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第5話 途方もない道のり

「ねえ、ちょっと。」

「え?」
 あかりが振り帰って声の主を確認すると、そこにいたのは、TikTokで15万人のフォロワーを持つ、黒峰ゆいり、通称ゆい姉だった。

「写真、取ってくれない?」

「あぁ、え、、、今ですか?」
 あかりは混乱する。一番大事なスタートで、なんで私はこんな人に捕まってしまうんだろう。

「今しかないでしょ!このスタートしました!って雰囲気を撮りたいんだから!」
「ほらっ、はやく、はやく撮って!」ゆい姉はあかりに最新式のiPhoneを押し付ける。

「あ、、、」こういう時に断れないのがあかりだった。
「あ、じゃあ、、、撮りまーす、はいチーズ!」さっさと撮って、終わらせればいい。

 1枚とって、ゆい姉にiPhoneを返そうとすると、「ちょっとちょっと、ちょっと!!こういうのは何枚か撮んないと!一番盛れてるのを選ぶんだから!」そう言ってゆい姉はキャップのつばに手をあてたり、両手をひろげたり、片足をあげてみたりと色んなポーズをくり出す。

 その間にも、参加者が次々とあかりとゆい姉の横を通り過ぎる。2人を走り去った集団は、もう角を曲がって、視界から消え去るところだった。

 本当に最悪だ。あかりは引きつった笑顔で、言われた通りシャッターを切るしかなかった。普段、口パクで踊っているこの人はここに歌を歌いにきたんだろうか。売名目的でオーディションに出ているのなら、せめて一生懸命やろうとしている人間の足を引っ張らないでほしい。

 一通り写真撮影を終え、ゆい姉の「おっけー♪」が出るとあかりは急いで走りだそうとした。

 ゆい姉はあかりのゼッケンを見て
「あ、くじらちゃんの写真も撮ってあげるって!」「今、誰もいないからいい感じに写真撮れるよ?」と言った。

 あかりは無下に断るのも角が立つかなと思い「あっ、じゃあ1枚…」と言って申し訳程度に1枚写真を撮ってもらった。

 ゆい姉は最後に自分のiPhoneをインカメラにして「じゃ、くじらちゃんとゆい姉のコラボ記念~☆」と言って2ショットを撮った。

「あ、私あんまり顔をネットに出してなくて…」
「えっ!くじらちゃんそういう感じ?OK。じゃ、いい感じに加工しとくから!」

 ゆい姉は「ありがとね~!」と言って、満足そうにカメラロールを見返しだした。

 あかりは「ど、どういたしまして~」と愛想笑いを浮かべながらゆい姉に手を振り、走り出す。もういいかな、という所で真顔で前を向く。腕時計を見る。時刻は14:07。スタートダッシュでドベ2になった。

 7分の出遅れ。

 7分あったらどれくらい走れる?あかりの視界には誰もいない。つみきともこんなすぐにバラけると思わなかった。本当に、私はこんな所まできて、何をいい人ぶってるんだろう。

 あかりは会社で働いてた時の自分や、母親の電話に出る時の自分を思い出す。人に嫌われないように生きてきて。いい人って思われるように。間違えないように生きてきて。ずっとそういう風にしか生きられない自分が嫌いだった。そういう風にしか生きられないのが苦しかった。

 そんな自分を変えたいと思ってここに来たのに。自分は何一つ変わっていない。私はどこに行って、誰といても、ずっとこんなふうにいい人の仮面をつけて生きていくんだろうか…。

 でも、とにかく今は走るしかない。7分。大丈夫、時間は100時間もある。すぐに追いつけるはずだ。黒々とした気持ちを振り払うかのようにあかりはイヤホンをつけ地面を強く蹴り上げた。

 あかりは快調に走っていた。スタートから5.8㎞地点、掛川駅を通過。既に60人くらいは抜いただろうか。5kmも走れば、普段の運動量の差が出る。すでに脇腹をおさえて苦しそうに歩いている人の横をあかりは駆けぬけていく。あかりにとって5㎞のワークアウトは日課だ。まだまだイケる。それに今回参加者全員に配られたX’shoes社提供の厚底ランニングシューズもすごく走りやすい。前に走っている人にも引っ張られ、ぐんぐん走れる。

 マラソンコースにはだいたい3㎞ごとに給水所、6㎞ごとに簡易的な休憩所が設置されている。あかりは熱中症にならないよう、こまめに水分をとりながら、そろそろつみきと出会てもいいのでは?とつみきの姿を探す。

 スタートから1時間が経とうとしていた。スタート地点から約10km、東山口簡易郵便局前。あかりはここまでかなりの人数を抜かしてきたが、つみきの姿は見つからなかった。なかなかのペースで走っていると思うが、つみきに追いつけないことで焦りは大きくなってきた。

 自分が思っているほど、私は速くないのかもしれない。どうして追いつけない?つみきはすでにいいね数によってコースをスキップしているのだろうか。もっともっと先にいっているのかもしれない。

 スタート前に冴島アキラが言っていた「次のステージ課題はゴールをした者から順に知ることができます」という言葉も頭をよぎる。

 もっと速く、もっと速く走らなくては。あかりは知らず知らずのうちに力み、急ぎすぎてしまった。

 一方、その頃、つみきは6㎞地点の休憩所、お手洗いの列に並んでいた。

「くじらちゃん、どうしちゃったんだろ…。スタートの団子状態が解消されたら、すぐに会えると思ったんだけどな…」

 つみきも不安だった。

 お揃いのバンドTシャツを来た人たちが「まだまだいける!」と励まし合い、可愛い衣装を来たアイドルたちが集合写真を撮って、休憩所を出ていく。

 あかりは20km地点の看板を見つけた。17kmを越えたあたりからどっと苦しくなってきた。無理に飛ばし過ぎてしまった。

 やっと、やっと20kmか…。

 あかりはぜーぜーと息を吐きながら、汗をぬぐう。西日が眩しい…。目線は自然と下を向く。

 20km…これで全体の1/10…

永遠に続くアスファルトを見ていると「ちゃんと走りきれるだろうか?」という不安があかりの心を覆う。

 もう十分苦しい。まだまだオーディションは始まったばかりなのかと思うと気が遠くなる。



 ここはBLUE STAGE運営本部。大きなモニターでは参加者の位置が表示されている。その他にもトップ集団や各ポイント地点のカメラ、休憩所の様子、現在の順位などがところ狭しとモニターに映し出されている。

