航空母艦鳳翔 行動記録
個人用メモ書き。信ぴょう性等は当たるも八卦当たらぬも八卦。
大正8・12・16 特務艦として鶴見造船所において起工
10・10・13 建造に着手した航空母艦を鳳翔と命名(達第 号)
艦艇類別等級別表軍艦の部、航空母艦の欄内、翔鶴の次に加える
本籍を横須賀鎮守府と定める
10797トン 乗員838名
10・11・13 浅野造船所において進水。以後横須賀工廠にて艤装
12・2・22 三菱内燃機㈱傭聘、一〇式艦上戦闘機の設計技師兼パイロット、英国人のジョルダンが初の着艦飛行に成功。使用したのは一〇式艦戦
3・16 第二回着艦実験。英空軍ブラッドレー少佐、バイキング水陸両用機使用。吉良俊一大尉一〇式艦戦にて着艦に成功。
13 島型艦橋等の撤去・改修工事を実施
昭和4・4・1 第一航空戦隊に加える 聯合艦隊
(6・4・1 水上機母艦若宮除籍)
7・1・29 横須賀発。中国上海の警戒に当たる
2・12 上海沖に進出し、陸戦隊正面の敵軍および敵基地の攻撃に当たる
2・19 杭州の敵基地を攻撃、敵機との空戦も実施
12・7・7 支那事変勃発。艦は出撃準備に当たる
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│(以降中国沿岸地域にて敵基地攻撃等の任務に当たる)
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12・12・1 第一航空戦隊から除かれる
15・11・15 空母粒状、駆逐艦羽風、秋風、太刀風による第三航空戦隊を編成(司令官角田覚治少将)
16・4 空母龍驤、第四航空戦隊に転出
空母瑞鳳、第三航空戦隊に転入
16年4月時点第四航空戦隊編成
空母瑞鳳、鳳翔
駆逐艦三日月、夕風
(この頃の鳳翔は、艤装工事中の戦艦大和横に停泊、諜報活動からの防護に務める)
16・9・1 聯合艦隊戦時編成、乗組員の転出・転入が相次ぐ
16・11・5 第三航空戦隊は主力部隊(聯合艦隊司令長官直率)に部署され、内海西部に待機。機動部隊の引き揚げ援護を下令される。
16・12・8 呉発。機動部隊の帰投援護の後K点(30N 160E)に向かう
16・12・9 太平洋戦争開戦
16・12・10 哨戒機収容のため主力部隊と分離。波浪により既倒式マストが破損。
一時行方不明となる
16・12・13 豊後水道を通過、呉へ帰還
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│(出撃記録なし。内海にて待機か)
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17・2・8 第三航空戦隊は警戒舞台(第一艦隊司令長官式)に部署され、米機動部隊の本土来週の警戒に従事。
17・4・18 米機動部隊、本土空襲(ドーリットル空襲)
内海西部発。米機動部隊攻撃に向かう(20・ 反転)
5・5 主力部隊主隊(聯合艦隊司令長官直率)に部署され、N日()ミッドウェー北西約600浬に進出。MI作戦支援を下令される
5・29 内海西部発。ミッドウェー北西方へ向かう
6・1 艦警戒機、艦隊前方5浬に油の浮流を発見。爆撃。
6・4 ミッドウェー北西約1000浬にて主隊警戒部隊が分離。主体空母隊(鳳翔艦長指揮)に部署され作戦支援に当たる
6・5 MI作戦中止。主隊は第一機動部隊を集結し補給を下令
当艦搭載艦攻は、漂流炎上中の飛龍甲板上に人影ありと報告
17・6・14 柱島泊地に帰着。(宇垣参謀長より『鳳翔は少数飛行機を以って悪天候と戦い、克く其任務を達成せり共に賞賛すべきなり』と述べられたとも)
6・20 搭載艦載機隊を下ろし、以降新規乗員の着艦練習、潜水艦の標的空母として従事(当時の艦長、梅谷薫大佐曰く『幼稚園の保母さんの役目だった』)
7・14 第一航空艦隊は解隊。第三艦隊に付属。
艦は機動部隊付属部隊(第三艦隊司令長官指揮)に部署。新規搭乗員の着艦訓練に従事
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│(以降各種訓練に従事か)
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17・8・14 艦は機動部隊待機部隊(第二航空戦隊司令官指揮)に部署され、以後内海西部において搭乗員の発着艦訓練に従事
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│(以降各種訓練に従事、待機)
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18・1・15 第五〇航空戦隊に編入(司令官酒巻宗孝少将)
第五〇航空戦隊編成
空母鳳翔、龍鳳
駆逐艦夕風
第七五一航空隊
鹿屋航空隊
築城航空隊
艦は機動部隊訓練部隊第三部隊に部署され、新規搭乗員の着艦訓練、航空訓練の目標官の任務に従事。訓練部隊は防衛作戦に協力を命じられ、呉及び佐世保の両鎮守府と協議、即応準備と研究に当たる。
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│(以降各種訓練に従事、待機)
18.5,10 第五〇航空戦隊、司令官城島高次少将
18.5,12 空母龍鳳、第二航空戦隊へ転出
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19・1・1 第五十航空戦隊は解隊。第五十一航空戦隊に編入。第一二航空艦隊、北東方面艦隊、聯合艦隊。
第五一航空戦隊編成
空母鳳翔
駆逐艦夕風
築城航空隊
艦は北東方面部隊第二基地航空部隊第三十一空襲部隊に部署され、引き続き訓練任務に従事。
19・2・20 第五十一航空戦隊から除かれる。聯合艦隊に付属。
艦は聯合艦隊付属部隊(聯合艦隊司令長官指揮)に部署され、引き続き内海西部にて訓練任務に従事。第五十一航空戦隊は搭乗員の教育れんせい任務を中止、作戦部隊として北東方面に進出。
19・2・20 艦は呉から徳山に回航、補給。
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│(以降各種訓練に従事)
19・春 各種改装工事を実施(飛行甲板延長、エレベーター拡大)
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19・9 東宝制作映画『雷撃隊出動』に空母瑞鶴とともに出演(映画終盤において、米軍側空母として映しだされた)
20~ 燃料事情の悪化により、呉周辺で偽装し、停泊留置が多くなる
20・3・19 艦は0532米機動部隊艦上機7機からの攻撃を受け、小型爆弾3発を飛行甲板に受け破穴数カ所、戦死6名
20・6・1 第四予備艦として定められる
20・7・30 呉鎮守府長官令により、周囲に機銃陣地構築が命じられる
20・8・15 終戦を呉工務部にて迎える。艦機能に大きな損失なく、航行可能
20・9・20 兼艦長古谷啓次大佐、呉港務部員からの兼務を免
艦長、金岡國三大佐。巡洋艦北上から
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│(艦は特別輸送艦に改装)
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20・10・5 横須賀鎮守府在籍の軍艦籍を除く。
12・1 呉地方復員局所管の特別輸送艦に指定される
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│(この間南方各地と内地を9往復、およそ9万人を輸送)
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21・8・31 特別輸送艦の指定を解かれ解体開始(大阪・日立造船桜島工場)
22・5・1 解体完了。艦齢26年
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