第20話 初ステージ
審査員を務めるミラクはちらっと腕時計に目をやった。
「そろそろ、くじらNo.1972のステージが始まる時間だな」
手元の機械を操作して、目前のモニターをRELAX STAGEへと変更する。
「それでは、くじらNo.1972さん、お時間です」
ステージの袖で待機していたあかりは、集中力を保ったままステージへと歩みを進めた。彼女は、レースが重なった、少しくすんだ空色のワンピースに白色の仮面という出で立ちで、ステージ中央に置かれたキーボードを目指した。
ミレバTVの配信画面は、くじらNo.1972の登場にコメントが早くなる。
「お、次はじまるね!」
「仮面してる!なんかyamaっぽい?」
「どんな歌声なんだろう?」
くじらがキーボードの前の椅子に着席し、意を決して顔挙げると、そこには、まばらに観客が立っていた。肩にお揃いのタオルを掛けた若いカップル、30代の男性2人組。カラフルなロングスカートを履いた自由な雰囲気を漂わせているお姉さんや、いかにも音楽フェスにいそうな黒のバケハを被った人の好さそうな40代の男性。すでに「お前の音楽、俺が見極めてやる」と言わんばかりの表情で腕組みをしているおじさんなど…。数えようと思えばすぐに数えられるくらいの人数であるが、くじらはひとまず目の前に人がいてくれて良かったと思った。ステージの右後ろにはつみきちゃんの顔も見つけ、なじみの顔にホッとする。
今世紀最大のオーディション番組が主催する音楽フェス、ということで「もしかしたら結構人が来てくれたり!?」という夢の光景も頭になかった訳ではないが、想定の範囲内だと思った。むしろ、数ある豪華なステージの中で、くじらNo.1972のステージを見に来てくれたことを考えると、全員にお礼の品でも渡たさなければと思うくらいだ。
くじらは、観客の少なさに動揺することもなく、心の中で決意を固めた。 まずはここにいる全員に楽しんでもらおう。キーボードの鍵盤に目を落とし、すぅ、っと息を吸う。
少し寂しげなくじらの歌声が、会場を包み込む。軽快なメロディーが、シャボン玉のように広がっていく。
くじらは「パンパン」と顔の横で拍手を入れながら歌う。どこか儚げな雰囲気を持ちつつも、明るく前向きなポップソング。配信のコメントでも、「いい感じ!」「suiさんっぽい!」「本家リスペクトで好感」などと好評だ。
「初ステージって言ってたけどまずまずの出だしなんじゃないの?」
つみきちゃんは満足そうに周りを見渡すと、隣で腕組みをしていた男性も、心なしか口角が上がっているように見えた。
二度目の「パンパン」にはつみきちゃんも拍手で参加し、くじらは仮面の奥で微笑んだ。
三度目の「パンパン」では、つみきちゃんの隣のおじさんも、前にいた若いカップルも手拍子を合わせ、配信でも「👏👏」の絵文字が並んだ。くじらは少しだけ驚きつつも、いい雰囲気で歌えている心地良さに身を任せた。
曲の終盤、くじらの歌声はさらに響きを増して一人一人の心に美しいメロディーを、切ない歌詞を、届けていく。音楽に合わせてくじらも、観客も、自然に身体が揺れる。
四度目の「パンパン」では、おそらく会場にいる全員が手拍子をし、全員が音楽を楽しんでいるような、一体感があった。
最後の一音まで、観客は歌声に聴き入った。審査員のミラクも、ヘッドフォンに手を当てながら、満足そうに大きく頷いた。
二曲目にくじらが歌い始めたのは、Mrs. GREEN APPLEの「青と夏」。爽快で疾走感のあるこの曲で、あかりは全身で鍵盤にリズムを刻みながら、グリッサンド(指の背で鍵盤を素早く滑らせる奏法)を駆使し、会場に勢いを与えていく。
夏フェスにピッタリの一曲だ。この曲で盛り上がらない訳がない。ステージ登場時には、前後左右にちらばっていた観客は心なしか、1歩も2歩もステージの方に寄ってきていた。観客の手は自然と高くあがり、くじらの目の前で、何十本もの手がせわしなく暴れる。