「そろそろ30km地点ですか…」
 冴島アキラが腕を組みながら呟く。

「はい、少し前から参加者のボリュームゾーンが30㎞地点に差し掛かりましたが、続々と脱落者が出ております」 

「第一関門、30㎞の壁…。参加者は今回、マラソンの準備などしてきてないですからね。普段運動していないものには、苦しいでしょう。しかも、30kmまで来ても、残りは170kmもある。この途方もなさに心が折れるものも多いでしょうね」そう言いながら、冴島はモニター越しのしんどそうな参加者をじっと見つめる。

 そこに「冴島さんはホントに酷いこと考えますね」と軽い調子で現れたのはBLUE OCEAN所属、monolith+のミラクだった。BLUE OCEANは弱小芸能事務所ながら、monolith+の世界的ヒットにより、一大事務所へと躍進した。冴島アキラは、元々BLUE OCEANのプロデューサーをしていた。ミラクとは古い仲だ。

「俺らも昔、冴島さんにはとんでもないスケジュールでドサ周りさせられましたからね笑」「チケット1000枚手売りするまで宿舎に入れてもらえなかったり笑」「『こいつら誰だよw』っていう冷たい視線を浴びながらイオンのイベンスペースで踊ったりとか」

 ミラクは下積み時代を思い出し、「いや、あの頃は本当辛かった。そこまでやっても全然売れなくて」「俺、何回も諦めて地元に帰ろうって思いましたよ」と言う。

「おや、すごい言われようですね」冴島は笑う。

「でも、キミたちもあの頃、このマラソンみたいに途方もない道のりを走ってたんじゃないですか?当時のBLUE OCEANなんて、社長が愛車を売り払ってでも、なんとか食いつないでた弱小事務所でしたから。テレビなんて夢のまた夢。先が見えない中で、走り続けてたー」「僕は夢を追うってそういう事なんだと思うんです」

「にしても酷いですけどね!」「今時こんなやり方じゃ、将来のスターにも逃げられちゃうんじゃないですか?」ミラクは軽口を叩く。

「まあ。時代は変わりました。ネットやSNSの発達によって、便利になった事や出来る事が格段に増えましたからね。だから、今回もいいね数による距離短縮という抜け道を作りました」

「でもー。今も昔も夢を追うことの途方もなさは本質的に変わってないんじゃないかって僕は思います。」「夢への一歩目のハードルが低くなったり、抜け道ができたとしても、途方もない夢を追う道中はみな自力で歩くしかないですからね」

 あかりは38km地点、静岡県藤枝市の辺りを苦しそうに走っていた。

 先ほどから、脱落者を回収する赤いバンがよく目に入る。あのバスに乗ったら、もうこの苦しさから解放される…。

 私はなんでこんなことをしているんだっけ?こんな思いをするくらいなら、クーラーの効いた会社で座って働いていた方が良かったかもしれない。理不尽なことも、大変なこともあるけど、これまで通りなんとかやり過ごしていれば良かったのかもしれない。会社で働いていれば給料も出て、生活に困ることはなくて。こんな苦しい思いをせずにすんだ。

 こんなに無理して、200km走ったって何にもならないかもしれない。KamiUra.みたいな天才がいるオーディションで私が頑張ったって無駄かもしれない。夢なんて叶うわけがないのに。ほんと馬鹿だな。夢なんて見なければ良かった。

 あかりの走るペースはどんどん落ち、ついには歩きに変わった。あかりの頭には脱落する理由が次々とわいて出てくる。苦しい。辞めたい。はやく涼しい部屋で横になりたい…。

 そんな時にイヤホンから軽快なロックサウンドが流れだす。曲は[Alexandros]のワタリドリ。

♬「I wanna fly so high
  Yeah, I know my wings are dried
  「翼仰げば」って人は云う

  その向こうにあるは無情
  飛べる者 落ちる者

  誰も見てない
  気にも留めない
  それでも飛び続けた

  傷ついた言葉乗せ
  運びたいから

  追いかけて 届くよう
  僕等 一心に 羽ばたいて
  問いかけて 嘆いた夜
  故郷は 一層 輝いて

  ワタリドリの様に今 旅に発つよ
  ありもしないストーリーを
  描いてみせるよ」

[Alexandros]ワタリドリ

 突き抜けるような歌声にあかりはハッとする。

 違うー。私は人生を変えたくてここに来たんだ。今、変わらなきゃ。私ずっとあのままだ。あかりの頭には今までのぐちゃぐちゃの部屋で死んだ目をしていた日々が映し出される。

 傷付くのが怖くて、何に対しても誰に対しても本気でぶつかってこなかった。自分のできる範囲で、自分のできることをして。自分の手に入らないものは求めない。それで私幸せですって振りをして。それなのに、心の中はずっと乾いてた。

 これは私が本気でやりたいと思ったことだ。本気でやらないと何も変われない。結果は分からない。でも、自分が出来るところまで、全力で、本気で挑むんだー。

 あかりはまた走り出した。

 自分で人生を変えるんだ。


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