220202 悪気と叱られ

悪気がないというのは恐ろしい。

中学の頃、体育教師に大目玉を食らったことがあった。

バスケットボールの試合中、敵チームの選手に足をかけられた僕は
転びそうになりながら、持っていたボールをクラスメイトの顔にぶつけてしまった。

クラスメイトは鼻血を出しており、体育教師は鬼の形相になって走ってきた。
体育教師には、僕が故意にボールをぶつけたように見えたらしい。

運動神経で飯を食ってきた奴には、今回の事故はわざと以外に起こり得ないのだ。

僕はひたすら怒られた。

ただ何も怖くなかった。
普段であったら、教師の怒声に体がすくんでしまうほどの小心者なのだが、この件に関しては全く悪気がなかった。

悪気がない場面での叱責はこれほど心に響かないものなのか、
と顔を真っ赤にした教師の前に感心したことを覚えている。

罪悪感はある。
現にクラスメイトを傷つけてしまったし、自身の運動神経の鈍さにも辟易とした。

ただ悪気はないし、この教師に非難される筋合いもない。

世の中の愉快犯や、非難を恐れない人間はこんな感覚なのかもな、と思った。

あくまでも主体感無しに、悪気を持たず、悪事に走ることができる人間。
こういう人間は無敵だと思う。
一般人のルールやモラルでは、彼らの行動を矯正することはできない。

そんな人間の感覚を一時的に体験することができた、中学3年生の体育だった。


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