「はじめまして、くじらNo.1972です!今日は楽しんでいってください!」
くじらはハツラツとした表情で初のMCを無事に終え、「ふぅ、」っとひと息吐き、三曲目の前奏に差し掛かった。その時、ステージ右側にいた黒いバケットハットをかぶった男性が、すぅーっと観客の中から抜けていったのが目に入った。
<あれ?今、出て行った?>
あかりは動揺した。今までMCでは温かい拍手をもらえていたのに。自分の歌は微妙だっただろうか。何かダメだっただろうか。仮面の奥で観客の反応を窺いはじめた。
見に来てくれる人数が少ないことは想定の範囲内だったが、ここから人が立ち去ってしまう、というのは全く想像していなかった。なぜか「全然ダメ」と自分を否定されたような気分になった。男性が去った場所がポツンと分かるように空いている。
今まで集中していた気持ちが、散り散りになっていく。セトリは、みなが夏に聞きたくなる曲を厳選したつもりだった。今までのステージに大きなミスはない。はずなのに…。ダメだった。
何がダメだった?自分の歌はやっぱり通用しないんだろうか?ミレバTVの視聴者も減っているんだろうか…?嫌な想像がどんどんと連鎖しだす。
そして” 脱 落 ”という最悪の二文字があかりの頭に浮かぶ。今回のステージは200kmマラソンみたいに根性でなんとかなるものじゃない。今回は来場者による現場投票+ミレバTV視聴者のオンライン投票50%と審査員票50%を点数にして、順位がつけられる。もともと自分のステージを見てくれている人が少ないのに、その少ない観客も途中で抜けられてしまうなんて…。ヤバいんじゃないのか、と思った。
先ほどまでのハツラツとしたくじらのオーラは消えてしまっていた。それでも、くじらはなんとか気持ちを立て直そうと「大丈夫」「ここから」「巻き返せ!」と自分に言い聞かせて歌う。
観客に伝わるほどの大きなミスはなかったが、息継ぎのタイミングがずれたまま、ステージは進んでいく。
同じ頃、審査員のミラクは、モニター越しにくじらNo.1972のステージを見ていた。彼は少しがっかりしたように頬杖をつき、評価シートの上でボールペンをトントンと鳴らしていた。
「観客のウケを気にしすぎているな...」
夏にぴったりの曲で、声質に合った曲を上手く歌ってはいるけど...くじらNo.1972の音楽が全く伝わってこない。君が音楽でやりたいことは?伝えたいメッセージは?何にも伝わってこないよ。
評価シートには、声質、声量、発声、音程、リズム、表現力、独自性、演奏力など、様々な項目が並んでいた。ミラクは、上から雑に声質:3、声量:2、発声:2、音程:4、リズム3…と書き込んでいく。
「表現力…独自性…ねえ…」
ミラクはオーディション応募動画をチェックしている時に見つけた、くじらNo.1972の映像を思い出していた。”保留”フォルダーにあった幾千の、歌の上手い子たちの応募動画が並ぶ中ー。どうしようもない苦しさをありのまま歌うくじらの音楽はミラクの心を刺激した。
くじらの歌には、好きな人も、夢も、希望も出てこない。どこかで聴いたような歌詞のカケラでもない。噓がひとつもない音楽に他の応募者と違うものを感じて、彼女に少し期待していたのにー。期待外れだったかな。
くじらのステージはセトリ通り、四曲目、五曲目と進んだ。五曲目の途中でさらにカラフルなロングスカートを履いたお姉さんがスッと消えた。それでもくじらは頬骨をあげて歌い続ける。
今ならもう、いち、に、さん、し、、、と数えなくてもぱっと見て分かってしまう。くじらのステージを聞いているのは7人だった。
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