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みっともない

久々に「みっともない」と思ったので、それについて

皆さんお馴染みのスターバックス。私はプレゼン資料を作るために(本当は新作のパンプキンラテを飲むために)、駅近のスタバで作業していた。
そんな時、不意に横の席が埋まった。スーツを着た40代くらいの男性だ。平日の夕方だったし、大方仕事帰りかリモートワークの息抜きにでも来たのだろう。
私が座っていた席は、ドリンク受取口の目の前。誰がどんなものを頼んだか見れる位置に座っていた。

そこでふと私は違和感を抱いた。この人、見覚えないな...と

男性はカバンからパソコンを取りだし、電源を繋ぎ、ちょっとカタカタした後リモート会議を始めた。べらべらと喋っている。たまに眠そうに机に突っ伏して、呼びかけられたら起きている。そんな光景は2時間以上続いた。
その様子を見て、私は思った。「この人みっともないな」と

見苦しいと思ったのだ。よく知りもしない他人に。
何に対してそう思ったのだろう。小綺麗なスーツを着て仕事をしているのに、スタバにはお金を払わないこと?お金を払わずにカフェに居座っていること?会議中なのに寝ていること?おそらく全部だろう。

関わりのない、隣に座っているだけの男性だ。見苦しいからなんだと言うのだ。私には何ら影響のない話だ。なのになぜ、見ていられないと思うのか。

この人が社会のルールや常識等を無視したような行動をしているからだと不意に気づいた。私がベースとして生きている価値感からあまりにも逸脱している異質な存在。だから見ていられないと感じたのだ。

「多様性を認めよう」という昨今の風潮と同じ立場に私はいる。だから、色んな人の行動を私は受け入れるように努力してきたつもりだ。
でも私が受け入れようとしてきた多様性は、似たようなルールや基準を守っている人達だけのものでしかなかった。私が基準としているものから大きく逸脱したものは、異質と見なし目を背けようとするのだ(攻撃はしないけど)。

多分、もっと大きなことについても同じことが言えるのだろう。私は「多様性を認める」側しか受け入れられず、「多様性を認めない」側は受け入れられていないのだ。
私も心の狭い人間なのだと実感した1日であった。

追記:後から考えて気づきましたが、男性の身形などから私が想像できることに対して、男性があまりにも違うことをしていたので、それに対してみっともないと思ったのかもしれないです。どちらにせよ、私の価値基準とはかけ離れているから見苦しいと思ったことには変わりないですね

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