、名古屋城を目指した。
名古屋駅からバスで15分らしい。

駅構内を彷徨い、ターミナルを見つけた僕らは颯爽とバスに乗り込んだ。

『ちょ、ちょっ、ちょっと待ってください。』

運転手に静止され、僕は『?』とそちらを向いた。

『料金!』

名古屋のバスは先払いらしい。

いや、そのローカルルール知らん知らん!!と思いながら、
後続のおばさんの睨みに気づいた僕は、慌てて210円を払い乗車した。

友人Aによると東京も含め、今はもう先払いが主流らしい。

京阪バスは後払いやけどな~と、ローカルルールに成り下がった常識に固執していると、いつの間にかバスは発車していた。

僕らは名古屋の街並みをぼんやりと眺めながら、たわいもない話をしていた。

『名古屋城はな、全然見えへんねん』

会話の途中で、友人Aはそう言った。

何を言ってるんだと思っていると、車窓から石垣が見えた。
僕らは慌てて停車ボタンを押し、バスを降りた。


3-2 vs. 徳川家康

最寄りのバス停で降車した僕らは、
名古屋城のホームページにあるマップを見ながら、天守閣を目指していた。

その時、あることに気がついた。

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恐る恐る時計を見た、

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『...』

『入られへんやん!!!!』

僕らは歴史好きというわけではない。
しかし、ある種のスタンプラリーとして、その都市の名所は周っておきたかった。

残念だが仕方ない。
ただ、せっかく目の前まできたのだから天守閣の外観を拝みに行こう。
僕らは、石垣の外側をぐるりと回ることとした。

20分は歩いただろうか。
全く名古屋城が見えない。
異常に高い石垣と、意図的に飢えたとしか思えない樹木の数々によって、
名古屋城の本丸が全く見えない。

後から調べてみると、名古屋城は天守閣が外から見えないように、
木々を植えていたそうだ。

徳川家康の策略に僕らはハマったのだ。

足を棒にして、歩き回った結果、
最も大きく天守閣が見えたのは次の写真だ。

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家康め、ふざけやがって...

3-3 歓喜の鐘

名古屋城を後にした僕らは、久国寺へと向かった。
この久国寺は、僕がこの旅行を計画した目的の1つだ。
この寺には、岡本太郎作の梵鐘『歓喜の鐘』が設置されている。

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思っていたよりもトゲがするどく、また大きさもまちまちであったことから、
周囲に対して命懸けで自己防衛をする生き物のように、僕には見えていました。

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よくみるとこのトゲは、多くのヒトの腕が飛び出たもので、
仏教がヒトを守るための梵鐘だったりするのかなぁと考えていました。

友人Aが、この梵鐘のトゲを見て『おっぱい?』と尋ねてきたので、
『多分、腕かな』と答えると、興味をなくしたように境内を歩いて行きました。

でも、おっぱいと思って見るのも、それはそれで面白いのかもなぁと、
このnoteを描きながら思っています。

※ちなみにこの歓喜の鐘は、東京の岡本太郎記念館にも設置されているらしく、
 カメラロールを見返すと、僕も2019年に一度出会っていました。

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3-4 栄での再会

なんで久国寺についての文章だけ、丁寧語で書いてたんやろ。
敬意が滲み出ていたんかな。

さて、久国寺を出た後は、名古屋で働いている友人Bも合流し、夕食を食べた。

結局、3次会まで飲み会は続いたが、友人Bとはあんまり話せなかったな。
おそらく12年ぶり?の対面での会話だったんだが、難しかった。

友人Aが、会話におけるプレイヤーとして優秀すぎる。
僕はニコニコ話を聞いているだけの人になっていた。

たまに飲み会でこういう事態に陥る。

かつて、僕は自分のことを、会話相手を楽しませることで、初めてその場に存在して良い人間だと思っていた。
これは、ジョークが言えるとかそういう次元の話ではなく、自身の存在価値をエピソードやコンテンツ以外に見出せていなかった。

自己肯定感の低さが原因なのだろうが、別に今も治ったわけではない。
根底には未だに、その考えが流れている。

こういう素質を持っている限り、
会話上に他の優秀なプレイヤーが存在すると、仕事を放棄してしまいがちだ。

(別に自分が楽しませなくても、相手は楽しんでくれてる。)

だからこそ安心して、ニコニコと話を聞くだけの存在に成れるのだ。
ある意味、幸せな時間ではあるのだが、帰宅後に非常に後悔する。

今回もホテルのベッドで(うまくできなかったなぁ)と考え込んでしまった。

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