見出し画像

やみおやじ土方編 真岡市清水

父親が肝硬変による静脈瘤の闘病が始まるとともに、もう少し東京で羽を伸ばしていたかった私が帰省後直ぐに入った現場が真岡市清水の圃場整備工事。全域は数工区に区分けされていたが、約50haの一区分を2社で請け負っていて、上(北側)がM社、その南下側を施工していた。
メンクが5,6台入って表土を剥ぎ、ブルドーザーで表土戻し整地している正に工事最盛期。

整地も順調に進んでいたとある日、現場代理人から土を盛っても盛ってもどうやっても設計エレベーションに全然上がらない田んぼがある。
もう持っていく土もなくなりそうだとの報告が舞い込む。
現場の最南端を東西に走る小川があり特に問題の面は東側が高い地形で、南に小川が走り西側は道路。初めて行った時も乾いていない場所だったので気にはなっていたが、ここまで底なしとは思いもよらなかった。

土地の地盤が軟弱で地下が真菰層、小川が真横を流れ水位も高く完全に水を含んだスポンジ状態のようだ。
とにかく工期ぎりぎりまで乾かし仕上げることにした。

他の工事は順調に仕上がり、いよいよ残りの5、6枚の湿田の整地にかかった。
表土は乾いて白い部分もできるくらいになっていたがいざ湿地ブルドーザーを入れてみると排土板が天を仰ぎブルドーザー後部が土に埋まり身動きできない状態に。バックフォーにワイヤーをつけて引き釣り出す。敢え無く撃沈。数日後、超々湿地ブルドーザーをチャーターし再チャレンジするも同様に撃沈。

刻々と迫る工期。
そして工期延長。小川を堰き止め、水中ポンプで小川の水を抜き、ひたすら田んぼの乾くのを待つ。刻々と迫る田植えシーズン。
その場所を換地されるだろう農家が騒ぎ出す。
「田植えに間に合わねーべ」「どうしてくれんだ」

水抜きの効果あって大分地盤がしっかりしてきたころ、私は一石二鳥の賭けに出た。小型D20湿地ブルドーザーで代掻き(水整地)だ。
これが功を奏し見る見る間に田んぼとして仕上がったが、その翌日、土地改良事務所から呼び出しがかかる。
「関係農家から電話があってブルドーザーで代掻きされたら機械が埋まって田植えにならない。」「どうしてくれるんだ」といった内容だった。

若い私は、元々整地もできない泥田のくせに機械が埋まったらとか、くそもないだろうなんて思ったようにも記憶する。

後日指定された集会場に社長とともに出席。2人で上座に座らされる。
まるで人民裁判だな・・
「まず代掻きに至った理由を説明してけろや」
社長も社長である。まだ二十二、三の若造に説明しろとのご命令。

元々が真菰層からなる湿地帯で表土を設計の2倍も持っていってもエレベーションが確保できないところであること。どんなブルドーザーでも整地できなかったこと。工法を変え小川の水抜きを徹底的にするも、このままでは田植えに間に合わない事、よってここで整地と代掻きを一緒にやることが最良との判断で行った旨を説明した。

説明して1分、2分かの静寂があっただろうか、咳を切ったように誰かが言い出す。「それで補償はどうするんだべや」「そうだ、そうだ」「10俵はとれんべ」「社長どうすんだ」・・金額はたしか1反10万くらいだった記憶があるが、総額にして200万くらい払わせられたのか、協議会に振り込むから後はそちらで分配してくださいなんて社長が言ったかどうかは定かではないが、早くこの現場を切り上げたかったのか、社長はニコニコと約束をしていた様に見えた。

その後、気になって田植えの最中と収穫前の秋にも訪れてみたが、農業機械が埋まることもなく、収穫時には補償金を払った田んぼが一番実っているように見えたのは気のせいだったのだろうか。

当時の現場代理人(彼も米農家を営んでいた)も気になっていたのか、現場に行ったらしく「一番いい田んぼになってますね」と苦笑いしていた。

あれから40年
たまに現地に迂回してみることもあるが、まったくいい田んぼとして働いているようである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?