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うざい先生

高校時代に印象に残ったうざい先生の話。
部活の副顧問。学校では副教頭。

スカートの丈を注意する姿は有名で
短い丈のスカートの子を
どこまでも追いかけ回して太モモをビンタする。

部活でもとにかく厳しくて
上下関係は絶対。練習も無茶なノック。
時代もあり、ミスで即ビンタは当たり前。

当時のわたしは
先輩に混ざってレギュラーになったが
思うようなプレーもできず体調を崩した。
部活には一切行けなくなった。
学校にも行きにくくなった。

当時ストレスという言葉もあまりなく
部活で副顧問に提出した診断書は
全部員の前でビリビリにされたらしい。

下級生が入学した頃に
わたしはボチボチ部活も学校へ復帰した。

自分の代はとりあえずレギュラーになれた。
仲間にも恵まれた。振り返れば楽しかった。

そんなわたしは生意気な生徒だった。
引退するまでは副顧問に反抗ばかり。
先生は意地悪だとずっと恨んでいた。


正顧問は生徒に決して手を挙げなかった。
穏やかな先生だが当然怒ることもある。
でもいつも正論。ミスはフォームの指摘から。
正顧問の教え方は大好きだった。


引退して卒業して学校や部活に遊びに行けば
なぜか副顧問と話すことばかり。 

回想ネタが多かった。

あのときはこうだったんだよなあ。
あんなことがあったなあ。
おまえらはこんなことしたよな。

それが楽しくて、社会人になってから
副顧問と部員で何度か飲みに出かけた。

わたしも酔った勢いで?
先生が厳しすぎたから社会に出ても楽勝だったわ。
って毎回いっていた。

先生はすごく嬉しそうに笑っていた。
不思議と先生に感謝しかなかった。

その日、
先生からは何やら病気なんだと聞かされた。
酒もたばこもやらない先生なのに?
ま、先生無敵だからね!大丈夫大丈夫!
みんな嫌な予感はしたけどその場は普通にした。


次のお誘いをした時
「俺しんどくなっちゃって外出られないよ」

わたしはわかっていたけど
「わかったよー!早く治してまたいこ!」
できるだけ元気に言った。




電話を切ったあと。
みんなに電話しながらわたしは泣いた。

1年後くらいに副顧問は亡くなった。



あの時は
ただいじめられていただけに思えていた。
嫌われていた気がした。嫌いだったしうざかった。

もう今はそんな時代じゃないのはわかる。
でもあの厳しさを乗り越えたからと
思ってしまっている自分もいる。

先生は朝から晩まで

私たちのためにいつも一生懸命だった。
今でも先生のことは思い出す。先生には感謝してる。