TRIGA FINGA ジャマイカデビューの巻

毎日楽しいけど、変わらない日々を変えたくて、2015年3月18日に日本を出た。昔からの夢であるレゲエの本場でbussすることを目指して。まず俺が向かったのはジャマイカではなく、シカゴだった。人気ラッパー、チーフキーフのプロデューサーDJ kennと曲を作るため。そこでの話はまた今度。シカゴで黒いvibesをgetして、ジャマイカに4月6日辿りついた。

前回のアルバムで一緒に曲をやったり、WIFI riddimで曲を作った、JA在住の日本人プロデューサーgachaが迎えに来てた。ジャマイカでbussするための話を車の中でされた。その日勢いで入ったvoiceroomで俺はブリブリになり過ぎてぶっ倒れた。

いよいよ#oyainjamaicaが始まる。俺にあるのは8年前に作った下ネタのパトワの歌だけ。何の根拠も無いけどイケる気がしてた。しかし、現実は甘くなかった。

まずペータマン主催のジャマイカのゲトーダンスでフラップ。俺のキャリアは日本でもブーイングで始まったように、最初からうまくいくことはない。
何故なら不器用ですから。(高倉健voice)そこから本当の修行が始まった。パトワの発音、deejayスキル全てを1から始めた。自分と周りの人を信じて始めた。

2015年5月9日、運命の分かれ目の日が来る。deabroというdeejayの誕生日会、gangstacity スパニッシュタウンで行われるとのことで、歌えるか分からないが、上を目指してる俺たちはaidoniaはじめとする蒼々たるメンバーがいる現場へ向かった。

会場に着くと凄いvibesで久々にラガを感じて武者震いがした。最初の若手の時間が終わり、aidoniaが出てきて、いよいよスタータイムラバダブが始まった。

ステージ下に行き、上に上がろうとするが、何度もデブでメチャクチャ悪そうなセキュリティに跳ね返される。

しかし、気合いで何度も何度も上がろうとすると、ステージ上のaidoniaと目が合い、『おい、日本人!お前deejay出来んのか?』と言われステージに上げられた。流れたriddimは、wal dem again riddimだ。

全ての意識をriddimに集中した。練習した成果を出した。グォォォー。凄い歓声。キュルキュルキュルキュル。コマゲン。kickoutttt!人生が変わる瞬間だった。変えた瞬間だった。クソ興奮した。一緒に来てた日本人のgachaもPACも興奮してくれた。

いよいよジャマイカでのdeejay生活が始まった。ステージで歌える歌を増やすためスタジオに行き、毎日本気で音楽と向き合った。日本でのぬるま湯な生活とは違くて、ここにはレゲエしかない。でも、誘惑が無いほうが人間頑張れるみたいだ。もうやるしか無いし、日本にはタダじゃ戻れない、その気持ちが更にデカくなってきた。

その期間にジェシーロイヤルの曲作りを近くで見て、お金も時間も情熱も思いきり使ってる彼等を見て、俺ももっと情熱を注ぎ込もうと思った。最高の音楽は最高の情熱が作る。宣伝がどうとか、見せ方がどうとか、儲けがどうとか、そこにはそんなくだらない事は1ミリも無くて、ただ最高の音楽を作ることだけをしてた。思ってる以上にピュアだった。

このあと知ることになるけどTOPアーティストは俺が思ってるイメージとはだいぶ違った。あの悪いイメージで売ってるあいつもだ。

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